伊勢すずめのすずろある記

伊勢雀の漫歩…。
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鉱物趣味を始めた頃に憧れた 「水晶の事」 など … 。

2020年08月26日 | 三重県下の鉱山・採石場など

堀坂山・スス谷のペグマタイト脈中の 「水晶の大晶洞」

 以前にも少し書いてみたと思うが、鉱物趣味を始めた小学5年生から中学時代にかけて、最初は遊び仲間らと自転車で珍しい石 ( 鉱物 ) を探しに、伊勢市内の川原や地山の切り崩し現場などを見回ったものだが、その頃採集出来た 「光る石」 と言えば、二軒茶屋の土手にあった、鳥羽市の赤崎鉱山から運ばれた土砂の中に雑じっていた 「黄銅鉱」 と、桜木町付近の宅地の造成地の崖などで見つけた、石墨千枚岩の中の 「黄鉄鉱」 の微粒ぐらいであった。

木津産の 「水晶のきれいな群晶」


 小学生時代には、よく祖父に連れられて朝熊山に登ったものだが、その当時、まだ開業していた 「野間万金丹店」 前の路面が原産地であった細かな 「武石」 を2粒程を拾ったのと、斑糲岩中にキラキラと輝く 「異剥石」を至る所で目にしたが、最初は雲母だと思い殆ど採集してこなかった。





 その頃、 「針水晶」 の産地として地元民らに知られていた宇治の 「水晶谷」 に、やはり祖父に連れられて何度か行っては、蛇紋岩の中に簇生する白色針状の鉱物を 「水晶」 と思い込み、幾つも採集して来たものだ。
 しかし図鑑で見るような錐面が無く、すぐに折れてしまう程柔らかくて、かなり疑問に思っていたが、やがて理科の先生 ( 博物に詳しい植物学者・孫福 正 教諭 ) から、水晶谷の 「針水晶」 は本物の水晶では無くて、 「方解石」 である事を教えられるに至った。

砂山付近の晶洞産の 「煙水晶の巨晶」

 理科少年だった頃は、誰もがそうであったように、何と言っても本物の 「水晶」 に憧れ、コレクションとして欲しがったものである。
 当時、水晶と言えば、三重県では北勢の宇賀渓付近や伊賀地方、山深い大杉谷で採れるという話しを聞いていたが、いずれも伊勢市からは大変な遠方で、採集行など思いもよらず、最初に手に入れたのは、友達からもらった岐阜県苗木産の 「煙水晶」 であった。


松阪城址より眺めた 「堀坂山」 ( 左側の峻峰 )


 こうなると、是が非でも自分で 「水晶」 を採集したいとの思いが募り、幸いな事に父親の実家が松阪市の堀坂山の北麓近くだったので、よく単車に乗せられて実家へ行ったついでに、水晶の採れる 「雲母谷」 ( きらだに ) へと連れて行ってくれた。
 その頃の雲母谷には、試掘坑跡やバラック小屋の跡があり、白色の石英バラストの中に手のひら大の白雲母が散乱し、晶面の付いた水晶のかけらや平板水晶は、谷間でかなり採集出来たが、なかなかきれいな錐面付きの六角柱状の水晶は見つからなかった。
 二度目に行った時に、父親が手のひら大の半面像の見事な 「水晶の巨晶」 を見つけてくれた。
堀坂山・鉱山跡産の 「きれいな水晶」
堀坂山産の 「煙水晶」  ( 左はスス谷産・中央と右は雲母谷産 )

 当時は、雲母谷の近くから、さらに上方の尾根筋にまで錆びたワイヤーが延びていて、下端に積み出し用の貯鉱場の跡があり、珪・長石のバラストが散乱していたので、その先端に鉱山跡があるのは判っていたが、そこに行く山道がわからずに、暫くはその山に登る事が出来なかった。
堀坂山・鉱山跡産の 「きれいな平板水晶」

 確か小学校卒業後の春休みだったと思うが、上天気の日に父親が弁当持ちでその鉱山跡に行ってみないかと、声をかけてくれた。 それが鉱山跡での水晶採集行の最初で、ワイヤー下の貯鉱場跡に単車を置いて、父親が尾根筋から登山道らしき杣道を登って行くのについて行った。
 何度も草分け道を探りながら、ワイヤーの先端を目指して1時間以上かけて、汗だくでどうにか鉱山跡 ( 坑口 ) へとたどり着く事が出来た。
 目の前には、坑道前の棚場に敷かれたトロッコレールの端から急斜面の下にかけて、母岩を含むペグマタイトのズリがあり、大小の石英バラストや白雲母の巨晶、カリ長石の大塊などがごろごろしており、水晶のきれいな破片や平板水晶などは幾らでも採れた。


堀坂山・鉱山跡産の 「珍しい菱面体水晶」

上載写真 ( 菱面体水晶 ) の裏面です


 最初はズリでの表面採集だけであったが、ズリのあちらこちらを夢中で探しまくり、親指大程の完全な水晶を数個見つける事が出来た。
 昼時になって弁当を開けて、握り飯をほおばりながら山裾を見下ろすと、はるか前方に伊勢湾が眺められた。
 この次来るのは、いつになるかわからなかったが、ハンマーやタガネよりも、ズリを掘る道具の必要性を痛感した次第だ。

堀坂山・雲母谷奥の晶洞産の 「結晶のきれいな水晶」

堀坂山・雲母谷奥の晶洞産の 「水晶の群晶」


 その後、この鉱山跡へは、一人でも何度か行ったし、友達らを案内しながら採集を試み、中学時代のみならず成人してからも、自分だけの楽しい遊び場としてかなり通っている。
 数えたことは無いが、平成の初め頃に、雲母谷の尾根を跨いだ南隣りのスス谷にて、自ら発見したペグマタイト脈中の大晶洞も含めると、堀坂山への鉱物採集は50 回ではきかなかったと思う。

堀坂山・スス谷産 「煙水晶の牛乳瓶サイズの綺麗な巨晶」


 ◆  鉱物趣味の時代に自ら発見した 「三重県下の水晶の産地」
     ( 地名には当時の行政区画を含みます )

 高麗広 ( 伊勢市宇治今在家町 ) ・ 新谷土建の採土場 ( 伊勢市辻久留3丁目 ) ・ 湯田の造成地 ( 度会郡小俣町湯田 ) ・ 堀坂山スス谷の大晶洞 ( 松阪市西野町 ) ・ 広の谷 ( 志摩市磯部町 ) ・ 長野城址登山口の露頭 ( 津市美里村桂畑 ) ・ 木津の橡山林道の露頭 ( 北牟婁郡海山町木津 ) ・ 船津鉱山跡 ( 北牟婁郡海山町 ) ・ 砂山付近の大晶洞 ( 員弁郡大安町石榑南 )
小俣町湯田の造成地産の 「石英脈の晶洞より産した水晶」


磯部町広の谷産の 「砂岩中のサメ水晶」


木津産の 「晶洞中の水晶の群晶」

船津鉱山跡産の 「半球状の花水晶」



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