いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

メモ3 わからない日中国交樹立の動機

2008年05月20日 20時40分35秒 | 中国出張/遊興/中国事情


故宮 2005年10月

わかってきたことは、1972年当時、毛沢東はソ連を正面敵と考えた。事実、ソ連は大変な陸軍部隊を国境やモンゴルに駐屯させた。さらには、ソ連は核攻撃も辞さない雰囲気。なので、毛は米国と結んでしのごうとした。

なぜ、日本と和解したのか? が昨日以来わからないこと。

わかったこと。21世紀に入ってキッシンジャーと周恩来の会談記録が公開された。

キッシンジャー氏、田中元首相を「最悪の裏切り」と非難

■さらには、キッシンジャーと周恩来の「日本処分」会談;  (ここから引用
 
「危険な日本」

 周恩来: 現在の日本の経済発展を止めることは困難になっている。日本には第二次大戦の教訓から平和と中立の道を歩んでほしい。現状の資本競争の政策を続けるなら、早晩問題が生じる。経済発展が拡大すれば、自衛という名であろうと軍備拡張へとつながるだろう。
 キッシンジャー: これは米政府全体の見方ではないが、ホワイトハウスの代表的な見解だ。中国と日本を比較した場合、中国は伝統的に世界的な視野を持ち、日本は部族的な視野しか持っていない。

 周恩来: 日本はものの見方が偏狭で、全く奇妙だ。島国の国民だ。英国も島国だが。
 キッシンジャー: 日本と英国は違う。日本は自国の社会があまりに異質なので、社会を適合させ、国の本質を守ろうとする。日本は突然の大変化も可能で、三ヵ月で天皇崇拝から民主主義へと移行した。日本人は自己中心で他国に対する感受性に欠ける。日本の経済発展の方式は自身のためで、日本に対しては何の幻想も抱いていない。首相が示した日本の中立化について意見を述べるが、歴史の中には、ニ種類の中立しかない。ベルギーのように他の国々に中立を保障された国(即ドイツに占領された)と、中立を宣言し独自の強力な軍隊で防衛するスイスとスウェーデンのような国だ。
日本が独力で国防を行えば、軍備拡張で周辺諸国にとって脅威となるだろう。現状の日米関係は実際には日本を束縛しており、もし米国が日本を解き放す皮肉な政策をとれば日中の緊張を引き起こす。日本との関係を緊密にせずに、自立を促して米国が日中双方と関係を結ぶのはあまりにも短絡的で、米中はいずれも犠牲となるだろう。
日本が太平洋にある米国の従順な身内だと考えるような米国人はお人よしだ。米国は対日基本政策として、核武装に反対し、自国防衛のための限定的な再武装を支持し、台湾や朝鮮半島への軍事的拡張に反対している。

 周恩来: 日本の核武装を望まないというが、米国が日本に核の傘を与え、他国の脅威となっているのはどういうことか。
 キッシンジャー: 核の傘は日本に対する核攻撃に備えたもので、米国が攻撃に出る日本のために核兵器を使うことは自国のために使うこと以上にありえない。しかし、実際には日本人は迅速に核兵器を製造する能力を持っている。
 周恩来: それは可能だろう。


 「日本再軍備と日米安保」

 周恩来: 日本の防衛力を制限することは可能と考えるか。
 キッシンジャー: 日本のアジア支配を回避するために第二次大戦を米国が戦ったのに、25年後には日本を支援しているという見方は適当でない。もし、日本に強力な再軍備拡張計画があるならば、伝統的な米中関係が再びものをいうだろう。
 周恩来: 日本人を平和と中立に向かわせることはなぜよくないのか。
 キッシンジャー: 日本が平和政策を進めることは問題視していない。日本が中立を目指すことは、軍備増強の結果をもたらすと考えているのだ。

 周恩来: 日本は米国のコントロールなくしては野蛮な国家だ。拡大する経済発展を制御できないのか。
 キッシンジャー: 軍事的側面以外では完全に制御できない。核時代には国が他国を防衛するのは条約のためではなく、自国の利益が問われるためなのだ。
 周恩来: 日本の軍国主義が復活するのは望ましくない。日本をここまで経済発展させたのは米国だ。
 キッシンジャー: 日本の経済発展が現実にあるならば、米中は太平洋の両岸で何をすべきかを決めなければならない。米中は愚鈍な楽観主義者ではないはずだ。

 周恩来: 日本の多くの人々が日本の米軍基地の撤退を要求している。どう考えているのか。
 キッシンジャー: 日本人が駐留軍の撤退を望むなら、いつでも米軍は撤退する。首相はその日が来ることを喜ぶべきではないと思う。米国が日本を経済大国にしたことを今日後悔しているように、中国もいつの日かそのことを後悔する日が来るからだ。


 「台湾問題」

 キッシンジャー: 米国は日本が台湾に軍事拡張したり軍事的影響を与えることを支援せず、反対する。また、日本の台湾独立運動支援の企てを阻害する影響力が米国にある。中国は台湾問題を国内問題と位置づけていることは理解している。
 周恩来: 台湾問題は第二次大戦後に浮上し、すでに解決済みの問題だ。しかし、朝鮮戦争が起きるや、台湾と台湾海峡は米国の保護下にあると大統領が宣言した。大統領は核兵器に言及し、現にそこにあった。(中略)はっきりさせたいのだが、米国は台湾がすでに返還され中国の一部になったとみなしているのか。中国人民はどのように台湾問題を解決すべきだと考えているのか。
 キッシンジャー: 首相のようなはっきりした考えは示せない。中国は一つであり、台湾は中国の一部であるとの中国の一貫した政策には反対しない。


▼キッシンジャーは典型的「瓶のふた」論。周恩来もその気だ。つまりは、米中で日本を封じこめましょう、という認識。

ならば、どうして中国は米国より先に日本と国交を樹立したのか? 米中国交樹立は、日中平和友好条約の翌年の、1979年。

ひとつは、台湾問題で日本がべた降りしたことがある。 それにしても、それが中国の戦争賠償放棄と見合うか?疑問だ。

当初に書いたとおり、対米、対日戦略はソ連牽制が目的であるが、日本と組んだって、中国の対ソ軍事戦略に日本は何も貢献できない。謎だ。

このキッシンジャー発言が公開されたのは21世紀になってからだが、周恩来が日本の首脳に「キッシンジャーが悪口言ってましたで~」とけしかけたのだろうか?

ニクソンショックのときは、日本政府は3分前に米国外交筋から通知された。こういう木で鼻をくくったような、宣戦布告通知みたいな、それも真珠湾のときはきちんと3分前にできなかった日本を嘲笑うかのように今回は通告してくる米国の姿勢に、アタマかっと来ちゃったのがぬっぽんずんかもしれない。


メモ2 わからない日中国交樹立の動機

2008年05月19日 19時05分56秒 | 中国出張/遊興/中国事情

故宮:旧禁紫城にて 2005年10月

続、わからないこと。昨日の中途半端の続き;

中国側の誰が日中国交樹立/回復を望んだか? その動機、特に戦略的動機は?

わからない。 ただし、当時の中共の実力者の毛沢東と周恩来は容認している。むしろ、周恩来は推進派のように見える。ただし、一見そう見えるがわからない。 なぜなら、周恩来は文革の最中も毛沢東に根源的に逆らうことなく、結果的には、文革を容認、あるいは、むしろ、宰相としての実行者であった。

ここで考えねばならいのは日中よりもむしろ米中の電撃「和解」である。これは米国からのもちかけだとしても、毛沢東が容認、推進しないと進まない話。 たぶん、毛沢東が米中和解を望んだと見るのが自然かと思う。 なぜなら、当時は中ソ対立が激しく、実際に国境で武力衝突までした。 米ソ両面作戦は戦略的に無理と毛沢東が考えたのだろう。

さて、日中「和解」。米中和解が進めば、別に中共は日中関係にあせらなくてもいいような気がする。毛沢東が日中和解を勧めたのは、米中と日中を天秤にかける戦略であろうか?

経済協力か?

「毛沢東と周恩来は、日本からの経済援助と技術援助をあてにして、1972年の日中和解をしたのだろうか?」という問いが普通に生じる。

現在となってはまさにそう見える。ただし、1972年は林彪が死んだ後で文革は新たな段階にあったが、基本的に資本主義的要素を導入した修正主義は、毛沢東の文革時の主張である「修正主義撲滅」という路線にはあわない。

ちなみに、本格的に日本からの借款や技術援助が始まったのは1978年の日中平和友好条約の後である。すなはち、文化大革命完全終焉後である。この時期の最高実力者は小平である。つまりは一番の文革被害者、非文革派の総帥にほかならない。毛沢東が意図的に6年後に反文革派の小平が戦略的に成功するために日中関係の礎を築いたというはありえない。もっとも、最高に皮肉なことに小平は毛沢東の戦略的恩恵を受けることとなる。 謎だ! 1972年の中共実力者(毛や周)の戦略的動機はなんなんだ?

っていうか、むしろ、動機は日本側に求めるべきなのか?

んー、わからない。



メモ:日本は文革中国と国交「回復」したことについて

2008年05月18日 18時25分48秒 | 中国出張/遊興/中国事情

 - 天安門内側より -


今日もどうでもいいことだけれども、「そういえば1972年の日中国交回復は中国は文革期ではないか」と気づき、なぜ文革中国が日本との国交回復をしたのか、可能であったのか、いささか調べた。 

▼文化大革命いきさつ

1965 文革開始。毛沢東は若者を唆し、劉少奇ら修正主義者との権力闘争をしかける。

1966-1967 劉少奇、小平自己批判および紅衛兵からつるしあげ。

1968 紅衛兵運動の終息(毛がもてあまして、下放に転換)

1971 毛、林彪を批判。身の危険を感じた林彪はクーデターを企てる。失敗、死亡。
文革の事実上の破綻。しかし、完全な終焉の1977まで、まだ6年。

  米・キッシンジャー、パキスタンから極秘で訪中。

1972 2月 米国大統領 ニクソン 訪中。
   
   9月 日本 角栄訪中。 革命中国と初の国交樹立。

   (蛇足、ぬっぽん・連合赤軍残党、米中・日米接近の事実に呆然自失。)

1973 小平復権
    しかし一方、毛、周恩来を批判。「大事を討論せず、小事を毎日報告する。この調子を改めざれば、必ずや修正主義に至る」と。

1974 四人組と小平の権力闘争。このころ、紅青まだまだ元気でイケイケ状態。

1976 1月 周恩来死去
   7月 唐山大地震 (死者20万?) 今、HITACHIの方が犠牲になったと、知る。
   9月 毛沢東死去
   10月 四人組逮捕   文革完全終息  

1978 小平実権を掌握。 小平路線の開始。

(ちゅーと、はんぱ)





清朝の王宮・故宮を見て、上記画像の門を故宮内側から、最後の門を出て、あー故宮見物も終わりか、と振り返ると、なぁーんだ、びっくり、マオさん画像と見慣れた光景。 天安門だったのでした。(2005年、1回目の北京訪問にて)


それでも、おいらは、毎週梅の木の写真を撮っていきます。17

2008年05月17日 11時11分51秒 | 筑波山麓


それでも、おいらは、毎週梅の木の写真を撮っていきます。17

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春の釈奠大祭

2008年05月16日 19時00分19秒 | その他


以前拙記事 成均館大学校 に遭う。 で言及した、「生きている」儒教について。

朝鮮日報の報道より; 11日午前、ソウル市内の成均館で春期釈奠大祭が開催された。写真は成均館大学舞踊学科の学生たちが「初弦礼」のうち笛とキジの羽根飾り「ヤクチョク」を手に、「文舞」を踊っている。


最近では、孔子も漢字も「韓国」起源だとコリアンが言い張って大変なことになっているらしい。

YouTube; 孔子は韓国人だった!?

まあ、コリアンの気持ちはわかる。元、清と非漢民族系の「蛮族」が支那を支配して、儒教を蔑ろにした。礼節を忘れた帝国、元、清。一方、その儒教精神の礼節は李朝でこそ生きながらえた。本家倒産による、分家の嫡流化。朝鮮の小中華主義の発生。

でも、現在韓国の学校では漢字はあんまり教えないらしい。 ウイキペディア; 韓国における漢字

漢文読めないっちゃ。


本屋に行ったら、レジにこんなのがあった。

Amazon; こども論語塾―親子で楽しむ

見てみると、たとえば、「人の己を知らざるを患(うれ)えず、己の人を知らざるを患えん」の項には、ちゃんと、意味が書いてあった。

でもさ、がきんちょで、「おめえは、さくら組のこのオレ様を知らないのか!? 運動会で一番だったんだぞぉ!」と愚痴ってるがきんちょはあんまりいないぞ。

(蛇足; だから、論語を持ち出してまでも、矯正する必要ないんじゃないの?、

って、いうか、「人の己を知らざるを患え」て煩悶、転げまわるのは、「仕官」する時期の青年期だろうに。 いか@サマ曰く、 論語は、はたち 過ぎてから。)


うめ、プチプチと窓辺に詩う。

2008年05月13日 19時49分10秒 | 筑波山麓



二朗 (プチ・プチ)、巴里/窓辺に詩う。

茨城県つくば美術館にて、5/25まで。

■ 何だ!?これは!?

小杉小二朗さんの絵画。おおむねの人の視神経に、おだやかなる気持ちを伴い、染み入ること疑いなし。「毒にも薬にもならない」という基準がもしあれば、極めて上質の薬に他ならない。例えば、この記事の2番目の画像のような絵画。(プチ画像をクリックしたもれ)

さて、


 小杉小二朗 作 ヤンキースのMATSUIを観に行こう

本展示での一番の、何だ!?これは!?は、3次元オブジェの展示No122「ヤンキースのMATSUIを観に行こう」のとなりにあった、展示No124「海ゆかば」。「海ゆかば」っていうと、『海ゆかば』しかないわけだが、このNo124は、何がいいたいのか?図録では側面図が載っているが、正面と側面では大違い。 おそるべし3次元オブジェ。

Google; ヤンキースのMATSUIを観に行こう

酔狂な御仁は、どうぞ。



超後出し; 勝間和代さんは平成の諭吉である。

2008年05月12日 20時15分45秒 | 日本事情
■昨日テレビ出てましたね、勝間和代センセ。なんか信者さんが多いみたい。
番組の内容のよくまとまった summary は、こちらのブログで読めます。

超あとだしなんですけれども、おいらは、2006年夏に勝間センセを発見! いつかネタにしようと思っていたのだけれども、ブレイクしてしまったので、出すに出せず。

 

おいらは、本屋で「おばか本」を発見、採取するのが好き。何だ!これは!!??と感動することが何よりの楽しみ。そんななか発見したのが、『インディでいこう!』。ばかっぽい表紙のデザインと、めざせ、年収600万! そして、ペンネームが「ムギ」!

あやしい。

カタカタ2文字とかひらがな2文字のネームとかうさんくさいに決まっている。

これは、斎藤 澪奈子以来のひさびさのテラ・ヒットではなかべんか!と思う。


斎藤 澪奈子センセは素性もわからず、そのまま passed away。それで、このインディペントで年収600万円を稼ぐ女性を理想とする『インディでいこう!』ってどんな人が書いたのだろうと奥付を見ると、著者はKO出だとわかる。私独立して、お金を稼ぐ。そうか、福沢の徒なのだ。ただし、諭吉は「文明男子の目的は銭」といえり(出典はおいらは知らない)。だから、このムギ(勝間和代)センセは、「文明女子の目的も銭」と女権拡大を狙ったのだなぁ、福沢実践派。勝間和代センセ理想の「文明女子の目的も銭」のインディさんにとってよい男は「年収1千万円を余裕をもって稼げる男」でなくてはならない、とこの書にはある。つまりは、文明つがいの目的は銭、である。

こういう奇書を書くムギ(勝間和代)センセは、おいらにとって、異形であった、目が離せない異形であった。その存立構造と成因を知りたいと思わせる異形であった。

●でも、そんな異形の勝間センセの最近ブレイクぶりはここで説明するまでもない。

勝間センセの身の上話はぽつぽつと本に書いてあるが、昨日のテレビで、福翁自伝ならぬムギ嬢自伝を披露。うそかホントか知らないが物語としてはわかりやすかった。

すなはち、勝間センセには10歳以上年の離れた3人のキョウダイがいて、全員か多くが女。勝間センセが中学生の頃、その姉たち、大学を出た、の就職の困難さを目の当たりにする。均等法のできる前の頃。それで、大学を出るだけではだめで若くして公認会計士の資格を取ったとのこと。 現在の日本の大問題として勝間センセは女性の社会進出の困難さを指摘。是正すべきと。

そうなのだ、下級武士に生まれ、「封建制度は親の仇」と言った諭吉センセとおなじ境遇ではないか。出自や属性で社会的役割が固定化されるという理不尽。

ところで、勝間センセは「妬まない、怒らない、愚痴らない」をモットーにして、前向きに生きることを売りにしているとのこと。これまた、諭吉センセの「怨望の人間に害あるを論ず」に通底するところである。

おいらは、ささいなことに怒り、愚痴っている。後ろ向きだ。再-感受=ルサンチマンだ。それがこのブログの本義である。それにしても、勝間センセはじめ、女性の人たちは、日本社会は女性を、暗に陽に、巧妙に時にはあからさまに、二流市民扱いしているのに、あんまり憤ったり、愚痴ったりしないよね。 フェミとか活動して前向きだよね。みんな上品なんだ。

こんなクニ滅ぼせ!とかいわない。 亡国意識のジェンダー依存性ってあるんだべか?