もうすっかり過去のニュースになってしまった。薄 熙来(Bó Xīlái 、和名(笑):はく きらい) [関連愚記事] の失脚。大変な野心家であったが、中国共産党の権力闘争で敗れ、失脚した。その薄 熙来の「コピー」が、「毛沢東」になれなかった男、(google)である。
薄 熙来は、人民煽動と動員をひとつの手段として成り上がったといわれる。
「共同富裕」のスローガンを掲げて格差是正や平等・公平をアピールし、民衆をひきつけた。そして、大衆を動員し毛沢東時代の革命歌を歌わせる政治キャンペーン「唱紅」を展開した。「唱紅」の目的は古き良き共産党のアピールであったが、これが思わぬ懐古ブームを巻き起こし、人々から好評を得た。(wiki)
毛沢東時代の革命歌を歌わせる政治キャンペーン「唱紅」で人民を鼓舞、煽動し、自らの野心の手段としたのだ。そして、彼が煽動し人民をして「唱紅」せしめた響きで、薄熙来自身大いにその野心が励まされたに違いないのだ。
■ 30年ぶりに林真理子の本を読んだ。
30年前の本に書いてあった;
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私の少女時代というのは、父親によって実に複雑な色彩に彩られていた。
幸福だったといえば嘘になるだろうし、不幸だったといえば、ちょっと言いすぎたかと口をつぐんでしまう。
そんな日々を私はおくったのであるが、私の父親というのは今考えても本当にいいかげんな人物であった。
「お父さんはとにかくあなたにそっくり。お父さんを見ていて嫌なところがあったら、それはそのままあなたの性格だと思いなさい」
と私はよく母親に言われていたものだ。私のだらしなさ、根性のなさ、わがままなところは、すべてこの父親から受けつがれたものらしい。今にしてみれば、つくづくそれがよくわかる。 (「節操なき「男性像」が私を苦しめる」、林真理子、『夢見るころを過ぎても』 1983年)
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私の母はみんなに言わせると「貧乏クジをひいちゃった」女だそうだ。もうすでに年老いた彼女はきっとあのまま田舎でうずもれていくのであろうが、彼女の同級生というのがスゴイ。
政治家や実業家夫人などそうそうたるメンバーが揃っているのだ。
私はこの母の友人たちに、幼いころからずいぶんと可愛がってもらった。特に上京してからは、親戚同様にしょっちゅう上がりこんで、夕食をたらふく食べさせてもらった後、おこづかいまでもらっていたのである。 (林真理子、 『花より結婚きびダンゴ』 1984年)
そして、今年(2013年)の新刊に書いてある;
林真理子の母親は大正4年 (1915年) 生まれ。山梨という田舎ではめずらしく女子専門学校(いまの女子大) を出た。その後、相馬で女学校の教師をし、東京で旺文社に勤める。そこで、銀行員だった男性と結婚。林真理子の父のことだ。
結婚後まもなく、満州の国策会社に転職した父と共に中国にわたり、商社に勤めていましたが、父が現地召集になった後で妊娠していることがわかり、昭和19年(1944年)に単身帰国して、故郷の山梨で男の子を生みました。
翌年、終戦になっても、父は帰ってきません。戦後の混乱の中で、母は、生きていたら私の兄となるはずだった初めての子どもを病気でなくします。
その後、二年たっても三年たっても、父は帰ってきませんでした。生活のために、母は、実家で古本を売り始めました。それが、私の実家が営んでいた林書店の始まりです。
そして、父が生きているのか死んでいるのかさえまったく分からないまま年月が過ぎ、終戦から八年後、女手ひとつで店を切り盛りしていた母のもとへ、ひょっこり父が帰ってきました。翌年に私が生まれました(生死不明だった期間に父が何をしていたかというと、なんと共産党の傘下に入り、有名な日本人医師の下でプラセンタの研究をしていたといのです―)。
私が生まれた翌々年には弟も生まれましたが、教養が深く働き者の母と、享楽的で、毎朝、中国共産党の革命歌を歌う変わったおじさんの父が、うまく行くはずありません。 (林真理子、『野心のすすめ』)
30年目の真実! 「毎朝、中国共産党の革命歌を歌う変わったおじさんの父」だったんだ。
毎朝の「唱紅」で愛娘の野心を育てていたのだ!
林真理子は『野心のすすめ』でいう;
* 野心を持つことを私がすすめ続けるのは、自分が本当に何も持っていなかったところからのスタートだったということには自信があるからです。
* せめて、正真正銘ゼロからスタートした私の話から何かを感じて、野心を持ってもらうことはできないだろうか―。それを信じて、再び本論に戻りたいとおもいます。
うーん。 うそだよね。 正真正銘ゼロからスタートした私
「唱紅」で鼓舞、煽動されて育ったんじゃないか!
正真正銘ゼロからスタートした私 :実績がゼロでも、動機をもっていたのだ。その動機=野心の起源が何であるかが重要である。
もちろん、「毎朝の「唱紅」で愛娘の野心を育てていた」というのは冗談であるが、林真理子が「野心」をもったのはその家庭環境によるところが最大因子に違いない。この「家庭環境」には上記の1983-4年頃の回想にもある母親の友達たちとの交流も含めてである。
(それにしても、「最近の若者」の野心の無さ、というのは、いいんじゃないの!? だって、言うじゃない、野に賢心なし、って[???])
▼ 唱紅と野心の果てに;
得意のひと 失意のひと
▼ まとめ; 唱紅と野心の果ては、あざなえるなわのごとし (糾える縄の如し)。
政治家や実業家夫人などそうそうたるメンバーが揃っているのだ。
林真理子のこの境遇のどこをどう見たら「ゼロからスタートした私」になるのだろう? 正真正銘のブルジョアじゃん。
「生まれの良さ」、に無自覚だ。
失意のとうちゃんシリーズ、をよろしく!
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