いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

刑死と靖国

2006年07月04日 04時40分46秒 | 日本事情
■小沢一郎がいわゆるA級戦犯など戦場で戦死したわけでない、刑死した人たちが祀られているのは、そもそもおかしい。だから、「名簿」から抹消すべきだと主張する。

でも、これは明らかな誤り。靖国神社には、吉田松陰や橋本左内など皇軍の敵、この場合江戸幕府であるが、に「処刑」された御霊が祀られている。彼らは靖国の英霊の「会員番号」ひとけたの靖国御霊の筆頭である。ちなみに、江戸幕府の警察活動によって殺された坂本龍馬も靖国の御霊であることはいうまでもない。

別の観点から小沢の誤りを指摘すると、もし小沢の刑死者除外のロジックに従い、仮に刑死者を祭祀から除外するとして、大臣などであったいわゆるA級戦犯に加え、B級、C級の刑死者も抹消するのであろうか?そうなれば数千に及ぶ御霊が靖国から「追放」されることになる。

●さて、やややっかいなのは、小沢は、その動機において、むしろ靖国神社を国家の追悼の場として「救済」しようとしていることである。A級戦犯という「腐ったミカン」をつまみ出して。これは山崎拓などの国立追悼施設建設派という靖国神社遺棄派とは違い、むしろ正統的な保守の様相をみせている。



▲一方、靖国神社の国家護持派という昔から愚民党にある考えがある。麻生太郎はこの系譜である。靖国神社の宗教法人性をなくし、政府が管理すべきという考えらしい。これは一見国家と靖国の関係を正常化する善作に見えるが、全く違う。なぜなら、靖国は政府や国家に護持されるべきものではなく、国家が靖国に生成され、護持されるべきものであるからである。後に靖国の御霊となる「力」、これは今の時点からみて<靖国>と仮称する、すなわち<靖国>が国家に先立ってあるのである。<靖国>が今の国家体制を生んだのである。明治維新。したがって、政府が<靖国>を護持するとか、なんとするかというのは僭越のきわみなのである。こういうことがわかっていない靖国神社の国家護持派というのはほんとにばかだ。

●では、政府が行った戦争での犠牲者の追悼を政府管理でできないのはおかしいではないか?という当然の疑問が出る。これは靖国神社が皇軍=天皇の軍隊の犠牲者の追悼施設であり、国家の生成闘争での犠牲者と政府成立後の外国との国家間戦争の犠牲者の両者が祭祀されていることにある。これは、日本軍が天皇の軍隊であり、国民軍でなかったことといってもよい。大日本帝国陸海軍は、国民軍というより、むしろ革命軍、赤軍に似ている。すなわちその起源、クーデターによる前政権の転覆こそがその第一の遺功である点である。

◆現行憲法でさえ大日本帝国憲法の改定物であり、天皇が中心であることには変わりがないのであるから、依然日本はカルト教祖・吉田松陰とテロリストたち・久坂玄瑞などの遺功に創設され、基礎付けられている体制に依存している。実態として依存しているのであるから、それをきちんと自覚するためにも、靖国参拝は当然のことといわねばならない。靖国参拝さえしなければ、カルト・クーデターや「軍国主義」から免れる、無縁である、清算していると思ったら大間違いであるばかりでなく、極めて欺瞞的なことである。



    
                          死刑!