いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

極右、あるいは偽毛唐、そして何より、狂気

2010年10月24日 11時47分58秒 | 日本事情


佐伯祐三、「下落合風景」1926年

佐伯祐三、「郵便配達夫」1928年、「ロシアの少女」1928年
  


【思わせぶりな引用1】
 この人は間違いなくある種の狂気の中にいる、と青豆は思った。しかし頭が狂っているのではない。精神を病んでいるのでもない。いや、その精神はむしろ冷徹なばかりに揺るぎなく安定している。実証に裏付けられてもいる。それは狂気というよりは狂気に似た何かだ。正しい偏見と言った方が近いのかもしれない。今彼女が求めているのは、私がその狂気なり偏見を彼女と共有することなのだ。同じ冷徹さをもって。そうする資格が私にあると彼女は信じている。
第17章 青豆 "私たちが幸福になろうが不幸になろうが"、村上春樹、『1Q84』

【思わせぶりな引用2】
 かつて私は、自分が「日本人であること」に対して天邪鬼なのだと思ってゐた。ところが実は、「日本人であること」それ自体がひとつの逆説(パラドクス)なのである。 長谷川三千子、『からごころ 日本精神の逆説』

【思わせぶりな引用3】
私は無益で精巧 な一個の逆説である。 三島由紀夫、『仮面の告白』

▼先日、5年ぶりか10年ぶりくらいで、産経新聞社の雑誌『正論』を覗いた。長谷川三千子センセの文章を見つけた。

長谷川三千子センセは極右だ。美しい。しびれるほどの極右だ。

正論11月号、"「果たし得ていない約束」を読む――「サムライの遺言」から、いま何を汲み取るか"において、三島由紀夫の死の意味について、長谷川三千子センセはおっしゃいます;

なぜ、戦後二十五年は「びっくりする」ほど空虚なのか。なぜそれは「鼻をつまみながら通りすぎ」なければならないような腐臭をはなってゐるのか-―アメリカの占領軍がそれをもたらした、などという話ではないことを、彼はよく知ってゐる。また、戦後にはびこった、「民主主義」の大宣伝や、「進歩的文化人」たちがその元凶なのでもないことを、彼は知っている。それらは単なる症状にすぎない。本当の根は、日本人がとことん戦い抜いて全滅するかはりに生き延びてしまったことにある―その事実を彼は、くっきりと見て取ってゐるのである。

つまり、普通の"保守的"評論家・政治家(#1)の人たちとは違って、戦後の空虚の原因は、日本人が先の大戦で敢闘できない死にそこないであることを長谷川三千子センセは指摘しています。

その普通の"保守的"評論家の典型的な意見が産経新聞の正論欄にある;

≪空想的平和主義続く日本≫
 従って、近未来における国家としての日本の役割は重大なのだが、今日の日本には依然、米軍による日本占領の後遺症が残っていて、吉田ドクトリンの、経済に特化した軽武装路線が成功を収めてきたこともあり、国家の根幹ともいうべき国防と外交をアメリカ任せにして安逸を貪(むさぼ)っている。日本人は戦後6年8カ月、アメリカに占領された間に、言論検閲や焚書(ふんしょ)などによって洗脳されてしまい、自分さえ武力を持たなければ「平和を愛する諸国民」(憲法前文)の間で安閑としていられる、と思い込んでしまった。
 日本を、この空想的平和主義の迷夢から覚醒させるのは、普通の手段では難しい。
 【正論】明治大学名誉教授・入江隆則 日本人覚醒させる「小さな戦争」

洗脳によって日本人は本来的ではない意識をもたされているのだ、という「他責」的な考えと、闘えなかった日本人・降参して勝者に阿(おもね)って生きながらえた日本人、そして全滅すればよかったという考えは違う。

全滅すればよかったということを、孫引き、ひ孫引きしながら長谷川三千子センセは書く;

なかで、もっとも感心したのは児玉誉士夫の話で、米軍が日本に侵攻してきた時に日本人はみんな死んでいて焦土にひゅうひゅうと風が吹き渡っているのを見たら連中はどうおもっただろう(笑)、と発言して、ああいいことをいうなと僕は感心して聞きましたと吉本隆明の文章を引用している。そして、「サムライの遺言」から、全的滅亡を汲み取っているようだ。

狂気である。そして、この狂気とは冒頭の引用1のような、「その精神はむしろ冷徹なばかりに揺るぎなく安定している」たぐいのものである。

聖戦貫徹。まさに、「"私たちが幸福になろうが不幸になろうが"」である。

■偽毛唐

長谷川三千子センセの御商売は西洋哲学、あるいは西洋思想らしい。最近の業績として、"これまでの聖書の常識を覆す旧約「創世記」の根本的な読み直し"である『バベルの謎―ヤハウィストの冒険』があるらしい。

それにしてもなぜ"極右"の日本人が哲学、ましてや聖書を研究しなければいけないのだろうか?さらにその研究というのも、西洋人文化人類学が「未開人」の生態や文化を研究するという態度ではないのだろう。近代日本においては、西洋思想を仰ぎ見て、摂取、同化することに努めてきたように見える。

つまりは、偽毛唐だよ。 長谷川三千子センセが偽毛唐かは、情報不足で、わからない。ただ、長谷川センセは『あなたも今日から日本人』(2000年)という本を出しているので、おとといあたりまでは偽毛唐だったけど、無事変態に成功したのかもしれない。

長谷川三千子センセはこの問題を、「日本人であることとは何か」という問いで、考えている。「われわれ日本人の内には、確かに、何か必然的に我々本来の在り方を見失わせる機構、といったものがある」と書いている(『からごころ 日本精神の逆説』1986年)。

極右なら最初から国学をやればよかったのではないか?

どうやら、長谷川センセは西洋思想の研究の上、極右になった気配がある。それは、西洋思想の誤りに気付いたというわけではなく、西洋思想の研究の極限に至った境地なのかもしれない。

その『からごころ 日本精神の逆説』に書いている(#2);

 たとえば、佐伯祐三という画家がゐる。ほとんどパリの街角の風景画ばかりを画いて、若くして亡くなった人である。
 その佐伯祐三が、ほんの一年余り帰朝した間の作品がいくつかある。「下落合風景」その他いづれも近所の町を画いたものであるが、そのいくつかの絵の印象は、ただ「痛ましい」の一言につきる。或る人は、日本の風景は油絵には合わない―殊に佐伯祐三のやうに量感のある油絵には合わないのだと言ひ、或る人は、もう少し描くモチーフを考え直せばよかったのではないかと言ふ。しかし、そんな枝葉のことではなくて、画家はもう、日本の風景を目の前にして気が滅入ってしまってゐるのである。


●そして、電信柱

佐伯祐三の「下落合風景」で描かれた日本の街のまぬけさを、つっ立った電信柱が象徴している。既にあった家屋に電気時代ということだろう電線を引っ張り込むために電信柱を立てたに違いない。もちろん地中に埋めるという美観を守るための処置は今でもろくに行われていない。

さて、ひゅうひゅうと風が吹き渡っている焦土には、焼け残った電信柱がつっ立っていて欲しい。事実、焼け跡には焼け残った電信柱や焼けた立木がつっ立っていた⇒焼け野原の御巡幸

それにしても、誰も描かれいない佐伯祐三の「下落合風景」はすでに、ひゅうひゅうと風が吹き渡っている焦土かのようである。




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#1; 例えば今朝のテレビで、石原東京都知事は戦前の軍部への嫌悪を表明し、「それは北朝鮮のような体制であった」と評した。これほど大日本帝国を侮辱した表現もないだろう。なぜなら、大日本帝国は戦時中に、翼賛選挙であったにせよ、男子普通選挙を行っていたからである。東條内閣の時代である。議会だって、予算委員会だって開かれていた。北朝鮮と戦時中の日本を同一視する石原が、極右ということはない。)

#2; おいらが、1986年に『からごころ 日本精神の逆説』を読んだ時、つまりは1986年中曽根内閣が300議席を獲得し、中央公論社が『重光手記』を刊行し、おいらがたった1年だけハイデガーを読んだ年には、おいらは佐伯祐三って全く知らなかった。一方、数年前、「没後80年 佐伯祐三展 鮮烈なる生涯」に行った時、長谷川三千子センセの『からごころ 日本精神の逆説』に佐伯が言及されていること忘れていた(正確に言うと、おいらの脳は佐伯を"拾わなかった")。最近、四半世紀前に封印した書籍群の開封を行ったことから生じたことだ、このブログ記事。つまりは、「産経新聞社の雑誌『正論』を覗いた。長谷川三千子センセの文章を見つけた」のではなく、長谷川三千子センセの文章がたち現れたのだ。





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