今年も四月の下旬となり、春たけなわのシーズンとなった。 今月の上旬から中旬にかけては、九州から延びた停滞前線が紀伊半島の沿海にかけて、断続的に発生しては消え、小型の温帯低気圧が前線上に何度も発生し、足早に通り過ぎたせいか、曇天やぐずついた雨天がくりかえされ、真冬のような寒気に見舞われたかと思えば、移動性高気圧の張り出しで、気温の上昇した夏日のような汗ばむ日々もあった。
丁度桜のシーズンを迎えたものの、桜雨( さくらあめ )に花冷え、菜種梅雨と言った感じの日々であったせいか、桜の名所である「宮川堤」も思った程の人出もなく、早々と葉桜に移行し、新緑の芽吹く皐月( さつき )目前の野山となった。
伊勢市内で人出の多いのは、伊勢神宮の内宮界隈だけで、土曜日~日曜日や祭日などは、天気にかかわらずごった返し、市営の駐車場も自家用車で満杯である。 こういった人出の多い町なかには、なるべく行かないようにしている。 多くの人々がマスクをせずに平然と雑踏を形成し、庶民の感染意識もかなり薄れて来てしまっているが、新型コロナウイルスの蔓延は未だに収まっていないからである。
フィールドに全く出向かず、引き籠りがちの生活を続けていると、幾つかの気になる場所が頭をよぎり、なかなか脳中がクリアされない。 そのような場所は、少しでも見回れば気が済むのだが、今までは天候の影響とガソリン代の再高騰で、買い物以外は車での外出を控えていた次第だ。
しかし、4月の下旬になっても、例年のように春暖の日和が続かず、西から延びる前線による不安定な空模様がずっと続いているゆえ、五月晴れまで待てずに、4月21日の日曜日に気晴らしをも兼ね、伊勢市内に限って朝から少し見回ってみた。
最初は、何といっても五十鈴川の「旧 御側橋」撤去工事後の橋下の五十鈴川の川原である。 地均しが成され元のレベルにまで低まった川原には、隅から隅までブルドーザーのキャタピラの跡だらけであり、サラ地と化した川原は見渡す限りの転石礫が全て泥土まみれであった。 降雨による増水で一度洗われなければ、探石が出来ない状況である。 この日は川渚のきれいな僅かなスペースに行き、かろうじて緑色岩の「三角礫」2個と、岩質不明の「神足石」1個を見つけて持ち帰っただけである。
次に見回ったのは、五十鈴トンネルの入り口右横の「施餓鬼谷」( 古名、俗称「水晶谷」)である。 蛇紋岩や斑糲岩の崩落角礫に幾つかの鉱物が含まれるが、かつては多産した針状の方解石や、放射束を成す霰石の美晶がこの谷のメインであり、磁鉄鉱やクロム鉄鉱、パイロオゥロ石、水滑石、水苦土石、透輝石、ジュエイ石、琅玕( ろうかん )質の蛇紋石などもかなり採れた。
今は、五十鈴トンネル前の売店の裏側から通じていた草分け道も無くなり、地主によって整地されたスペースにはチェーンが張られ、「立入禁止」となっていたが、忍びで砂防下まで行き、少しだけ石溜りを見回ったものの、枯れ葉の散乱もあり採集は全く駄目で、写真だけを撮った。
さらに、昨夏より少しだけ気になっていた朝熊山北麓の「朝熊川」を見回ってみた。 ここも3年程入川していないので、その後どうなっているのか、雨の降りだしそうな中を、1ヶ所だけ立ち寄ってみた。
小狭い川原の転石礫は、三波川変成帯の広域片岩類( 殆どが緑色片岩 )に、朝熊山の複数の沢谷から流下した塩基性深成火成岩類が、3割程度入り混じっている。 後者の中には巨晶斑糲岩の転石があり、運が良ければ異剥石の見事な巨晶の密集小塊や晶洞も見つかる。
しかしながら、主目的は、やはり形状の良い水石としての「朝熊石」の探石である。 流路の状況は変わっていないものの、昨夏の豪雨の影響なのか、川原の堆積礫の様子は一変していた。 この日は思う程の良石には出遭わず、空振りに終わりそうであったが、ひと握りの斑糲岩質の転石を1つだけ持ち帰った。 底面をカットし、仮台を当てがってみた処、残丘の突出したまずまずの段石風の「朝熊石」となった。