伊勢すずめのすずろある記

伊勢雀の漫歩…。
 伊勢の山々から志摩の海までの、自然史スポット&とっておき情報など…。
  感性の趣くままに-。

志摩の外海、海岸紀行

2010年10月22日 | 伊勢志摩旅情

~ 安乗岬から波切を経て、御座岬へ ~【 中編 】

 

大王崎の上空から眺めた波切

大王崎の界隈を北から南へ

須場浜(すばのはま)から眺めた波切の灯台  志摩は、その昔、万葉人が「美し国」(うましくに)、「御食つ国」(みけつくに)と詠んだように、新鮮な海産物の豊富な、お伊勢さんの隣国である。 特に東に突き出した小高い大王崎の付け根の漁港が、波切であり、南北に続く荒磯は、「老崎」や「大里浜」、「須場の浜」、「宝門の浜」、「船頭の浜」、「米子の浜」を始め、地元の海女たちの絶好の漁場となっている。

 波切の北方には、畔名(あぜな)と名田(なた)の村落があり、いずれも防波堤の外に船着場程度の漁港しかないが、沿岸漁業と農業を主とする半農半漁の村落である。

 

畔名の海岸風景  市後浜の上を走る幹線道路は、志島を抜けるとすぐ右手に国道260号線への分岐路があり、左先の畔名へは下り坂となるが、この道を下ると畔名の村落に入る。ここは、弧状をなす湾奥の防波堤とこの道路に挟まれた、幅数十mほどの低地に細長く家屋が密集しており、次第に南北の丘の上へと居住区が広がっていった様相を見せている。元の地形は、海跡湖的な湿地帯であったのだろうと思われる。

 海岸に出るには、普通車だと路地道が狭く、厳しくて入れないゆえ、一旦、志島のはずれの分岐点の少し先まで引き返し、畔名小学校への小道(普通車一台が、すれすれに通れる程度の道幅しか無い)を大廻りしなければならない。地元民しか滅多に来ない、こじんまりした弓なりのビーチの両端は、小高い岬になっており、絶壁を成す海食崖真下の岩場や荒磯は、磯釣りには良いかも知れない。ちょっと面白い事に、この海岸にはカラスよりトビが多い。北方の小さな岬を「鳶ヶ巣」(とびがす)と呼称するのも頷ける。

 

 元の道路に戻り、畔名から、さらにアップ・ダウンを繰り返し少し進むと、舗装道路は海岸に向かうカーブの下り坂となり、左手前方に狭い低湿地があり、防波堤の向こうに海が開けてくる。ここは名田の大野浜である(ブログのバックナンバー参照)。 最近、道路際からすぐ前の防波堤に登る道が整備されたばかりだ。このこじんまりした礫浜のビーチは、まだ地元民もたまにしか来無いが、付近の藪道は東海自然歩道となっている。

名田の明神島 この大野浜の低地を越えたすぐ先に、舗装道路から左折して入る、名田の狭苦しい海岸へのバイパス道路が、最近ついた。名田の村落は、沿岸の狭い谷間に家屋が密集し、上方の幹線道路(県道)までへばりつくように建て込んでいる。突堤のすぐ前には、駱駝の背中のような明神島(地形的にはホッグ・バック-豚の背構造-の「離れ岩」的な岩島)が突き出ている。昔は祠を祀っていたようだ。特にこの近海は、海女たちの格好の漁場である。

 

 かつて、近海を航行する船舶の難所の一つだった、大王崎のある波切は、岬の灯台巡り(大王崎灯台。有料で公開されていて、登る事が出来る)で有名であるが、志摩地方では、魚市場を持つ比較的大きな漁港町である。ここは、漁村のイメージは全くと言ってよいぐらい無くて、細い灯台道に続くメイン道路には、真珠製品の販売店や海産物店、みやげ物屋などが並び、観光旅館や民宿の他、釣り客の為の渡船宿もある。早期より鵜方からの国道(260号線)が整備されて通じ、賢島や英虞湾とともに、志摩めぐりの観光コースのメインになっていた。冬場を除けば観光客の来訪も頻繁で、港湾北の干拓も進み、波止めブロックで護られた長い突堤が出来、無料駐車場やペーブメントなど、周辺域の整備も急ピッチで成されつつある。

米子の浜から眺めた波切の灯台  大王町は、当地波切を「絵描きの町」としても広めようと、そのP.Rに力を入れている。著名画伯や文人も数多く訪れ、灯台の見える風景は、写真よりも絵画の方が目栄えがし、地元の画家による名画も少なくない。地元の名人画家と言えば、先年亡くなられた甲賀の南幸男先生が偲ばれる。「波切」をテーマに数々の風景画の大作を描かれているが、どの作品も実に素晴らしい構図とタッチの名画であり、アーティストとしてばかりではなく、教育者としても遺憾なくその才能を発揮された立派な方であった。先生の知遇を得た者の一人として、合掌を禁じえない。

 当地から西方には、握りこぶしを英虞湾に突き出したように、丘陵地を成す登茂山半島が伸びているが、一直線に伸びる完全舗装の貫通道路が湾岸まで続いている。先端は、登茂山の頂上とともに、英虞湾を見晴らす優れた展望台(桐垣展望台)となっている。この登茂山半島は、英虞湾に臨む程良いスペースの自然公園であるが、最近はリゾート地としての開発も進められ、新設ホテルや人工ビーチ(次郎六郎海岸)の他、屋外スポーツ施設等もかなり増えている。

 

海跡湖を成す大王町・船越の大池  大王町から英虞湾を取り囲む、先志摩半島の先端の御座までは、点在する村落をつなぐ国道260号線が唯一の陸上経路であったが、最近になって、平行して延びる立派なバイパス道路が、英虞湾側に完成した。この先志摩半島に行く付け根の部分が船越(大王町)で、陸けい砂州の低地の真上に立地した漁村である。太平洋側には弧状の前浜がビーチ・カスプを見せて広がり、道路際には、この海湾を眺める「船越前浜小公園」が設置されている。前浜から数百mと離れていない英虞湾側は、湾奥の入り江が天然の良港となっている。但し、外洋に出るには、以前は御座岬を大廻りして行かなければならず、実に不便であった。低い地峡となった陸上を、その昔、男たちが人力で船を引っぱり、担ぐなどして運び出して行ったであろう事が、その地形から容易に伺え、それに基づく地名(船越)の由来がよく理解できる。

深谷水道  防波堤と一体化した船越の道路(国道260号線)を通り、村落を過ぎると、左手に葦の生える海跡湖のような「大池」を見る。海に近い池畔には船越温泉の小屋がある。そして、退治崎へと続く丘陵をアップ・ダウンすると、間もなく「深谷大橋」と言う小さな橋に出るが、この下は、志摩地方唯一の運河である「深谷水道」(ふかやすいどう)となっている。この人工の水路は、幅20m程だが、 英虞湾と外洋を行き来する小型漁船専用の通路であり、船越の漁船にとってはこの上なく便利になった。深谷水道を超えると、その先は志摩町となる。

船越の前浜

 

掲載写真は、上から

大王崎の上空から眺めた波切
須場浜(すばのはま)から眺めた波切の灯台
畔名の海岸風景(漁港と言っても、船着場のみである)
名田の明神島
米子の浜から眺めた波切の灯台
海跡湖を成す大王町・船越の大池
深谷水道
船越の前浜

コメント
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