生き生き箕面通信

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1905 ・原発事故から3年経ったら、安倍首相は堂々と「原発の再稼働を進めたい」だって!?

2014-03-11 10:10:58 | 政治

おはようございます。
生き生き箕面通信1905(140311)をお届けします。

・原発事故から3年経ったら、安倍首相は堂々と「原発の再稼働を進めたい」だって!?

 安倍首相は昨日3月10日の国会答弁(参院予算委員会)で、「安全が確認された原発は再稼働を進めたい」と臆することなく述べ、「再稼働」に改めて強い意欲を示しました。野党側委員も、淡々と”拝聴”していました。今朝の朝刊は、この答弁については朝日新聞も読売新聞も1行も触れていません。

 なぜ、記事にしていないのでしょうか。「原発再稼働は既定事実」になってしまったからだと思われます。いまさら、「ニュースでもないだろう」ということのようです。

 本日3月11日は、東北大震災から3年。本日午後2時46分には、黙とうがささげられます。この3年間は、日本人にとって何だったのでしょうか。何が変わり、何が変わっていないのでしょうか。大きく変わったものは、被災地の人々の暮らしであり、心に残る深い、癒しがたい傷跡といえます。そして、私たちには、「原発は絶対にダメだ」という確信が強まったといえないでしょうか。

 変わらなかったものは、原発推進勢力です。原発を推進したい勢力が温存され、ゾンビのように蘇り、力を強めつつあります。「放射能汚染水のコントロールはほぼ不可能だ。いずれ海にたれ流すしかない」という恐ろしい現実があるにもかかわらず、再稼働の動きはあたかも原発事故がなかったかのように進められようとしています。本日がまだ2011年3月10日であるような素振りです。

 もうひとつ変わらなかったものは、「東北は東京の”植民地”」という意識です。本日の朝日新聞一面に坪井ゆづる・東北復興取材センター長(仙台総局長)が、「東北を『植民地』にするな」というタイトルで書いています。「3年の歳月を経て被災地は、この国でもっとも豊かな『東京』にとって都合のいい『植民地』のように見えてくる現実が間違いなくある。それが、未曽有の惨禍でも変わらない、この国の姿なのだ」と。

 東北は明治維新の時に、当時の会津藩を朝敵という差別する地位に貶めて以来、中央政府が富を吸い上げる「植民地」としてきました。戦後の高度成長期も、東北農村の若者たちを集団就職という名で大量に東京へ”召集・動員”してきました。あたかもアメリカが豊かになる過程で、アフリカから大量の奴隷を”輸入”し、人身売買していきたようにです。

 こうした、変わったもの、変わらなかったものが混在する中で、では、どうすればいいか。

 自らを「B級アイドル」と名乗る藤波こころさん(17)が、同じ朝日の27面で、「脱原発 一人ひとりがやるんだよ」とツィートしています。こんな文脈の中でのつぶやきでした。原発事故に直面した時、当時は「こころちゃん」と、”ちゃん付け”が似合っていた中学2年生は、そのブログが大きな反響を呼び、今も読まれて「脱原発のジャンヌ・ダルク」あつかいです。しかし、こころさんは「私に、『原子力早く止めて~』というのは違うでしょう」という思いです。「一人ひとりがやるんだよ」と、ツィッターで呼びかけたこともあるそうです。

 まず、一人ひとりが自分の頭で考え、自分の行動を決めることだということでしょう。日本人が本当に変わらなかったことは、「自分の頭で考えない」ことだといえるのかもしれません。「お上があんじょうしてくはるやろ」というお任せ主義、あるいは「自分がうだうだいうてもはじまらへん。どうせ何も変わらへんのやから」というあきらめ主義。

 お任せ主義やあきらめ主義のたこつぼにこもってさえいれば、その中で「それなりの幸せ」「自分だけの幸せ」が追い求められる。

 しかし、子供たちの時代になれば、そんな”甘い時代”ではなくなっているかもしれません。だけど、自分たちの時代さえ良ければ、それでいいじゃないか。そうなのでしょうか。原発は”安い電力”だから、動かした方がいいのでしょうか。