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西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

三番目の孫のこと

2007-04-09 | 生活描写と読書・観劇等の文化
4月6日に私の娘に生まれた私にとっては三番目の孫(男の子)の名が決まったようだ。望(のぞむ)というらしい。正に望まれて生まれてきた。私は、実は明日10日に対面に名古屋に行く積りである。父方の祖父母は昨日、ご対面だった。娘からのメールによると、三人の子どものうち最も食欲旺盛でミルクを良く飲んでいるようだ。そのうち母乳になるのだろう。
私の(母方)祖父は、私が中3で15歳の時に66歳でなくなった。丁度、今の私の年恰好である。その時(母方)祖母は、60歳位で、その後84歳まで24年間、元気で生きた。それを見ていると、「私や妹の成人までは元気に」「私や妹の結婚まで元気に」「私や妹の子ども(祖母にとっては、ひ孫)が小学校に入るまで元気に」と目標を徐々に上げて、結局、今度3人目の子をを出産した娘(祖母にとっては、ひ孫)が小学校を卒業する頃まで生き延びた。
その伝でいくと、私にとって先ずは「孫が成人するまで元気に」となるが、後20年間は「健康第一で」ということになるのだが・・。

直子さん男児誕生おめでとう!

2007-04-06 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今日の午後、娘の直子に3人目の子供(私からは3人目の孫)として男児が誕生した。名古屋に行っている家内から電話連絡が入った。2800g、母子とも元気と言う。良かった良かった、直子さん聡さんおめでとう!上には10歳の男の子、5歳の女の子がいるので、5歳間隔で生まれたことになる。まとめて2歳間隔位で産むのも方法だが、5歳間隔だと上の子達も記憶のはっきりした年齢なので、赤ちゃんが生まれる意味、お母さんの様子、お父さんの喜びよう、又、祖父さん祖母さんの別の喜びようも良く分かって良いかもしれない。とにかく「ほっ」とした。ちょっとしてから御対面に行こうと思う。

食の心を子どもに伝える 北川博敏

2007-04-03 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日のラジオ深夜便「心の時代」で「食の心を子どもに伝える(2)」を聞いた。出演は、香川大学名誉教授 北川博敏さんである。私の先のブログは「小学生6人に1人は朝食抜き」に関連した話だった。香川県での小学4年生あたりの血液検査の結果、生活習慣病の疑いを持つ児童やその予備軍が多数発見されて愕然とされたようだ。とにかくポテトチップスに代表されるように脂っこい食事が多くなったと言う。もっと野菜や良質蛋白質を採る要がある、と言う。誠に尤もであり、正に「食育」の本道である。とにかく食は毎日のことであり、医食同源と言われるように、毎日の食事のありようが、長い目で健康状態や寿命に効いてくるのだ。子どもの頃に叩き込まれたことは、一生忘れず、更に子孫に伝達していくものだ。心しなければなるまい。(写真は、北川博敏さん)

岩波『図書』臨時増刊(私の三冊)から

2007-04-01 | 生活描写と読書・観劇等の文化
岩波文庫創刊80周年を記念して、識者(232人)アンケート、「岩波文庫 私の三冊」特集の『図書』臨時増刊号がきたので眺めた。今回は、『きけ わだつみのこえ』を一番多くの人(18人)があげている。編集部コメントでは「「憲法改正」の動きが伝えられる今日の状況と無関係ではないと思われます。」とある。巻末の書名索引をつらつら眺めるに、私は、文字通り、本の僅かしか読んでいないのに気付く。別に岩波文庫だけが読書対象ではないが、まあその中でも読みたくて買ってはあるが読んでいないものも多い。『エミール』、『イタリア紀行』・・・である。
『万葉集』『古今和歌集』『新古今和歌集』『山家集』、『芭蕉七部集』『蕪村俳句集』『一茶俳句集』など日本の古典短詩集もそうである。まあ、これらは通しで読むというより時々に味わい参照すれば自然と親しめるものかもしれない。

3月27日は記念日だ!

2007-03-27 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今日3月27日は、私達の記念日だ。少なくとも二つある。
一つは私達夫婦の記念日であって1968年3月27日に名古屋で結婚した。豊田高専に勤めていたので春休みを選んで結婚したのだ。今日は39回目の記念日だ。正にThank you!である。
もう一つは私達23軒の仲間の記念日だ。コーポラティブ住宅地の住み始めスタート記念日だ。今日で満7年だ。スタートは2000年3月27日で、住宅地入り口の「羽ばたきの碑」にその日が彫りこまれている。(これらは1年前のブログにも書いている)http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/39905436e1eae7f5917b319927609f01
更に広い長い歴史の中では、今日は、松尾芭蕉が弟子の曾良とともに「奥の細道」六百里の旅へ出発(1689)した日なのだ。「行(ゆく)はるや鳥啼(なき)うをの目は泪(なみだ)」は、つとに有名。旧暦で言うと、今頃は「行く春」となる。「うをの目は泪」なんて普通言えない、感動だ。
また、桜の日らしいので、桜のテンプレートに変えてみた。
あれこれ思いながら、それらのお祝いに飲みつつ、このブログを書いている。
(写真は、松尾芭蕉像)

子どもの発言に注耳

2007-03-27 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今度、関口知宏さんが中国鉄道の旅3万7千キロに挑戦するようだ。予告を衛星テレビでやっていた。今まで列島縦断やヨーロッパ鉄道の旅を踏まえてのものであろう。3万7千キロと言うと地球一周に近い。で、今日、関口さんが喋っていた「旅の自己流作法」は、余り下調べしないで、感覚を柔軟に働かせて向こうからやってくる情報を待ちうけキャッチすることと言う。その最たるものが列島縦断の旅の途上、四国で雨の中を列車で走っていた時、車内でお絵かきしていた子どもが、トンネルに入って、窓の雨水の水玉が流れて光ったのを見て、「ああ流れ星!」と叫んだのを聞いて、関口さんがハッとキャッチ出来たこと、と言う。確かに窓の外に付着した水玉群は星座のように光っていて、その一つ二つが流れたのだ。流れ星に違いないが、大人でそういう見方を咄嗟に出来る人は殆どいないのではないか。
昔、中村めいこさんがお嬢さんが小さい時、洗濯物から水が垂れているのを見て、「ああ、お洋服が涙を流している!」と言うのを聞いてビックリした、と語っているのを聞いたことがある。子どもの無垢の感性は素晴らしいが、注意していないと見過ごす、聞き逃すことがある。まさに子どもの発言に注目ならぬ注耳(ちゅうじ)である。

新幹線や飛行機の座席

2007-03-17 | 生活描写と読書・観劇等の文化
皆さんは、新幹線や飛行機の座席は、どのように取りますか。私は、東京から京都に帰ってくる時は、6号車の真ん中辺りの3人がけの通路側を注文する。6号車というのは、京都に着いて5号車側の出口から出ると階段前、その階段を降りると近鉄乗換えに一番近いからだ。「3人がけ」の通路側というのは、車両のほぼ中心でゆれ等で安定、足を少し通路側にも伸ばせる、トイレに行ったり、買い物をしたりに便利、座席の埋まり方はコンピューター管理で「2人がけ」「3人がけ」とほぼ満遍なく埋まってくるが、最後に「3人がけ」の真ん中になり、それが埋まるまでは真ん中の座席が空いていて余裕がある、ということである。
飛行機の場合は、「2人がけ」の通路側である。「5人がけ」等の真ん中は、人が出入りするとき一寸大変だからである。
昔、若い時は、新幹線にしろ飛行機にしろ外を見ようと窓側にしていたが、最近は、そんなスピードで風景を見ても、余り意味が無い、上からの風景なら、今は「グーグル・アース」もあるし・・、と思ったりしています。

黒壁、長浜、女性陣

2007-03-15 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今日、近鉄電車で京都駅に向かうとき、座っている熟年女性三人の前に立った。三人の格好から友達同士一泊旅行に出かける感じで、浮き浮きした口調で喋っている。「ほら、あそこ、黒壁って言ってガラス細工のある所、何処だった?ほれ・・」と言っているものだから、つい「長浜ですね」と声を出してしまった。「そうそう、どうも有難う」と言われたが、急に声が小さくなって聞きとれなくなった。竹田で隣りに座れたので「いいですねー、友達で旅行なんて、羨ましい、早くそういう立場になりたい・・」と言ったら、笑いながら「お勤めご苦労さんです」と言われてしまった。京都駅で「気をつけて!」と言って別れたが、何処に行くのかな。こういう女性グループは増えてきている。本当に自分もそういう立場になりたい。

「十六世紀文化革命」

2007-03-14 | 生活描写と読書・観劇等の文化
ひょんなことで、山本義隆さんの講演記を読んだ。「第36回大佛次郎賞受賞記念講演」で、2004年2月21日に横浜市開港記念会館で行われた。今から3年前である。その表題が「十六世紀文化革命」で、山本さん自身の提唱による言い方だ。「十二世紀ルネッサンス」とか、「十七世紀科学革命」とかいう言い方は定着しているようだ。何せ、十七世紀になるとニュートン、ガリレイ、デカルトといったスーパースターが出てくる。その前の十六世紀が、何故、文化革命と言うかと言うと、第一に文書偏重の知から経験重視の知へ、それは第二に、経験豊富な職人達がラテン語ならぬ国語で本を書き出したことがある。背景にグーテンベルクの印刷術がある。宗教改革の進展でマルチン・ルターもドイツ語で聖書を書いた(翻訳した)など、国語を使うことが進んできた。大航海時代に入って、色々と新しいことが分ってきた。つまり、今までのラテン語で古代の知を崇めていた状態が打ち破られつつあった。国語を使うことは、ラテン語より遥かに多くの読者を獲得し、文化を庶民に近づけた。これらの風潮が、次の世紀のニュートン、ガリレイ、デカルトの出現を準備するのであると・・。大変面白い見方である。この講演の元となった『磁力と重力の発見』読みたくなった。今の状況に照らしてみると、ラテン語が英語に変わって(英語で論文を書かないと学術論文でない、と言った風潮)、世界の文化、科学、技術を「支配」しているかに見える。庶民の言葉で庶民の経験に即する文化、科学、技術が、やはり大切なのではなかろうか。山本義隆さんとは、昔、東大全共闘議長(東大物理学科大学院博士課程中退)、現・駿台予備校講師である。1941年生まれは私と同じである。この『磁力と重力の発見』は、元同僚のT.先生に教えてもらった。

電車に乗っていて

2007-03-12 | 生活描写と読書・観劇等の文化
子どもの頃から電車にさんざん乗っている。金沢では市街電車に、それは高校3年生まで、大学に入って京都の市電、京阪や阪急の電車、就職して豊田に行って名鉄電車、京都を経て奈良に移って近鉄電車、今は2年前から京都から高槻までJRの電車にも乗っている。その乗車時間を総計すると相当なものになろう。だから、それは電車生活とでも言えるものになっている。今日、日記の2004年7月7日の頃を読んでいて「車中考察」というところがあるのに目が行った。
近鉄での車中考察・・「つながり」の一側面・・一つの行為の「つながり」的意味・・電車に乗っている、座席に座っている、向こう側或いは外を見ている、ものを考えている等の行為が「つながって」私は一つの姿勢をとっているのだ。これを敢えて分析すると、複数の行為の「つながり」、複数の五感の「つながり」(見て、聞いて、匂いを感じている等)、複数の「思い」の「つながり」となろう。
へー、当時はそんなこと考えていたんだな。
(写真は、近鉄車中)

T.さん(先生)に久しぶりにばったりと・・・

2007-03-12 | 生活描写と読書・観劇等の文化
最近、地域・居住地関連の各種集まりでは、「先生」ではなく「さん」づけで呼び合うことにしている。その方が気が楽だ。今日、帰りに近鉄電車でばったりとT.さんに会った。現役時代から「T.さん、N.さん」と呼び合う仲だ。T.さんは私と一緒の時期に辞めて、第二の定職にはついていない。寿命を研究しておられるユニークな生物学者であるが、昔から大変な読書家で、通勤途上で『正法眼蔵随聞記』を岩波文庫で読破したと伺ったことがある。だから、お聞きすると書斎に積んである本を毎日次から次へと読んでおられるようだ。羨ましい、と言っておいた。本当にそうである。T.さんは「これからはペラペラな論文も書かなくていいから・・」と言われる。恐らく毎日読んでおられる大部の書物に匹敵する位のものを思う存分書こうと構想しておられるのであろう。
「で、今日はどちらへ?」とお聞きすると、「行きなれた歯医者へ」、とのことだ。京都の北から奈良まで時間も費用もかかるのに、である。よほど良い歯医者であろう。T.さんの情報で、私も一度行くことにした。ぎしぎし言う義歯には往生しているのである。人も歩けば情報に当たる身近な例であった。

物理学からの言語解析

2007-03-04 | 生活描写と読書・観劇等の文化
黒川伊保子さんは、奈良女子大学の物理学科のご出身、お聞きすると「高エネルギー物理学」関係の卒論だったようだ。で、『日本語はなぜ美しいか』である。「発音体感」については、ソクラテスが初めて言及しているようだが、黒川さんは、次のように言っている。「私は、大学での専攻は物理学科であり、一般教養の哲学概論の時間も殆ど寝て過ごしてしまったので、「発音体感が言葉の本質である」ことを自分で発見した。人工知能の研究者として、自分の赤ん坊が言語を獲得していく姿を見ていたら、自然にわかったことである。(私注:これは、問題意識とそれに基づく観察調査の重要性を示している。)やがて、ソクラテスの言語論を知らないまま、「語感は、ことばの発音時の口腔内物理効果である」ことを発見した。そして、ソクラテスによる文字(言葉の音の最小単位)一つ一つへの解説を知らないまま、音素一つ一つの口腔内物理効果を精査して、ことばの音素並びを入力すると、発音体感のイメージグラフが出てくるプログラムを完成させてしまった。」(103-104頁)
実は、このプログラムが黒川さんの現在の「飯の種」である。色々の商品の名前が機能や顧客にあっていて心地よい響きかどうかを評価する仕事をしておられるからだ。
「発音体感は、意識と所作と情景を結ぶものだ。辞書的な意味によって発音体感の意味を語ろうとすると、美しい関係性モデルはでき上がらない。なぜなら、意味は記号であり、慣習的に使われているうちに、ことばが生み出されたときの意識や情景とは乖離してしまうからである。」(105頁)

的確な問題意識、周到な観察、論理的思考(物理学的思考)、現代的なコンピューターの駆使等によって、「発音体感」に基づく「黒川言語学」が成り立ちつつあると、言えよう。

黒川伊保子著『日本語はなぜ美しいのか』読書録ー5外国語のうちの米語

2007-03-04 | 生活描写と読書・観劇等の文化
「発音体感は、言葉の本質である(114頁)」ことから出発しているのだが、その発音体感は、所作、情景のなかで一定の意識を形成する。これら四つー発音体感、所作、情景、意識ーには一つの関係性が成り立つが、体格からして自然な所作になりうるか、風土に基づく情景と発音体感がマッチしているか等、で日本人、日本の風土では日本語の発音体感が似合うし自然ということで、日本においては母音中心の日本語が美しい、となるわけだろう。じゃ、子音中心の英語は、フランス語は、ドイツ語等々は、と問うとそれらも長い歴史をそれぞれの風土の中でイギリス人、フランス人、ドイツ人等々がつくりあげてきた訳で、それぞれの場で美しいに違いない、となる。
ところが、(あえて)米語だけが違うのでは、と言っているようにみえる。つまり、米国人は、殆どが「渡り者」、英語を持ち込んだと言っても、様々な異邦人にも分かりやすいように「記号化」された言葉に変わってきたのではないか、と言う。だから、さまざまな米語が受け入れられているのだろう、とのことだ。ふーんである。

黒川伊保子著『日本語はなぜ美しいのか』読書録ー4三歳から十二歳へ

2007-03-03 | 生活描写と読書・観劇等の文化
「三歳の誕生日を迎えた頃から、子どもの語彙は格段に増え始める。ここでいう語彙とは、記号として口に出せることばのこと。実際には、脳の中に、記号化していない「ことばのたまご」は、その何百倍も何千倍も詰まっている。三歳になるまでに培った「ことばのたまご」を記号化するこの時期、新たな外国語の導入などは、到底考えられない。せっかくの「ことばのたまご」を壊してしまうことになりかねないからだ。
四歳から七歳までは、ことば、所作、意識の連携を学ぶときである。特に、所作の基礎ができ上がるときなので、さまざまな分野の洗練された所作を、子どもの目の前で見せてあげたい。音楽、アート、ダンス、スポーツなど、身体性を伴う稽古事の開始適齢期だ。この時期、暗記型の外国語教育は、明らかに時間の無駄。・・・
六歳から七歳までは、、母語の社会性を養うとき。家族との親密な関係で作り上げてきた母語を、学校という公の場で鍛え上げることによって、自我を確立するとともに、社会性を獲得する。・・・脳の立場からいえば、ここは、外国語にうつつをぬかすよりも、母語の読書を重ねるときだ。母親の読み聞かせや、本人の音読も重要なときである。脳における母語習得の臨界期は、八歳である。・・・
九歳から十一歳までの三年間は、感性と論理をつなげ、豊かな発想と戦略を生み出す脳に仕上ていく、いわば子どもの脳の完熟期だ。この三年間に脳が獲得する機能は、コンピュータにたとえればOS(オペレーティングシステム)のようなもの。これに比べたら十二歳以降に手に入れる知識は、単なるデータファイルにすぎない。つまり、脳の性能を決める大事な三年間なのだ。このため、この三年間は、脳のゴールデンエイジとも呼ばれている。・・・」(71-73頁)
ここに概略三歳から十二歳までの母語習得課程のモデルが示されている。外国語が入る隙はない。それは十二歳以降、つまり中学に入ってからで十分なのだ、日本人にとっては・・。(続く)

黒川伊保子著『日本語はなぜ美しいのか』読書録ー3母音中心と子音中心

2007-03-03 | 生活描写と読書・観劇等の文化
日本語は母音を主体に音声認識する。似ているのは、今のところポリネシア語系(ハワイ原住民語も含む)で世界的には少数派であり、他は圧倒的に子音を主体に音声認識しているようだ。インド・アーリア語系(ヨーロッパの言葉はこれに入る)やアラビア語、アジア各国の言語もそのようだ。こうなった背景については、風土のことをあげている。砂嵐の吹く砂漠地帯だったり、厳しい寒さの地域だったら、口を大きく開けて発音しにくく、口を狭めて破裂音等の子音に重点をおいた言葉になると言う。それに対して高温多湿の日本やポリネシアは口を大きく開ける母音中心になったのでは、とのことだ。(以下、私の解釈)日本語は母音は5音(あ、い、う、え、お)であり、子音はK,S,T,N,H,M,Y,R,Wの9音である。これらで50音表が出来ている。(勿論、これらに濁音、半濁音が加わる)一方、英語は26字で出来ている(全ての言葉がこの26字の組み合わせで出来ているのは凄い!)が、まあ母音の5つ(A,E,I,O,U)を除く21が子音である。
こういうことを学習すると、ふと日本民族は、定説の大陸から渡ってきたというより「太平洋より島伝いにやってきた」という柳田國男の『海上の道』説の方が相応しいようにも思えてくるのだが・・。今回は、脱線しつつ、私が勝手に大事と思う点をまとめてみた。(続く)