伊勢すずめのすずろある記

伊勢雀の漫歩…。
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  感性の趣くままに-。

伊勢志摩の水石について

2012年09月21日 | 伊勢志摩~奥伊勢のフィールド・ワーク
Ichinosegawa

 伊勢志摩国立公園は、名勝二見ヶ浦の立石崎を境に、これより東方の鳥羽からその南の的矢湾や先志摩、そして真珠養殖の盛んな英虞湾にかけては、岬や島嶼(とうしょ)、大小の溺れ谷より成る湾入が続く。 志摩半島を中心に、この複雑なリアス式海岸の海景が織り成す四季折々の風光は、伊勢神宮界隈と共に旅情にあふれ、三重県下最大の観光地となっている。



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 当地のこの複雑な地形の骨格を成す地質構造は、殆どの地域が中央構造線より南の西南日本外帯地質区であり、西方の峻険な壮年期地形の紀伊山地から続いて来ている。
 故に北より、広域変成岩の地帯(三波川変成帯)、古生代~中生代の堆積岩の地帯(秩父累帯)、中生代のぶ厚い地層(四万十累帯)、そして特に志摩地方では、これを不整合に覆う新生代の海成段丘堆積層を載せ、各ゾーンが帯状になって東西に広がる。
 さらに、火成岩である塩基性深成岩類(斑糲岩、橄欖岩、蛇紋岩 等)も、朝熊山(海抜555m)や菅島の大山(海抜236.6m)の他、安楽島-五ヶ所構造線に沿って貫入している。Yoroiishi_2
 このような自然環境にある伊勢・志摩・度会には、古代より神聖視された二見ヶ浦の夫婦岩をはじめ、鸚鵡石(おうむいわ)や鏡石(かがみいわ)、燧石(ひうちいし。県指定、天然記念物)など、数多くの名物岩や謂れ石(いわれいし)が点在している。
 又、当地の海岸や山地、河谷等からは、遣唐使が中国から石の文化を伝えた古より、著名な庭石や水石、盆石など良質の鑑賞石もたくさん産出し、五十鈴川、宮川をはじめ、隣接する度会郡内の各河川や山地において、鎧石、伊勢古谷石、五色石等、数々の銘石を世に出している。


Gosikiishi

 「伊勢すずめ」事、我輩は、若い頃から伊勢志摩地方の「水石」を探し求めて半世紀になる。以前は、当地方にも、名うての水石蒐集家が何人かいたが、高齢で他界をされたのか、昨今は余り聞かなくなった。今になって惜しまれるのは、そのような先達の方々ともっと交流をしながら、情報交換を交え、石談話を楽しんでおけばよかったと思う次第だ。
 もうこの先、当地においては、地域やフィールド地学に精通した「水石家」は現われなくなるのではないか・・・。そんな杞憂から、せめてブログにでもと考え、当地の「水石情報」を公表する次第である。


Bairin



 1.一之瀬川の石
 一之瀬川は、度会町七洞岳(海抜778.3m)南の藤越付近に源流をもち、Kikkouseki
東麓の南中村に至り、穿入蛇行しながら北に20km程流下し、度会町棚橋付近で宮川の本流に合流する。その間、秩父累帯(西南日本外帯地質区)を横切るように流れ、途中、小萩川、彦山川、西山川、五里山川等の支流を合流し、当地では五十鈴川や横輪川と共に、多彩な数々の名石を産出している。

 2.栗原鉱山跡の石
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Barakiseki

 


 




 本郷の在所東の谷奥の山中にある、かつてのマンガン鉱山跡のズリには、各種のマンガン鉱石や脈石、母岩の入り混じったズリ石の塊がゴロゴロしており、「桜マンガン」や珍しい「蛇の目錦石」(我輩が命名)が出る。但し、どの石の表面も二酸化マンガン鉱に覆われ、真っ黒である。

 3.宮川(本流)の石 宮川は、その源を大台ケ原山(海抜1695m)等に発し、途中多くの支流を合流し、西南日本外帯の地質構造の支配を受けながら、紀伊山地の山間部を北東に流れ伊勢湾に注いでいる。行政区画では、伊勢市、度会郡、多気郡にまたがり、延長90km、流域面積920 km2に及ぶ三重県屈指の一級河川である。
 特に三瀬谷より上流の旧宮川村においては、鎧石、宮川桜、宮川梅林等、数々の名石を世に出しているが、伊勢市内の川原まで流れて来ているものもある。

 4.五十鈴川の石 五十鈴川は、剣峠付近に源流をもち、Isuzugawaishi03
高麗広を含む伊勢神宮の宮域を流下し、二見ヶ浦に注ぐ清流である。宇治橋上流の神路山や島路山には、あらゆる種類の見事な水石や奇石の産する小谷等が幾つもあり、本流へと合流しているが、高麗広に居住権を持つ地元住民を除けば、一般人は伊勢神宮の宮域ゆえ採石が禁止されている。江戸時代に宇治橋付近で発見されたという、足の形をした奇石「神足石」は、一部の人にしか知られていないが、宇治橋より下流であれば川原にて自由に探石できる。

 5.二見海岸の石 夫婦岩で名高い二見ヶ浦海岸においては、立石崎以外にも、江海岸の東に神前岬へと続く荒磯があり、緑色片岩を主とする広域変成岩が露出し、海食を受けている。当地は、引き潮時でも海食洞門である「潜り島」までしか辿れないが、時折、水石となる海石(うみいし)を拾う事ができる。ここの緑色片岩は、ほぼ立石崎と同じであり、この変成層(三波川変成帯)は答志島(鳥羽市)へと続くが、一般にはいわゆる「へげ石」である伊勢青石の類である。
 6.鳥羽市・安楽海岸の石 安楽島海岸は、恐竜の化石の産地として有名になったが、古生代~中生代の地層が急斜して複雑に絡み合い、石灰岩も介在する。大した石は見い出せないが、チャートの赤石や、紋様石としての貝殻石灰岩等の海浜礫がある。

 7.朝熊山の石 朝熊山は、山上に空海中興の金剛証寺のある霊峰であるが、連山の殆どは角閃岩とこれに貫入した塩基性深成火成岩体によって構成されている。火成岩は、斑糲岩や橄欖岩、蛇紋岩であり、鉄サビ色をしたこれらの風化岩が、山上の表土にまみれて転がっている。Asamaishi_01
 石の表面は、いわゆる巣立ち状であるが、形の良いものや奇異な形のものは、水石や盆栽の付け石として尊ばれている。かつて石ブームの頃には、一時「雲上石」(うんじょうせき)として販売されていた。 北麓の朝熊川に行けば、山から流下したこれらの石がたくさん転がっており、水食によって表土が拭われ、さらに逸品となった名石を見る事がある。

 8.横輪川の石 宮川の一支流横輪川は、伊勢市の市街地南方に聳える前山(海抜528.8m)及び鷲嶺( 別名袴腰山、海抜548m)背後の山間に狭小な河谷を形成して流下し、円座町付近で本流の宮川に合流する。源流は床ノ木付近に発し、延長距離は約15km、その間、矢持町、横輪町、上野町を流れ、川の各所において伊勢古谷石、伊勢赤石、鎧石、龍眼石等、古生代の地層に由来する数々の名石が揚石されている。 なお、沼木中学校の裏の河岸には、方解石脈を交える蛇紋岩の露頭があり、緑色の蛇紋岩を穿つ「滝石」が得られる。

 9.伊勢路川上流の石 サニー道路の鍛冶屋トンネルを抜け、南伊勢町に入った、道路の右下の谷が伊勢路川である。谷は急峻なV字を成し渓流となっているが、瀬戸橋付近の堰堤より上流約1kmが探石地であり、かつては業者によってワイヤーで大きな庭石用の赤石(チャート)等が運び出された。石の種類は、鎧石、赤石、紫雲石、龍眼石、伊勢古谷石等が見られる。

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 10.志摩地方の石
  ① 鍾乳石 ・・・ 磯部町の天岩戸一帯には、石灰岩層が広範囲に山地を成し、各所に小規模な幾つかの鍾乳洞を形成している。神聖視されている水穴(瀧祭窟)や風穴以外にも、入洞できる鍾乳洞が複数あり、この内の一つ、石灰岩採石場跡の洞穴(通称、廃窯の穴、奥行き約80m)の内部には、大・小様々なツララ石や石筍、石柱、それに洞窟珊瑚などの鍾乳石があり、無惨に荒らされたまま、現在ではそれらの残骸が洞床に散乱し、放置されている。カットし磨けば鑑賞石になるものもかなりある。
  ② 鉄石英 ・・・ 阿児町立神の西山半島の一端、入り組んだ英虞湾の海岸にかつてマンガンを採掘した廃坑がある。ここの主な鉱石は含マンガン赤鉄鉱と二酸化マンガン鉱であるが、石英脈が網目状に入り組み、鉄石英等は、研磨によって石肌を出せば、赤白のまだら模様のきれいな鑑賞に堪える紋様石となる。
  ③ 石灰岩 ・・・ 伊勢市と磯部町を境する逢坂峠(伊勢道路の島路トンネルの上)付近から、磯部町の天岩戸を経て鸚鵡石付近の広の谷までのエリアには、至る所に石灰岩が点在する。Sazsreishi
石灰岩そのものは全く水石には不向きであるが、雨水や流水等による溶食の著しい岩石ゆえ、穴があいていたり、滑らかな凹凸が特異な形を醸し出していたり、中には混在する輝緑凝灰岩等と相まって龍眼石や雀石となり、水石の風格を持つものがある。希にさざれ石(石灰岩角礫岩)も見つかる。
  ④ その他 ・・・ 水石ではないが、阿児町の志摩自動車学校付近等の地層から、「高師小僧」と称する面白い形のコンクリーション(沼鉄鉱の一種で、普通は指の大きさ程度)が採れる。

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