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いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

大 とか 佐 とか

2006年07月18日 22時18分51秒 | 筑波山麓

昨日のあじさい。

■超トリビア@筑波山麓ネタ

現つくば市には、 大 とか 佐 とかいう名の地名がある。これは近代以前においては伝統的集落であった。 が、名は 大村 とか 佐村 とかいって、中世以前の「日本」の地名辞典に載っている、由緒ある地名らすい。

だから、現在の、大 とか 佐 とかいう名の地名は 近代の役人が<<ばか>>だからとのこと。つまり、大村 とか 佐村 の村を、東海村や明日香村の村、行政区域を示す一般名詞と思い、取ってしまったとのこと。

これを説明した講師、筑波山麓ケーブルTVで見たネタです、は役所の バカ がと連呼していた。

▼さて、このつくば市、大、であるが、JR荒川沖駅から筑波山を目指して車で20-30分あまり、筑波の台地にある筑波大学に越えたあたりを土浦に向かうところにある。

●この 大 集落。江戸時代には入会地をもたず、自分たちの集落にて、燃料用の蒔きや草を調達できなかったとのこと。ちなみに、村として入会地=共有地を持たないということは、村の土地すべてを各百姓に分配しきってしまったことを示す。

それで、荒川沖の、

松平陸奥守 (まつだいら むつのかみ)様の雑木林にて、料用の蒔きや草を調達していたとのこと。

今で車で30分の距離を、荷車をともに、歩いて通っていたにちがいない。

▼松平陸奥守 (まつだいら むつのかみ)とは、江戸時代において、仙台伊達家・62万石の当主に、朝廷と徳川家から名づけられた、名と称号であり、松平陸奥守 (まつだいら むつのかみ)様の雑木林とは、仙台伊達家常陸領の一部にほかならない。陸奥守は朝廷での官位、松平は姓。 薩摩の島津も、長州の毛利も、松平の姓を与えられた(なすりつけられた?)。

(伊達政宗は、朝廷から書類をもらうときは、伊達とは全く書かれない。松平陸奥守である。 ちなみに、徳川(宗家)もそうよばれず、家康は、『源家康』である。)

●筑波山麓、仙台伊達領については知っていたが、仙台伊達領に無縁と、おいらが勝手に思っていた、筑波山麓の仙台領以外の「百姓」が松平陸奥守 (まつだいら むつのかみ)に縁があるのだなあと、びっくりしますた。

■ちなみに、その講師は、「松平陸奥守」とはどこの誰なのか説明しなかったけど、聞いてたひとはわかったかな?


カーネルの話ではない。


ぼくも、カーネル&独裁者。(大将は何してる?!)










自業自得; 支那の拒否権

2006年07月17日 22時44分52秒 | 日本事情
自業自得; 支那の拒否権

(今回、日本政府が妥協せざるを得なかったのは中共・北京政府が国連安保理にて拒否権を持っているからに他ならない。北京政府が国連安保理で拒否権を持っている限り、日本の安全は保障されないばかりか、奴隷化は必至であると言わざるを得ない。けだし、残念・無念なのはこの道をぬほんずん御自らがひいてきたのである。逝ってよし! ぬっぽん!)

支那・北京政府に、台北政府を国連からおんだして、国連安保理での拒否権を与えた、売国奴ども:

>>大平正芳>>>>




台北に謝りにいったよ。

▼30数年前の「小泉ブーム」。いつだって、衆愚のブーム党。





うめちゃん、はこの中

2006年07月16日 20時22分10秒 | ねこ

うめちゃん、はこの中

■ロシアでのサミットに中国が招待される。紳士クラブにやくざをいれたら、またヤクザをつれこんだって感じ。おいらががきんちょの頃は、サミットは『世界帝国者会議』って、サヨによばれていたけど、今じゃホントに、『世界帝国者会議』というか、「世界ならずものの親玉会議」。

▼中国が決議に例の国連憲章7条を含めるのをどうしても避けたかったのは、日米の北朝鮮攻撃を避けたかったからに違いない。それにしても、このまま北朝鮮が火遊びを続けたら、いよいよ日米の「正義」の攻撃がさけられなくなる。とすると、中国はその事態をさけるため、前もって北朝鮮を併呑しなければいけなくなる。金王朝の火遊びから生じる北朝鮮の金王朝転覆、日米韓による北朝鮮併呑を避けるため。

中国の北朝鮮侵攻は、案外あるかも。

●現実的にありうるのは、ポストブッシュの米国大統領@民主党が中国・コキントウと野合して、ヒトラーとスターリンがポーランドを分け合ったように、朝鮮半島を分け合うことかな。


♪~♪ さーらば、ラバウルよ~♪~




ジェンダーバイアスの成因

2006年07月15日 20時33分05秒 | その他
--毎日毎日、ぼくらは鉄板の、上で焼かれて、いやになっちゃうよ-- 高田ひろお



少ないおいらの経験だと、40代くらいの既婚女性で、15歳前後の息子がかわいくてかわいくてしょうがないとしきりに訴える方に、しばしば出会う(5例くらい)。一方、おいらの経験では、娘がかわいくてしょうがないと訴える御婦人に遭遇したことはない。

その息子「自慢」の御婦人方は、非常にいきいきと息子を語る。そして、それはむしろポジティブなことではなく(もしそうなら単なるイヤミになってしまう)、うちの息子はいかに手がかかるカブキモノであるかをいきいきと、そして決して失望しているのではなく、むしろ秘めた自慢が炸裂している。

くりかえすが、同様に娘自慢の御婦人には会ったことはない。なぜだろう。

それは、「男」は「母親」がつくるからである。つんぽついたヒトは、母親に、「男」という鉄板の鋳型に注ぎこまれる。そして、ぱたんと鉄板は閉じられ、焼かれるのである。くびのすわらないうちから、カブトとかかぶせられ、無理に写真とか撮られちゃう。ずりおちかけたカブトに、いやそうなアカンボウの顔。日本男児の67.4598%が所持している自分の幼少時の写真にほかならない。これに、小さなコイノボリを片手に握らされている場合は、かなりキテルネといわざるをえない。

なぜ、「女」=「母親」は、「男」づくりに熱心なのか?

一方、もちろん、女=娘もつくられているわけだが、その自慢は、おいらは聞かない。なぜだろう? 娘自慢は「父」がするのか?

(そして一方、ひそかにおいらは、ラディカル・フェミの成因は、母親との確執ではないかとにらんでいる。というと、「反動ぶんす=backlash」として糾弾されるかな? おいらはcounteractionの語の方がすきだけど。でも生まれながらのハンドーだもの、しょーがなかんべ。)

上記、西原理恵子の『ああ息子』に描かれているのだろうか?

機会があったらみてみよう。





追悼

2006年07月11日 20時41分15秒 | 筑波山麓


筑波山麓殺人事件

■経歴を見ると、彼は1976-1979年にイラン王立哲学アカデミー研究員としてイランにいたようだ。時期からみてホメイニ革命前夜。なにより『イラン体験』という本も出しているとのこと。もしかして、近親憎悪的、裏切り者扱いされて狙われたのだろうか? ちなみに革命後もイラン哲学アカデミー客員をしていたとのこと。

おいらは、ギリシア語(の一部、特にアリストテレス)はペルシャ経由でのちにヨーロッパにアラビア語からラテン語に翻訳されたと知ってびっくりして、いろいろ探しまわって、この本と出合った。もう20年前だ。 

■さらに前の話。イラン革命。ヤルタ・ポツダム体制という米ソ覇権全盛時代、反米・反ソのホメイニ革命は、がちがちに見えたものにも裂け目があるのだなぁと、チュウボウのおいらも驚いたものだ。そのとき「原理主義」という言葉を知った。

さて、パーレビさん一家は今いずこ?

▲それにしてもこの本、『知の連鎖』五十嵐一、「命名と分類」とかいう章がある。 だれかっぽい。 なにより、その「だれか」はホメイニに入れ込んだとのうわさがある。うーん、偶然なのか? 五十嵐センセがだれかを読み込んでいたのか?あるいは、「誰か」が五十嵐センセに感化されたのか? わからない。

▼そのだれかがわかってしまったあなたは、ずーっとこのブログに付き合うように!。 逃れられないなりよ。 JG