生き生き箕面通信

大阪の箕面から政治、経済、環境など「慎ましやかな地球の暮らし」をテーマに、なんとかしましょうと、発信しています。

生き生き箕面通信162 「日本をアメリカのポチ化する大きなきっかけを作ったのは昭和天皇」だそうです

2009-05-02 07:15:26 | 日記
おはようございます。
生き生き箕面通信162(090502)をお届けします。

・「日本をアメリカのポチ化する大きなきっかけを
作ったのは天皇」だそうです

 明5月3日は憲法記念日ということで、ある週刊誌が
「昭和天皇と日米安保」と題する憲法特集号を組ん
でいます。

 要約するとこうです。

 有名な天皇のダレスあてメッセージは「日本が基地を
無条件に提供しますから、米軍はいてください」という
内容だった。これを「日本側の自発的意思として表明
する場を設ける」ことを提案した。このメッセージにそって、
世界にも類のないほど酷い不平等な安保条約が結ば
れ、日本の属国化、つまりポチ化が確定した。

*あまりに酷い不平等条約を改訂するため、60年安保
交渉がありました。

 天皇のメッセージは、1950年6月に当時の米国
大統領特使ダレスが来日し、安保条約締結について
つめているときに、当時の吉田首相が「五分五分の
論理」、つまり「日本は米軍に駐屯してほしいが、米国
も日本に駐兵したい」という認識で、条件つき交渉を
していたなかで、吉田を飛び越してダレスに伝えられた。

 天皇の完全な「二重外交」であり、政治に関与しな
い象徴の立場になったはずの天皇が国防という最重要
な政治的問題に直接介入したのです。

 ダレスは、朝鮮戦争もあり、日本に再軍備を迫ったの
ですが、吉田は日本再建のためには「軽武装・経済重視」
で譲らなかった。

 ダレスは成果がないまま帰国しようとしたとき、天皇が
「ニューズ・ウィーク」誌のパケナム東京支局長を通じて
ダレスに先のメッセージを伝えた。

 天皇は、アメリカにつくか、ソ連につくかの国際情勢の
なかで、「天皇制などは即廃絶」のソ連にたいする「共産
化の恐怖」からアメリカの庇護を受けることを決断、条件
交渉などをしている吉田が歯がゆく許せず、居ても立っ
てもいられず直接動いたのでした。

* 天皇という存在は、すべての歴史を通じて、自分を守る
ことが最優先で、それを判断基準に身を処してきました。

 しかし、「五分五分の論理」放棄で、そのあとは「日本が
どうしてもとお願いするから、われわれ米軍はいてあげるのだ。
だから、そのかわり米軍の要求に貢献しなさい」となってしまい
ました。「思いやり予算」などがその典型で、米軍は基地の
自由使用をほしいままにしてきたのです。

 これは、昭和天皇のみならず、現天皇も「東京裁判、
日米安保条約全面支持」なのです。無条件基地提供
は、昭和天皇に始まり、ポチ化の固定化が現在も続いて
います。

 しかも、今後は、米国は中国を戦略的パートナーとする
ことにしましたから、重要なことは米中で決め、日本には
それを伝えるだけになります。これは、ヒラリー・クリントン
国務長官が中国に伝えたことです。

 日本は、その米軍のために今年度もたっぷりの「思いやり
予算」を組みました。沖縄の辺野古基地の建設も、地元の
強い反対を押し切り、ジュゴンの生息地をつぶしてまで強行
しようとしています。

 これも、日本の有権者が認めて許している「民主主義」の
結果です。

 明3日には、「ピースウオーク」が、午前10時に箕面の芦原
公園で集会を持ち、10時50分ごろに出発、国道171号線を
あるいてカルフールまで行われます。ぼくも参加します。

*特集を組んだ週刊誌は「週間金曜日」です。