「名」が結界(範囲)を縛ると書いた。
そうなんだけど・・・ちょっと違う。
(なんだぁ~?この書き方は?)
「名」は概念を縛るのだ。
そして、概念が結界を縛る。
縛りの連鎖・・・縛りの美学・・・団鬼六。
縛ってぇ、お願いぃぃぃ~
そ、そうじゃないだろ・・・
(す、すんません・・・少し壊れてます・・・)
概念は固定しやすいのだ。
我々は、頭がワンパターンなんだ。
子供の頃はもっと柔らかかった。
「名」に縛られることが少なかった。
「名」の範囲はもっと広かったのだ。
常識を増やす事で大人に近づく。
「常識」という凝固剤が多くなると、
「名」を固定するようになる。
「名」で判断するようになった。
物事を判断しないと不安になるのだ。
「肩書き」や「資格」や「価格」で判断する。
固定された「名」でしか判断できない。
だから自分も「名」を欲しがる。
不安と不満で漂う霊と似ている・・・。
「名」を持っていても、こだわらぬ人もいる。
いつでも「名」を捨てられる人達だ。
結界(範囲)が柔らかい。
限度を決めなくて、歩ける人達だ。
節操が無い・・・とも言えるかなぁ・・・
でも自由と幸せは味わいやすいぜ。
「名」は縛り、守る。
だが概念が柔らかければ解くこともできる。
縛るのも、解くのも自由。
ワシは縛られるだけじゃイヤだ!
解く愉しみを知っている・・・フッ。
(文章がアブナくて、中々いいぞ!)
「名」の魔法はある。
「名」で運命を左右する事もある。
だが、ワシには効き目が薄いだろう。
姓名判断は、縛られる人にしか通用しない。
不思議が当たり前。
何があっても、アリ、だと思う。
いつでも、可能性がある。
未来は、柔軟性があると思っている。
(オトナになりきれないオッサンだ・・・)
だから、大丈夫だ。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」