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西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

ダ・ウイーン『種の起源』

2009-11-24 | 文化論、科学・技術論
今年は、ダ・ウイーン生誕200周年、主著『種の起源』の発行150周年であるようだ。

ダ・ウイーンは、生物の進化論を科学とした巨人である。

かって20世紀を終えるにあたって、イギリスのBBC放送が、この千年紀に人類に最も影響を与えた人物は?という調査をしてマルクス、アインシュタイン、ダ・ウイーン、ニュートンが上位4人だと発表したことがある。

時代順では、ニュートン、ダ・ウイーン、マルクスそしてアインシュタインとなるであろうか。関連ブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/b9a1ea7dd7b7fb7aac50a103776a4886

まあ、ダ・ウイーンとマルクスは19世紀に思想、理論で活躍した人、アインシュタインも19世紀に生まれているが、むしろ20世紀前半に活躍した人であろう。

ダ・ウイーンの『ピーグル号航海記』や『種の起源』も岩波文庫で大分前に買っておいてあるが、殆ど読んでいない。今回、渡辺政隆さん新訳の『種の起源(上)』(光文社古典新訳文庫)を買った。これは、元々専門家というより一般市民を読者に想定して書かれたという。人間が、どのようにして四足歩行から二足歩行に移行したのか、今年はいいチャンス、読みながら考えてみたい。

今西錦司著『生物の世界』を読む

2009-09-06 | 文化論、科学・技術論
自宅および「つなね」書斎での生活時間が増えて、今まで買って書棚に置いてあったが読めていない本をボチボチ読むことにしている。

最近、古典の一つ、今西錦司著『生物の世界』(講談社文庫、1974年第6刷)を読みだしている。今西さんは、1902年生まれ、京大教授を経て岐阜大学長もやられていた。京大の学生時代から探検、山登りなど積極的に行ったことが、学問的バックボーンにもなっている。

そこで、生きた植物、動物の生態を観察して、死んだ生物の標本を使った「分類学」に疑問を持ち、生物は生きたままで観察し、そこに働いている論理、法則を見出すべし、という立場を確立している。

この著作が1941年の39歳の時のものと知って「脱帽」である。

目次

一 相似と相異
二 構造について
三 環境について
四 社会について
五 歴史について

とにかく「骨太」の思想、理論である。途中までの概括的感想。

音楽と生活ー團 伊玖磨さんの話よりー

2009-04-13 | 文化論、科学・技術論
2,3日前の深夜ラジオで、講演アーカイブで作曲家でエッセイストの團 伊玖磨さんの「音楽と生活」という1989年の講演を聞いた。團さんはその後2001年に77歳で亡くなった。

團さんは西洋音楽は、キリスト教の教会音楽がベースにあるという。ある本で、現代、クラシック音楽の源流は「グレゴリオ聖歌」だというのを読んだことがある。

生まれて洗礼を受け、日曜日に教会に行きという日常生活のバックには「聖歌音楽」が流れていたのだろう。

やがて、そこから発展した音楽は王侯貴族をパトロンとして発展する。バッハやヘンデルなどの古典派の時代である。王様や貴族の館に音楽家(作曲も演奏もする人多し)が行って、食事の前や食事中に演奏したり、眠る前に演奏したりしていたのだ。

ところがフランス革命前後から王侯貴族に替わってブルジョア(資本家、市民)がのしてきて、パトロンとなる。演奏会場も出来てくる。モーツアルトやハイドンからベートーベンの時代になる。ロマン派に入ってくる。・・・

ところで、日本の音楽事情はどうか。古代、大陸から入ってきて日本式雅楽となった。現在、正倉院には聖武天皇時代の楽器が多数保存されている。それらは天皇家貴族の狭い範囲で演奏されていた。その後、江戸時代には、歌舞音曲として三味線も発達してきた。しかし、それは「歌舞伎」にくっつくか、「遊里」で演奏されていたのだ。歌舞音曲と言うとおり、踊り、歌、鳴り物がセットのようだった。

團さんは明治維新がもう50年遅れていたら、日本にも独立した器楽が生まれたのでは・・・、と言う。

ところが、1868年に始る明治となって西洋音楽(いわゆるクラシック音楽)がどっと入ってきた。それらを何処に位置づけるかで、学校教育で、となったため、西洋音楽は何となく居ずまいを正して、演奏したり聞くべし、と「肩苦しいもの」になったのではないか、と團さんは言う。

元々、主に音楽の発展を担った階級、階層は時代により異なっているが、彼らの生活の中に音楽はしっかり位置づけられていたのだ。

今や、庶民、市民の時代である。庶民の生活の楽しみに音楽を位置づけていこうではないか。「市民サロン」での演奏、大いに結構、あっ、下手でもオカリナも楽しまなくっちゃ・・・。

ラジオ深夜便で山折哲雄さんの話を聞く

2009-03-27 | 文化論、科学・技術論
宗教学者 山折哲雄の話(後半)をラジオ深夜便で聞いた。「21世紀 日本の進む道」である。山折さんは1931年生まれ、私より10歳年上、東北大出身、国際日本文化研究センター、センター長歴任、京都市下京区に住む。

私のブログ検索では、山折さんは3回出てくる。http://blog.goo.ne.jp/in0626/s/%BB%B3%C0%DE%C5%AF%CD%BA

聞いていたメモ・・・日本で、200年以上、平和であった時代は、平安時代そして江戸時代という。世界で見ると「パックス・ロマーナ」(ローマ[帝国]の平和)があるが、背景は武力である。日本の場合は、武力と言うより「神仏習合」が背景にあった。神も仏も「仲良く」していたのである。

西洋の宗教学(プロテスタント系)では、アニミズム、多神教、一神教と歴史的に進んで、最終はプロテスタントである、となる。他は異教になり、世界的には「争い」の元になる。(その「西洋宗教学」では、日本仏教の「山川草木にも仏性あり」はアニミズムの原始的状態となる。)

21世紀は、(無宗教も含め)多宗教併存の寛容・平和の時代をつくらねばなるまい。日本が先導できるのでは、いやリードしなければと言う。

別の話で「人生50年時代には、生まれて一生懸命働いたら死が待っていた。ところが、人生80年では、生死の間に「老病」が実質入ってきた。どういう人生モデルで生きるか。古代インドでは、人生(100年)を四期にわけている。学生期(がくしょうき)、家住期(かじゅうき)そして林住期(りんじゅうき)、遊行期(ゆぎょうき、この期に達する人はめったといなかった)である。(私は、林住期に入っているかな・・・、)

山折さんの目指す人生モデルは、西行、芭蕉、良寛という。旅と文芸を愛した(仏教がベースにある)人生である。(ただし、「人生50年時代」の先達であるが・・・。)

「あっ」と驚く万葉集解釈ー白川 静ー

2009-03-25 | 文化論、科学・技術論
万葉集随一の詠み手は柿本人麻呂であろう。

その有名な「安騎野の冬猟歌」について、「漢字学者」の白川 静さんが「あっ」と驚く解釈(仮説)を提出している。

これは長歌と四首の短歌からなっている。

松岡正剛著『白川 静』(平凡社新書440)によると(157頁以下)、この歌は、持統7年(693年)のことで、持統天皇の孫(亡くなった草壁皇子の子)の軽皇子(11歳、後の文武天皇)が安騎野へ、柿本人麻呂等を伴って出かけた時のものだ。

これは、冬至の頃だったことが重要と、白川さんは捉えていたようだ。

四首の短歌で一番有名なのは、「東の野に炎(かぎろい)の立つ見えてかえり見すれば月かたぶきぬ」であろう。これについて、斉藤茂吉は「安騎野に宿った翌朝、日出前の東天に既に暁の光がみなぎり、それが雪の降った安騎野にも映えって見える。その時に西の方をふりかえると、もう月が落ちかかっている」という解釈をしている。素直な叙景的解釈と言ってよい。

ところが、白川さんは、違ったユニークな解釈をしている。まず、何故、持統天皇は孫の軽皇子を、この時期に安騎野に柿本人麻呂等を伴わせて宿らせたか、であるが、亡くなった子の草壁皇子の霊を孫の軽皇子に受けさせて「競争者」多数の中で次期天皇の地位を確実にしようとたくらんだ、としている。

そこで、先の短歌の「東の炎(かぎろい)」は、軽皇子を意味し、「月かたぶきぬ」は草壁皇子が消えていくことを表し、この二者の強い「つながり」を意味している、とのことのようだ。つまり、軽皇子は親の草壁皇子を継いで次の天皇になるべく「東より昇っている」とのことだ。

うーん、そういう深読みをするのか、と驚いた。

健康で文化的生活の「最低」と「最高」

2009-01-29 | 文化論、科学・技術論
日本国憲法25条では、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」とある。

では、「健康で文化的な最高の生活」とは、どういうものであろうか。
溢れんばかりの消費品に取り囲まれた状態ではあるまい。万民がそういうことをすれば、世界資源は枯渇し、跳ね返って人類の危機となるだろう。

私は、Simple Rich Lifeが「健康で文化的な最高の生活」と思う。物の豊かさより精神の豊かさ指向である。その生活は、世界に普遍的形があるわけではなく、地域地域、家族家族で個性的であるだろう。

再び大量生産、大量消費の道に帰るまい

2009-01-27 | 文化論、科学・技術論
今、アメリカ発で世界は100年ぶりの「不況」、「消費縮小」という。

今日、天木直人さんのブログを見ていたら、日本で経営しているアメリカ人のビル・トッテン氏はこの「不況」「消費縮小」が起こる大分前に、既に次のように言っているようだ。

「経済は、成長しなければいけないものだろうか。成長を唯一の目標とすることは、最終的に社会を機能不全にし、地球において人々が共存していく可能性を小さくする事にならないか。労働時間が短縮されたとしても、その事により家族と過ごす時間が増え、より健康になり、つまりは幸福な生き方、人間らしい生き方ができると、前向きに考えられないだろうか」と。

勿論、まだまだ貧しく「物不足」の人々も内外で多い。それらの人々には、ある程度の「物」を保障すべきだろう。しかし、ある程度豊かになった「中産階級」(私もここに入るかな)では、これ以上、新規な物の消費を増やすより現状を維持管理しつつ、精神生活で豊かさを追求することで豊かで幸せな気持ちになる方が重要ではないだろうか。

誰でも定年退職し、年金生活に入れば、現役時代より収入は減る。そこで、なお豊かで幸せな生活が追求でき実現できるような社会を目指していきたいものだ。

ビル・トッテン氏は次のようにも言っている。「少ない収入は、健康や幸福も少なくなることを必ず意味しない。もし私たちが賢明に計画し、準備すれば、私たちは今よりずっと少ない収入で、同じか、もしかするとより健康に幸福でいられるかもしれないのです・・・」と。

源氏物語と紫式部日記

2008-10-18 | 文化論、科学・技術論
今年は「源氏物語」千年紀と言う。千年前と言えば、1008年である。

その年の『紫式部日記』の「霜月1日」に少し遡って『源氏物語』を書いたことが伺える記述があるようだ。よって、もうすぐくる2008年11月1日が、確かに『源氏物語』が書かれて少なくとも千年目になるわけだ。

今日、『源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり 』(朝日新聞社刊)を書いて、「サントリー学芸賞」を得た山本淳子さん(京都学園大学教授、京大文学部卒、48歳)の「源氏物語の時代ー紫式部のひそかなたくらみ」を80分位の講演で聞いた。

実は、今日、私の卒業した高校(金沢大学付属高校)の同窓会・関西支部会が大阪であり、彼女も卒業生(後輩)のため記念講演で聞いたのだ。

大変面白かった。『源氏物語』そのものの話ではなく、成立した時代背景を『紫式部日記』で見事に描いているところが面白い。その時代は一条天皇の時代で、バックに貴族トップの藤原氏がいるという政治状況だ。

るる説明すると長くなるので、『紫式部日記』で紫式部が何を言いたかったかといえば、権力者(総理大臣)の藤原道長も、現代で言うと文化政策のトップ(文部科学大臣)の藤原公任(きんとう)も『源氏物語』を読んでいて評価している、ということだ。当時の文化的教養は、和歌、漢詩、管弦の三つであり、続いて随筆(『枕草子』清少納言など)であったのに、紫式部は、二人の権力者に認められていることにより、物語もサブカルチャではなく、メインの一つなんだよ、と言った訳だ。

当時、貴族は一応、日記を書いていたようだが、なぜ書いたかと言えば、第一に、子孫が先祖と同じ役回りになった時にどうしたらよいか、が分かるように、ということだ。(同時に、子孫に先祖はどういう人物だったか分からせるためもある。)

それと、第二に『紫式部日記』のように「私は偉かったのよ」ということを後世にさりげなく伝えるためだった。『紫式部日記』のおかげで今年の11月1日が「源氏物語千年紀」になることが分かったのである。紫式部自身、何時生まれて何時死んだかも分からないにもかかわらず・・・。

(だから、皆さん、後世のため日記を書きましょうね!)

欲望のコントロール、清貧の思想こそ

2008-06-07 | 文化論、科学・技術論
人間の「幸福度」を、(得られるモノやコト)/(欲望の程度)で表すとすると、これを大きくするためには、分子を大きくするか分母を小さくするか、だ。

一般的には、分母の欲望は絶えず大きくなっており、分子がそれに追いつけないというのが実情だ。

発想を変えるには、分母を小さくすることこそ重要だ。もし、これが可能になるならば、分子も自然と小さくなる。

これを追求するには想像力が重要だ。実際にモノを最大限にすることは、不可能だから、である。

Simple is rich! と絶えず叫んでいく必要が未だあるのだ。


見過ごされた車両強度

2008-04-28 | 文化論、科学・技術論
今夕のNHKTV「クローズアップ現代」では「見過ごされた車両強度」をやっていた。3年前のJR福知山線の尼崎での脱線事故で107人が亡くなったことからの教訓の一つである。もし強度の強い車両だったら、衝突による変形が少なくて死者は少なかったに違いない。

今までは「(脱線)事故(等の人身事故)は起こしてはならないもの」という考えで、脱線した時に変形を余り起こさないで内部にスペースを確保して死者を減らそうという思想は日本にはなかった。アメリカでは「事故は起こるもの」という前提で「起こったときには被害は最小限にとどめる」という思想をとってきた。

日本でも、そのようにならざるをえないであろう。日本は毎日6千万人以上、国民の二人に一人が列車に乗っている「列車大国」なのである。私も毎日のように私鉄やJRに乗っている。ただ、現在、競争もはげしい日本では、経営が厳しいので車両の製造コストを上げずに強度を高くすると共に重量も軽くする、デザインも軽やかにするというやや矛盾する課題に応えねばならない。
新幹線でも、44年間、大きな人身事故はないが、今後、車両設計の思想も変えていく必要があるかもしれない。

日本の機械技術陣の奮起を期待する。

「けいはんな市民雑学大学」今日オープン

2008-03-29 | 文化論、科学・技術論
世界最新の「大学」が「けいはんな学研都市」で今日オープンしました。
私が言おうと思っていたのに友人のFUTANさんが先を読んで、そのことを指摘しました。

「けいはんな市民雑学大学」です。http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/330ca293164bf997973d4107fcaa409f
明日になると「最新」でないかもしれませんが、今日の14時に産声を上げた当大学は現時点で最新と思います。

実は、その大学の「初代学長」が私なのです。私は既存大学の学生部長、学部長、副学長はやったことがあるのですが、学長は初めてなのです。それも世界最新の大学の・・・です。しかも、国公立でも私立でもなく「市民立」の新しい大学なのです。力不足ですが、宜しくご支援ください。

ところで世界最古の大学は、ヨーロッパでは、イタリアのボローニア大学で11世紀、アジアではインドのナーランダ大学で5世紀、日本では9世紀の空海による種智院大学のようです。

で、我々の「けいはんな市民雑学大学」は世界最新なのです。今しかいえませんね。

今日の初代市民教授は小芝ルリ子さんで62歳、ハーブ園経営のハーブ研究家、講演家、絵本作家等々を自ら切り開いてきた。今日は、その体験談をたっぷり聞いた。普遍的なことも色々あった。

とにかく「やりたい」と思うことに軽やかに第一歩を記せば良いという考え方だ。今後、定年を迎える男女に示唆を与える「一言」ではなかろうか。

とにかく「サイは投げられた」、この大学を強い子に育てていこう!皆様の協力をお願いします。


京都帝大と戦争協力

2008-03-28 | 文化論、科学・技術論
今日、京大図書館では、「京都帝大とサイクロトロン」の映写会があったようだ。戦争中に海軍からの委託で、京都帝大(理学部か)ではサイクロトロンも使って「原爆研究」をしていたと言う。うーん、時代が時代だからやむをえないと言えるのだろうか。

また、京都帝大(医学部)関連では、県立千葉中学、四高を経て京都帝大医学部を主席で卒業の石井四郎が卒業後、陸軍731部隊長として満州で人体実験を行い、それに京都帝大医学部関係者も色々協力したようだ。戦後、金沢大学の初代学長となった戸田正三も京都帝大教授として協力したという話もある。これについては、時代が時代だからやむをえない、とはっきり言えないのではないか。

京都大学と言うと、良く東京大学の官僚養成、体制派という言い方(勿論、反体制の宮本顕治、不破哲三など東大卒も多い)に対して自由な研究中心、反体制というイメージがあるが(確かに河上 肇などはそうである)、全体として必ずしもそうではないこともしっかり押えておく必要がある。これが歴史であろう。
(写真は、石井四郎)

爆問学問 独創力 京大SP

2008-03-25 | 文化論、科学・技術論
今夕のNHKTVで「爆問学問 独創力 京大SP」を見た。「爆笑問題」の太田、田中の司会、視界良好、尾池総長はじめ教授7人が壇上に、京大生400人が参加。東大出身の教授もいるが、「本郷より京大の雰囲気がいい」と言っている。

京大に来るような教授だからそう言うのだろうな。東大にも上野千鶴子さんのように京大出身の教授もいる。相互乗り入れが「独創力」を生むのではないか。

最初に京大生アンケートによる「独創人」ランキングが発表された。4位に太田 光、で1位が何とイチローだった。たしかにプロ野球選手としては日々努力しつつ、やってることも言ってることも独創的と私も思う。なんせ私も「イチロー」ですよ。

壇上の京大教授の考える、独創的学者は、(マルクス)、ブルーノ・ロッシ(Ⅹ線天文学)、今西錦司(生物共棲論)、メンデル(遺伝学)、小川環樹(湯川秀樹の弟、中国文学)、ウエゲナー(プレート・テクトニクス、大陸移動説)だった。

テレビでは京大生では女子学生が目立った。私が学生だった1960年代には未だ女子学生は、ほんの僅かだった。世の中の「進歩」かな。だが壇上の教授は皆男性、本当に独創的京大になるには女性京大生からの教授が増え、まあノーベル賞も貰わねばなるまい。何時そうなるだろうか。

独創は、独りで創ること、ある意味で孤独だ、そういう孤独に耐える人が独創的になるのかな。

最後に京大生が感想を言っていたが「太田 光」は本当に頭の回転が速い。学んだことを最大限言ってみている。西田幾多郎、ニュートン等々だ。



『日本人の好きなものーデーターで読む嗜好と価値観ー』

2008-02-24 | 文化論、科学・技術論
 昨日、ラジオで聞いたことを「うろ覚え」で書いたが、今日、本体の本『日本人の好きなものーデーターで読む嗜好と価値観ー』(NHK出版、生活人新書)が来て、まず「帯記事」を修正したい、と思う。

 前ブログでは「帯」に「富士山好きが犬を連れて散歩、寿司を食べる」とあるようだ、と書いたが、これが「思い込み」の間違いで、正確には「犬連れて、桜を愛でて、すしを食う」であった。好きな山は富士山が51%でトップではあるが、「帯」にはありませんでした。

自分に関係あるものとして一つだけあげると「好きな住まいの形」(複数回答)では、和風一戸建て(64.0%)、洋風一戸建て(43.5%)、高層マンション(11.4%)、テラスハウス(8.9%)、4・5階建てマンション(8.1%)、町屋風長屋(3.8%)、店・仕事場併用(3.1%)、公営・UR(公団)賃貸住宅(2.4%)、特になし・無回答(5.2%)となっている。

日本人の好きなもの

2008-02-23 | 文化論、科学・技術論
NHKの研究所が「日本人の好きなもの」をアンケート調査したのを新書にまとめたようだ。今朝のラジオで言っていた。買って読みたいと思うが、本の「帯」に「富士山好きが犬を連れて散歩、寿司を食べる」とあるようだ。

まあ日本人が「好きな山」と言えば「富士山」だろうな、と思う。亡くなった宮本顕治さんも富士山が好きで、ポスターに富士山を使いたがったと、息子の宮本太郎さん(北大教授)が述懐していた。やはり、どんな思想の人も日本、と言えば「富士山」、外国から飛行機で帰国する時、たまたま富士山が見えたりすると、「ジーンとくる」ものだ。これは理屈ではない。
「好きなペット」は、やはり「犬」でしょうね。二位が「猫」かな。
「好きなスポーツ」は、「ウオーキング」なのかな。
「好きな食べ物」は、寿司らしい。子どもの頃は、確かにそうで、高い食べ物だったが、最近は日本人発明の「Sushi Train(回転寿司)」で世界中で食べられている「健康食品」の代表なのだろうな。この安全もしっかり守らねばなるまい。

(写真は、日本人の好きな富士山と桜)