北大ボートblog

北大ボート部部員によるほぼ定期更新ブログ。

やがて大きな花は咲いたのか

2023-09-29 06:36:24 | 2023引退ブログ

引退ブログ

こんにちは、4年目の岩本です。

札幌に帰り、ボート部の生活から離れてから2週間ほどが経ちました。毎日のように通っていた茨戸が一気に遠くなった気がします。

 

突然ですが、大西みたいにある言葉を紹介します。
高校の時、部活の顧問の先生に教えてもらった言葉のうちの1つです。

「何も咲かない寒い日は下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」

この言葉、ご存じの人も多いかもしれませんが日本女子陸上界に史上初となるオリンピック金メダルをもたらした、高橋尚子さんの高校時代の顧問の中澤正仁さんの言葉らしいです。(もっと元をたどると元三洋電機副社長、後藤清一氏の言葉で著書の『リーダーズノート』にも収められている名言で、中澤さんが大学陸上部時代に監督の上田誠仁さんから送られた言葉らしいです。 つまり受け売りの受け売りの受け売りの受け、、、)

意味としてはネットで拾ってきたのをそのまま書きますが、

最初から花が咲くことも、花が絶えず咲き続けることも難しい。陽の光を浴び、水を吸収ししっかり根を張り成長してこそ、大きな美しい花が咲くのだ。マラソンや筋トレのように常に数字がつきまとうと結果が出ないと焦ったり、諦めたりしたくなりがちだが、苦しいときに踏ん張るからこそ、根が伸びるのだ。根を伸ばすことをやめなければ、やがて大きな花が咲くだろう。

こんな感じです。ボート競技も数字が付きまとう競技ですよね。

ふとした時に思い出し、意味を調べて、シンプルにいい言葉だし、北海道の気候とか、冬連やエルゴにぴったりだと思いました。ボート競技やってたら誰しもがぶつかるような苦しさに、耐える意味をストレートに教えてくれる言葉だと思います。


書き始めてみたはいいものの上手い話もないのでみんなと同じように4年間の振り返りをしようと思います。先に言っておきますが、こんな感じで思い付きをだらだら書いてます。中身うっすいですごめんね。

 

1年目

正直秋までの記憶はほとんどありません。自分は後期入学だったので下宿する部屋を探す猶予も短く、コロナで全面オンライン授業となり、急いで札幌に行く必要もないなということで、夏まで実家にいました。

部活もサークルもなんとなくネットやSNSで新歓情報を見るくらいで、特に行動に移していませんでした。
僕は高校でラグビーをやっていた上、1個上の先輩が北大ラグビー部にいたので困ったらそこに入ろうかなとか考えていたような気がします。結局ラグビーは見る専門になりましたが。

そんなこんなしてたら下手をして秋になってしまいました。気づいたらあんなに大々的に新歓を行っていた部活もサークルも新歓終了モード(のちに新歓やる側になって新歓の仕組みやしんどさを知ってからはそりゃそうだよなとは思ってます)で結構焦りました。
手当たり次第に興味ある部活を体験しようとした中で最初に行ったのがボート部でした。
大学で何かやるからには、何か新しいこと、大学でしかできないことをやりたいなーと漠然と考えていた自分にとってボート部はドンピシャ、勢いで2回目の試乗会の時に入部宣言しました。他にも動機はあったかもしれませんが正直あんまり覚えてません。
その時もうすでに10月。エイトに何回か乗せてもらって、藤田さん(H29入学)が救急車で運ばれるのを見たら、あっという間に納艇でした。ローイングのロの字も知らないまま冬連に入りました。
今でこそ思いますが、もうちょっと漕いでから冬連に入ってたらやめてたかもしれません。

1回目の冬連はまさにエルゴ部でした。コロナで制限された活動の中、先輩の家に行っては40minUTやって帰る生活をしてました。普通に考えたらきついですが、その時はエルゴビギナーのためやる度に記録が伸びるのが楽しく、全然苦ではありませんでした。どちらかというとジムやゲーム感覚でした。
また、自分より早く入部していた人たちを魅了する何かがボートにあるのだろうと思い、それを見ないうちにはやめようと思ったこともありませんでした。特に久我と吉岡は若干怖いくらいモチベあったと思います。
とはいえ、後から聞いたことですが、有り難いことに当時はいろんな人に気を使ってもらっていたみたいです。

 

2年目

2年目(実質1年目)のシーズンイン後はなかなか漕ぐことが出来ない時期が続きましたが、国体予選で4+(勢雄)に乗って初レースに出ました。当時のクルーは真太郎さん(H30入学)、伊藤亮太さん(H31入学)、同期の久我、長坂と自分でした。
ボートって何?状態で冬連を超えた自分にとって、このレースが初めてボート競技に触れる瞬間でした。

今思えばド下手でクルーには迷惑かけてたと思いますが、予選から敗復で15秒くらい更新して嬉しかったのを覚えてます。
そっからまたコロナ自粛の暗黒期に入るのですが、このレースのおかげでモチベが上がり、色々あってインカレ2nd8+に出ることになりました。
結果は惨敗でしたが、決して無駄じゃないし、サポートして下さった当時の先輩方には感謝しています。
また当時は新人戦もなくなったり、部内各所で暗黒期に入っていましたが(特に吉田)あまりうまい言葉をかけることはできなかったです。

2回目の冬連は大失敗しました。インカレの流れでモチベがあり、最初のTTこそベストが出たものの、第2期に入ってから大きく体調を崩しました。あんまり他の人に言ってないのですが具体的には下血してました。病院で検査しましたが原因は不明でした。しばらくして体調は回復したのですが、体力はだいぶ落ちてしまい、冬連1期ほどのモチベーションも維持できなくなっていました。ただここでやめるのは個人的にあり得なかったので、なんとか最後のTTだけは参加しました。

 

3年目

大失敗した冬連から巻き返すためそれなりに頑張りましたが、結局このシーズンは東北戦、インカレ共に落選しました。結果的に出ることになったオッ盾でしたが、正直ぶっちゃけると、始めはそんなに乗り気ではありませんでした。ただ練習を重ねていくうちにどんどん艇速は上がっていき、1年生(現2年目)の成長速度に感化される形で本気になっていきました。上野さん、狩野さん、真太郎さん(H30入学)をはじめとした新トレの方々にお世話になりながら、大きく成長もできたと思っています。

インカレで見た対校4+のB決勝にはまさに心が躍りました。自分もこんなレースがしたい。来シーズンにおける目標になりました。

ラストの冬連はとにかく伸び悩んでも気にしないを信条にやりました。経験則ですがウエイトはあきらめずにやっていれば必ず伸びてくれます。どんな人でも。才能はいらないと思ってます。エルゴやバイクの結果が伸び悩んでも冒頭の言葉を思い出し、大して気にせずに続けることが出来ました。

 

4年目

ラスト
最も濃密な一年でした。代替わり後、人数の少ない僕ら4年目で本当にちゃんと部を運営していくことが出来るのか、正直なところ不安でした。しかし、コーチ陣や先輩方や3年目の幹部の皆、スタッフの皆に支えられて何とかインカレまで続けることが出来ました。

全日本ではふがいない結果に終わってしまいましたが、東北戦への布石にできたと思います。

茨戸レガッタ、決まったばかりの東北戦クルーをばらした急造クルーで4+に出場し優勝しました。(他のクルーは納谷、千里、安永、井上で全員3年目)実は1位になったのはこのレースが初だったりします。心躍りました。結構思い出に残っています。

東北戦、久我が離脱しどうなるかと思いましたが、本番でベストパフォーマンスをぶつけることが出来ました。勝利は来年に任せます。

インカレラストレース、ラスト500mで応援が聞こえ、間違いなく心躍りました。レース結果には悔いは残っていません。いわゆる大きな花は咲かなかったかもしれない。けど、最後に少なくとも心躍るレースが出来、その目標は達成できました。拡大解釈かもだけど花は確かに咲きました。最後の茨戸でのあの出来事も含めて生涯の思い出です。

そして、会計として、年末のエントリー料の引き上げや体育会の強化費の減額、等々ありましたが、なんとかまとめることが出来そうです。茨水会、OBOGの方々からのたくさんの御支援、応援のおかげです。本当に心からお礼申し上げます。

この4年間、何一つ無駄なことなんてなかったと思っています。OBOGの方々、先輩方、後輩達、同期、4年間本当に有難うございました。


いくつか残っている仕事を終わらせたらとりあえず真に引退です。2年後どうしてるかな。

ちょっと日付がずれ込んでしまいました。ごめんなさい。

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