おはようございます。
箕面通信140(090410)をお届けいたします。
・天皇制について考えましょう
本日は、「ご結婚50年」で、新聞やテレビは祝賀ムード満載です。しかし、そこにジャーナ
リズムには欠かせない「天皇制についての検証」の記事や社説、ディスカッションは皆無です。
これではジャーナリズムの思考放棄と受け取らざるをえません。
結婚されて半世紀ですから、個人的な次元でならお祝いすべきことに違いないと思います。
しかし、この半世紀に「天皇制」というシステムは、政治的には単なる象徴の範囲をはるかに
超えて、かつてのはるかに高い「特別な地位」に祀り上げられつつあります。
これは、天皇、皇后の個人的な問題ではなく、現体制がそうした地位への復活を着々
図っている結果です。ジャーナリズムはもちろん、識者といわれる方々も、「天皇は象徴」
とは何を意味し、日本の天皇制はどうあるべきか、ほとんど思考を停止したままでした。
今後もこの思考停止状態が続くでしょうし、既成事実の積み重ねのなかで、いつの間に
か強大な地位が固まっていたということになりかねません。思考停止状態は、わたしたち
自身のことでもあります。
その意味では、「天皇制」を認める人々も、「人間天皇」「21世紀に日本における皇室
のあり方」について、きちんとした思考を働かせるべきではないでしょうか。
現憲法における天皇制の存続は、当時の占領軍、マッカーサー司令官との間で、戦争
放棄(第9条)とのバーター取り引きで実現したものです。
戦勝国の中には、「この戦争(太平洋戦争)の戦争責任は天皇にある。何としても存続は
認められない」と強い意見がありました。それをマッカーサーは「占領統治スムーズに進めるに
は、天皇の立場を利用する必要がある」「しかし、強い退位要求を退けるためには、天皇が
存続しても、絶対に再び戦争をすることはない安全な国とすることを明確にする必要もあり、
単なる戦争放棄だけでなく、第2項の『陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の
交戦権はこれを認めない』で保障した」といういきさつがあります。
わたしたちは普段に憲法について考え、その中味を常に現在の中で生かしていかなければ
ならない、と思っています。
箕面通信140(090410)をお届けいたします。
・天皇制について考えましょう
本日は、「ご結婚50年」で、新聞やテレビは祝賀ムード満載です。しかし、そこにジャーナ
リズムには欠かせない「天皇制についての検証」の記事や社説、ディスカッションは皆無です。
これではジャーナリズムの思考放棄と受け取らざるをえません。
結婚されて半世紀ですから、個人的な次元でならお祝いすべきことに違いないと思います。
しかし、この半世紀に「天皇制」というシステムは、政治的には単なる象徴の範囲をはるかに
超えて、かつてのはるかに高い「特別な地位」に祀り上げられつつあります。
これは、天皇、皇后の個人的な問題ではなく、現体制がそうした地位への復活を着々
図っている結果です。ジャーナリズムはもちろん、識者といわれる方々も、「天皇は象徴」
とは何を意味し、日本の天皇制はどうあるべきか、ほとんど思考を停止したままでした。
今後もこの思考停止状態が続くでしょうし、既成事実の積み重ねのなかで、いつの間に
か強大な地位が固まっていたということになりかねません。思考停止状態は、わたしたち
自身のことでもあります。
その意味では、「天皇制」を認める人々も、「人間天皇」「21世紀に日本における皇室
のあり方」について、きちんとした思考を働かせるべきではないでしょうか。
現憲法における天皇制の存続は、当時の占領軍、マッカーサー司令官との間で、戦争
放棄(第9条)とのバーター取り引きで実現したものです。
戦勝国の中には、「この戦争(太平洋戦争)の戦争責任は天皇にある。何としても存続は
認められない」と強い意見がありました。それをマッカーサーは「占領統治スムーズに進めるに
は、天皇の立場を利用する必要がある」「しかし、強い退位要求を退けるためには、天皇が
存続しても、絶対に再び戦争をすることはない安全な国とすることを明確にする必要もあり、
単なる戦争放棄だけでなく、第2項の『陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の
交戦権はこれを認めない』で保障した」といういきさつがあります。
わたしたちは普段に憲法について考え、その中味を常に現在の中で生かしていかなければ
ならない、と思っています。