いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

【冷たい社会と熱い社会】

2004年09月20日 15時22分59秒 | インド
いか@ 原理的(=おとぎ話的)にインドを考える。

【冷たい社会と熱い社会】

人類のさまざまな社会を理解するため、レヴィ=ストロースは理念型(おとぎ話風抽象的描写)として「冷たい社会」と「熱い社会」を提示した。冷たい社会とは、たとえて言えばねじ巻き時計のようであり、社会の各パーツは淡々と作動しその作動にはエネルギーはそう要らない。一方、「熱い社会」とは激しいエネルギーに伴って作動し多量の原料と多量のゴミを生み出しつつ爆走する社会である。この「冷たい社会」と「熱い社会」を語る上で「エネルギーの消費量」とは象徴的な要素であり、別にエネルギーの消費量の多寡が重要ではない。

「冷たい社会」には歴史がない。「冷たい社会」は、例えば、農村により構成される。その農村は毎年、毎年同じことの繰り返しである。一方、「冷たい社会」は人間中心主義ではない。「冷たい社会」の人間は富の生産、健康・長生き、つまりは快楽、のため技術を開発し、知識を集めるということをしない。神話、民話、伝統的宗教、因習に盲従して生きている。「冷たい社会」の人間は、神話、民話、伝統的宗教、因習に盲従することにより、結構近代までは、突然やってくる混沌から自分たちを守り、「冷たい社会」を維持することができた。

しかしながら、神話、民話、伝統的宗教、因習を打破し、富の生産、健康・長生き、つまりは快楽、のため技術開発を至上の価値とする近代ヨーロッパの出現により、「冷たい社会」は危機に曝され続けているのである。インド社会が「冷たい社会」であるか?は簡単にいえないが、その程度は高い。そして、「冷たい社会」から「熱い社会」への変化に現在インドがある。

例えば、階級についても「冷たい社会」と「熱い社会」では違う。つまりインドのカースト制度とイギリスの階級制では違うだろう。カーストは冷たい社会が熱くならないための安全装置である。なぜなら人間は本来激しい欲望を持っており快楽主義のための技術開発は性である。その性を抑圧するためにカーストは役立っているのではないか?一方、イギリスの階級制、貴族制は流動性がある。つまり、激しいエネルギーに伴って作動し多量の原料と多量のゴミを生み出しつつ爆走する社会の維持に貢献したものは貴族に叙せられる。もちろん音楽産業を通じて貢献したロック歌手もそうである。そこで、もしインド社会が「冷たい社会」から「熱い社会」へと移行しているのならば、カーストがどうなっていくかが注目される。ちなみに日本の被差別問題は産業化の高度化で解決の度合いが高まったと言っていいだろう。

参考文章:《知への漸進的横滑り》を開始するための準備運動の試み



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