アバウトなつぶやき

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岸田劉生展

2020年02月02日 | かんしょう

名古屋市美術館で開催中の「岸田劉生展」を観に行ってきました。

娘を描いた麗子像シリーズで有名な岸田劉生。
誰もが知っている絵を描いているにも関わらずどんな画家なのか気に留めたりはしてこなかったのですが、展覧会のおかげで人物像が少し見えてきたので興味を持ちました。
ちょうど少し前に風景画を観る機会があった(この辺りのコレクション展か何か?でも三重の《麦二三寸》ではなかった)のですが、美しいというわけではないけれど奥へと続く道が印象的な絵だったので風景画がもっと観たいとは思っていたんですよね。

さて、展覧会のおかげで岸田劉生のことを知る機会を得たわけですが…。
まず、38歳という若さで亡くなっているのを知りませんでしたし、20代に肺病と診断(誤診らしいけど)され、外出を控えたため風景画の点数が少ないことも知りませんでした。
まぁ、風景画を目的としなくても「日本近代美術史上に輝く天才画家」なんてあおりを付けられては興味を失うはずもありません。

岸田劉生が天才といわれる所以。
それは日本の近代絵画において黒田清輝が「輸入」した印象派から脱却して自分の画を探求し続けた点にあるようです。
この展覧会はその画業自体が岸田の魅力なのを伝えようとしているのがよく分かる構成になっていて、展示が制作順に並んでいます。
今回、キャプションと作品リストを見て制作年の所に日付まで入っているのに驚きました。
気にして絵を見ると、確かにサインの所に日付が入っていて(このサインも制作の時期や画風によって色々変わっていて面白い)、まるで日記のように試行錯誤しているさまが見て取れます。

印象派のようなタッチからデューラーやファン・エイクらの影響を受けて写実的になり、そこからまた変容を遂げていきます。
岸田は武者小路実篤の「自己のための芸術」という考え方に共感していたということで、自分の表現の追求として色んな技法で自画像や人物画を描いています。
これを見て私は思いました。「この絵、欲しがる人っているのかなぁ」と。
もう、生粋の芸術家ですよね。同じものを何点も、しかも肖像画として注文を受けたわけでもない自画像を延々と描くんですから。
実際、1914年の個展(クラッシックに傾倒した頃)では1点しか売れなかったそうです。
それでも支え続けた奥さま、すごいです。さすが「画家の妻」。
この奥さま、学習院で教鞭を執っていた漢学者の娘で鏑木清方に日本画を師事していたというのだから芸術や文化に理解があるのは頷けますが。
(私が心配しなくても、生活が出来るくらいには仕事はあったのでしょうけど)
娘の麗子も父親のモデルを精一杯務めたようですし、良い家族ですよねぇ。

風景画については苦手だと思っていた時期があったのは確かなようで、「色で画くから画けないことがわかった」「捨てれば描ける」と語ったという逸話が紹介されていました。
なるほど、点数が少なかったのは外出できなかったのだけではなかったのね。
あの独特の風景画、眺めて美しいとは思わないのだけれど道の向こうに何かがある気がして飽きずに見れそうではあるんですよね…。
風景画は自宅周辺を描いた作品と、大連で描いた作品を見ることが出来ましたが、自然の美しさを描きとろうとした作品という印象はなく、色々と考えることが多い人だったんだろうなぁと思ったのでした。

私にとって、美術展と言うより自叙伝でも読んだかのような印象を受けた展覧会でした。
芸術家って大変だ。。。

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おまけ

常設展示室に寄贈を受けた藤田嗣治の作品2点が紹介されていました。
これが両方とも名作で!
特に《夢》という作品は白いわ裸婦だわ猫いるわで、フジタらしさ満載のすごく素敵な絵でした。必見です。


ラフ∞絵 展

2020年01月25日 | かんしょう
コートールド展を観たあと、シロウタが「私、もう少し余力ある」というのでどこかギャラリーでも寄る…?と言いながら検索したらヒットしたのがコチラ!
 
えらいこっちゃ!
高田明美氏の原画観れるってことやん!? 
そういえばFacebookでそんな記事読んだ気がするぞ。あかん、行かねば。
 
シロウタと三越で分かれて会場へ向かうワタクシ。
その日は16時から大河原邦男氏がみえるとのことでしたが、その時間からのイベントに出席していては夕飯が作れないので帰りました。それを家で話したら「なんで出やんだん!?もったいない!!」と息子にも主人にも言われました。
そうね、あなた達ガンダム好きには垂涎モノだったわね。

この展覧会の4人、みなさんタツノコプロのご出身だったんですね。
アニメーターの経歴でタツノコプロってのは「へぇ、そうなんだ」なんですが、秋元治氏もタツノコプロに居たとは思いもしなかった。両さん描く前はガッチャマン描いてたとは
 
企画はラフ絵ってことで、企画時の資料から新作まで色々揃っていますが印象的だったのは天野喜孝氏の屏風です。風神雷神を美人裸婦で描いた屏風は芸術でした。他にも天野氏の、この展覧会に合わせて描かれたカラー新作は200万円の値を付けたまま売約済みになっていました。
そして私の大好き高田明美氏の作品もすっごいキレイで良かった~
マミちゃん、どえらいかわいいし。
秋元氏のネームも、大河原氏の企画書やフィギアも、もう見所満載でした。
 
展覧会内は撮影不可ですが、最後の部屋の作品だけは撮影可能でした。
それぞれの作品をそれぞれの作家がお互いに描くという企画です。
せっかくなので撮った写真をご紹介…と思ったけど、SNSにアゲて良いかどうか説明が描いてあったはずなのを確認して来なかったのでとりあえずやめときます。
あー、行けて良かった。シロウタ、ありがとう。

コートールド美術館展

2020年01月25日 | かんしょう

先々週のことですが、愛知県美術館で開催中の「コートールド美術館展」を観てきました。今回は土曜日。シロウタと一緒に休日はちょっと珍しいです。

おかげでスライドトークに参加することが出来ました。次週だと「怖い絵」でお馴染みの作家、中野京子さんの講演会があった様だけどそれは仕方ない。

トークが始まった際、「この中でコートールドに行ったことあるよって言う方居ますか?」と尋ねたら、手を上げたのは(私の見える位置からは)お一人でした。
そうですよね、少ないですよね、みなさんロンドンに行ったらまず大英博物館へ行ってしまう。そしてナショナル・ギャラリーやテート・モダンへ行った辺りで時間が足りなくなってしまうのでコートールドまで足を運ぶ方はなかなかいらっしゃらない、、、という事を学芸員さんがおっしゃいました。
あぁ…分かる、わかります。私は海外の美術館には疎いのもあって、今回展覧会の事を知るまでコートールド美術館のことを知りませんでしたから。
他の方達が私と同じとは言いませんが、この企画で紹介されるまで《フォリー=ベルジェールのバー》がマネの最晩年の作である、とかこの作品がコートールドにあると言うことを知らなかった人は少なくないだろう…と思う。
コートールドが改修工事のために貸し出ししてくれてるおかげで、この作品たちを観ることが出来るけど、こういうことでも無かったら私の生涯で観ることのなかった作品たちだろうなぁ、としみじみ思います。

コートールド氏のコレクションは「卓越した審美眼」と称されるのが頷ける、名作揃いです。
印象派の名作がそろい踏み。マネ、ルノワール、ドガ、セザンヌ、ゴーギャン、とビッグネームが揃っているんだから観ないわけには行かないですよね。
しかし、ビッグネーム過ぎてここの作品に感想を書くのは気が引けます。ファンや研究者が多すぎる

出展は60点ですが観れば重力を感じる作品群のうえに、ピックアップ作品についた解説が入念かつ分かりやすいのでとても楽しめる展覧会になっていました。


岡﨑乾二郎ー視覚のカイソウー展

2020年01月11日 | かんしょう

豊田市美術館で開催中の岡﨑乾二郎の回顧展「視覚のカイソウ」を観てきました。


▲リーフレットは「あかさかみつけ」シリーズで8種類も作られてました。「どの色が良いか悩む~」とうなっていたら受付の女性が8枚とも勧めてくれました

 
岡﨑乾二郎は以前、「モネーそれからの100年ー」展で観て気になっていたので、機会があったら他の作品も見てみたいと思っていました。
そしたら昨年末の日曜美術館で紹介されていて、しかも豊田市美術館で展覧会が開催中と知ってびっくり。都合がついたのでさっそく観に行きました。
私は前述の展覧会で、まずタイトルが印象的でした。
文章としては前後のつながりがない、散文詩のようと言えば言えなくもない、イメージを散りばめた言葉の集合体のようなタイトルです。
絵を見てタイトルを想像するのはまず無理で、タイトルを読んで絵を見ても難解で、すぐに理解することは出来ません。

▲たとえば、この写真の中央の作品名は(2枚1組で)「淡水水産物つまりおサカナ、といっても人の放流したアユやニジマスを穫って暮らしている。水面から水の裏を見透す(背後に食客三千)。水を飲み、氷を食べる暮らしと違わない(水は凍って大きく膨らむ)、だからサカナたちから税を奪う。」「おサカナたちは成長してゆくご自分の姿などにはお気づきにならない、だからこそは思う壷。誘いの水が水なのだから(地理には明るい)。海の下だろうと雪の中だろうと違わない(魂は舞いはじめ先へ急ぐ)、もう目覚めることもないだろう。」

それで私は、この岡﨑という人は思いついたものを宝箱をひっくり返すようにぶちまけている人なんだろうと思っていました。
しかし日曜美術館を見て、表現の全てに意味があり絵は計算して描いている事を知り、見方がぐるりと180度、、、というか165度くらい変わりました。
頭の中の宝箱をひっくり返したりもしてるのでしょうが、ぶちまけているのではなく、「ひっくり返したように見える」ように一つ一つ並べている人だったのです。
だから、非常に哲学的!
岡﨑氏は「この世界は決して一元的なものではなく、たがいに相容れない固有性をもったばらばらな複数の世界から成る」とおっしゃっていて、それを具現化する手段としてさまざまな表現をしているようです。
たとえば絵という一般的に2次元といわれるものに対して立体のみならず時間の変化という4次元的な要素も加えています。

それは↓のポンチ絵にも表れていると思います。


作品というよりラフ画ですが、紙を重ねたりたゆませたりしています。
これはきっと平面的な落書きの張り合わせではなく、絵に物理的な奥行きを持たせることで時間を内包しようとしているのではないかと思います。
 
また、岡﨑氏は親御さんが建築家ということもあり、建築にも非常に造詣が深いようです。
この作品はイタリアのトリエンナーレだったかな(ギャラリーツアーで色々教えてもらったのですが、何かと物覚え悪くて)、とにかく屋外での展示経験があるのですが、この形状でありながら支えなしで自立するのだそうです。これはすごい。

建築という角度で見た場合、構造的な工夫もさることながら、空間に対する思いが芸術という手法で表れているのが分かるのが「あかさかみつけ」シリーズでしょう。 
リーフレットの写真に使われているプラスチック段ボールで作られたレリーフがそれです。
この「あかさかみつけ」は氏の初個展で発表して以来、全て形状は同じで色や素材の違うものを30数年に渡り作られているそうです。(今回、会場入ってすぐの壁に同じ素材の「あかさかみつけ」14点が並んで展示してあり、なかなか壮観でした。)同じ形状で色の違う作品を作り続ける意図とは、を鑑賞ツアーでも話していたのですが、それはやはり同じ場所でも時間が違えば違う表情を見せることを示唆しているのだと考えます。
 
この街の名前のついたレリーフたちを配した空間が「たてもののきもち」です。(このコーナーがなかなかイイ感じ)


たてものによって空間の見え方が変容する、ということで、作品を1個体で鑑賞するのではなくいくつもレイアウトすることで空間を作り出しています。
「作品」は外部と区分された作品内の空間=「内部」を自律させることをその後成立条件としていると考えました。
と、キャプションには書かれていました。
 
前述の「この世界は一元的ではない」ということの表現に挑んでいる〈Physiognomy〉がありました。
これは、氏がタブレットを使って描いたデータをコンピューターで出力し、それを何枚か組み合わせた作品です。出力の際に紙を手で持っていたとかで少しずつ違う表情をした絵です。
さて、この何枚もの絵は誰が描いたのでしょうか?と問うものです。
彫刻だって原型があり、それを鋳造したからと言って職人さんの作品とは呼ばれないわけですから、誰が、問われればコンピューターでなく岡﨑氏が描いたと言って差し支えないと思いますが、そもそもこれについては問いかけ自体が作品であり、答えを求めているとは思えません。
 
鑑賞ツアーに参加しなければ意図に気付かずスルーしてしまっただろうと思ったのは布をコラージュした作品の部屋でした。
岡﨑氏が作品作りを始めたきっかけが洋服の型紙だったというエピソードを教えて頂いたのです。なるほど、型紙は確かに平面を立体にするレシピだし、逆に洋服を切り離してしまえば平面になります。そう、世界はつながっているのです。
 
…と、考えさせられる展覧会ではありますが、考えずに作品を観てももちろん楽しいです。


こうやって眺めていても楽しいけれど、これに近寄ると、、、
絵の具がジェルのような透明感を帯びていて美しい♡
 
一つの作品がきっかけで気になった作家さんですが、知ると奥が深くてとても興味深い方でした。
かなりインテリ風が吹いていますが、嫌いじゃないですよ!私。(むしろ好き)
現代作家はこうやって、本人の考え方や観るポイントを知ることが出来るのが良いところですね。

---おまけ---
恵那川上屋の「栗一筋」が今季は今週末で終了って書いてあったので、遠回りして可児御嵩店へ行ってきました。

甘さ控えめのさくさくメレンゲにカスタードと生クリームを乗せ、苦めのキャラメルソースをかけたらその上に甘くない栗きんとん風の栗ペーストがどばぁ~っとかけてあるという代物。結構大きいけど、甘くないからぜんぜんイケる。
栗好きとしては一度は行っておかないとねー。
それにしても可児、久しぶりに行ったけどなんか頑張ってる感があります(大河がらみでも)。
次に川上屋に行ったら、洋菓子にチャレンジしたいなぁ。

地球★爆ー10人の画家による大共作展ー

2019年12月24日 | かんしょう

愛知県美術館へ二科展を見に行った際、ついでだから寄っていこうかな…という感じで入った「地球★爆」展。
入ってびっくり、観てびっくり。
なんだ、これー!インパクトがすごいんですけど!!

 

「地球・爆」は国内各地域で活躍する10人の画家──伊坂義夫、市川義一、大坪美穂、岡本信治郎、小堀令子、清水洋子、白井美穂、松本旻、山口啓介、王舒野──による絵画プロジェクトで、11組で合計約150点の絵画パネルで構成され、全長は200メートルを超えます。

 2001年に起こったアメリカでの同時多発テロ事件に呼応して岡本と伊坂と王が企画し、彼らの呼びかけに賛同した7人の画家が加わりました。構想図案から検討して「共作」する、というアイディアのもと、2003年に着手。全決定稿がそろったのが2007年9月で、そこから本画の制作が始まりました。2013年2月に完成していた第1番は、同年開催の「あいちトリエンナーレ2013」で紹介されました。

 最年長の岡本が、少年時代に衝撃を受けた1945年の東京大空襲や広島と長崎への原爆投下も含め、20世紀以降の戦争が人類にもたらしたものをテーマとする、この絵画プロジェクトでは、それぞれの画家が個性を生かして描き方に変化を与えつつも、全体としては、ユーモラスで乾いた形で、あたかも一つの「絵巻物」のように表現されています。
 史上最長級、の反・戦争絵画をこの機会に体験してください。

【出品作家】
伊坂義夫、市川義一、大坪美穂、岡本信治郎、小堀令子、清水洋子、白井美穂、松本旻、山口啓介、王舒野

▲愛知県美術館 企画展 案内より抜粋

見に行く前の予備知識は「10人の画家による大共作展」であること、「反・戦争絵画」であることだけ。
2013年のあいちトリエンナーレは行っていないので、テレビニュースで見た紹介映像とリーフレットから「ポップな絵画で戦争を表現している展覧会」という印象でした。

さて、会場に足を踏み入れてみると少し変わった構成ではあるものの、当初の想像と同じような印象を持ちました。「あぁ、戦争をモチーフにした絵画群なんだな」と言ったところでしょうか。

しかし、見ているうちにだんだんとざわざわとしてきました。
前出のリーフレットで使われている作品だとゲルニカやヒトラーをイメージできますが、そういう視覚的にモチーフが伝わる作品ばかりではありません。
私は戦争が怖くて深く学ぶことを拒否してきた側の一人だと思います。だから、ある程度、一般的によく知られている事象についてしか分からないのでこの絵画たちの意味することがなんなのか、何をモチーフにして訴えかけているのかがつかめない部分が多いのを実感します。
でも、そのうえで通常の日常ならざるものが紙の上で展開しているのは分かる、伝わるのです。
かわいらしいタッチだったりスタイリッシュだったりする、大きくのびのび描かれた絵画たち。とても健全そうに不健全が描かれている気味悪さ。
そういうものが会場内に広がっているのです。

そのうえで作品を理解したいと思った時、
このタブロイド判の作品解説はとても大事↓

 絵画を見るとき「受け手の解釈に任せる」というのは芸術家の常套句であり、理解力の乏しい私は発表した以上そのスタンスでいてくれる方が望ましい、と思っているのですが、この展示はそういう見方もできるけれど隠れた意味を知るとさらに興味深く見ることができます。
だって、私の知らない事象をモチーフにしている作品が多いんですもの。

今回参加している画家さんたちのことを知らなかったので、てっきり若手作家が取り組んでいると思って「この人たちよく勉強しているなぁ」と思いながら見ていたのですが、最後の部屋でこの企画の中心人物である岡本信治郎氏と伊坂義夫氏の紹介がありました。
そこでやっと、この作品群の中心に戦争を知る人物がいて、戦後を生きた人たちがこの企画に参加していたことに気づきました。
最高齢の岡本信治郎氏は86歳。
岡本氏は以前からこの企画に通ずるテーマの作品を作っておられましたが、今回、この展覧会に合わせて新作を描かれたとのことでした。
なるほど、実体験を含めた思いがあって描かれた作品群だったわけで、それであの質量になったのか…と納得しました。
反面、若手ではなかったことに「やっぱり若者ではコレを描くのは無理なのか」という残念な思いもありましたが、そこは言っても詮無いことですよね。

この企画展を見て、戦争を考えると同時に価値観の多様性を考えさせられました。
時代によって、シチュエーションによって、大事なことが変わってしまうことを忘れずに生きていかなければと改めて感じたのでした。