語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】後藤田正晴回顧録(3) ~政治家の質疑応答能力~

2011年09月28日 | ノンフィクション
 9月27日、衆院予算委員会で、野党の質問に新任閣僚が醜態をさらした。
 山岡賢治・国家公安委員長は、警察権と自衛権の相違を問われて答弁に詰まり、「事例に応じて対応するということ」などとピントがずれた回答をしている。安住淳・財務相は、国家公務員宿舎朝霞住宅(埼玉県)の建設問題をめぐり、見直しを迫った塩崎恭久・議員(自民党)に対し、「(塩崎)先生のようにご資産のある方はいい」などと答弁。謝罪に追いこまれている【注1】。
 平岡秀夫・法相は、米軍岩国基地への米空母艦載機部隊の移転に反対していた過去を自民党から追及されて激高、審議を紛糾させた【注2】。
 もっとも、野党の質問に立ち往生するのは、民主党の専売特許ではない。与党時代の自民党も似たようなものだった。

 【注1】記事「タジタジ新任閣僚、山岡氏は答弁詰まり立ち往生」(2011年9月28日09時27分 YOMIURI ONLINE)
 【注2】記事「平岡法相たまらず激高、注意受けて発言撤回」(2011年9月28日09時21分 YOMIURI ONLINE)

 例えば、イラクに対する多国籍軍支援のための法律案をめぐって、次のようなやりとりがあった。
 後藤田正晴は、当時、総裁指名の総務をやっていた。総務会に政府側から中山太郎・外務大臣、外務省の数名の局長、防衛庁の局長などが出席して法律案の説明があった。みな、この程度かな、というぐらいの話だったが、後藤田は「これはおかしい」と質問した。
 (1)案の中身は後方支援で、憲法上問題ない、という説明だが、後方支援とは何か。近代戦で前線と後方の区別はあるか。
 (2)その後方支援で、武器、弾薬、兵員の輸送をやるか。(やる、という答に)武器、弾薬、兵員の輸送をやるなら、それは戦争参加だ。
 (3)「建設に支援する」とあるが、建設とは昔でいうと工兵だ。前線に武器、弾薬を送る、あるいは壕を掘るような工事をやるのか、やらないのか。
 (4)「通信に支援する」とあるが、通信は近代戦の文字どおり部隊運用の中枢だ。その中枢神経に日本がのこのこ出かけていって援助したら、これは戦争参加になるのではないか。
 (5)「衛生関係の援助」とあるが、衛生とは部隊付の軍医の任務があるのか、あるいは野戦病院の任務なのか、それとも兵站病院の任務なのか。
 ・・・・外務大臣らは、(3)、(4)、(5)に返答できなかった。 
 総務会は、全会一致だ。反対意見をもっていても、やむを得ないと思うと、異見を言うだけ言って、出て行ってしまう。そうすると全会一致になる。だが、後藤田はそれをしなかった。代わりに、国連平和維持活動(PKO)ならいい、と言った。すると、外務省の官房長が、そのとおり、PKOだ、という。後藤田は、PKOではないことは分かっていたが、承知の上で「PKOかい、そうかい、それならまあやってごらん、いいよ、PKOだぞ」と言った。
 はたして、法案が国会に出たら、後藤田の指摘とほとんど同じ質問が野党から出た。「そのとき、武器、弾薬、兵員の輸送は、危ないところはやめますとか、聞いておれんような答弁ですね。そして結局その法案は流れた」

 その翌年、海部内閣で、こんどはPKOの法律案が出た。海部内閣ではケリがつかず、宮沢喜一内閣でようやく成立した。国連平和維持軍(PKF)は凍結だった。海外での武器使用は駄目だ、ということだ。
 国連の規則では、PKOの武器使用は自衛の場合に許される。自衛には次の2つがある。(A)派遣された各国の軍隊の任務遂行に抵抗するものがある場合。(B)正当防衛の場合。
 (A)は、文字どおり戦闘参加だから、日本はできない。で、(B)だが、正当防衛は「個人の判断で、個人の責任で、自分自身の生命が危殆に瀬して、これ以外方法がないときには軽武器を正当防衛の行為として使用できる」と書いてある。これは、おかしい、と後藤田は外務省にも言った。
 自衛隊は、部隊指揮権によって組織として行動する。個人としての活動は、自衛隊としての本来的な考えからはみ出した考えだ。だから部隊全体が生命の危機に瀬するような正当防衛の事態に該当する時に、個々の判断と個々の責任などあるはずがない。部隊全体が危機に瀬したときは、指揮官の命令で正当防衛として武器を使ってよい、ということにすべきだ。これは部隊としての正当防衛であり、武力行使ではない(法制局に確認済み)。
 機動隊の部隊行動の時は、指揮官の判断、その命令で拳銃を使用する。個人の判断、責任で使用すると、かえって間違いが多い。
 ましてや自衛隊を海外に出して、危ないところにやっておいて、武器を使ったら個人の責任だ、という馬鹿な話はない。総務会でそういう発言をしたら、皆もっともだ、ということになった。爾来、直そうとしている・・・・。

 掃海艇の派遣についても、後藤田は批判的だった。戦が終わった後の海上交通の警戒はよいが、そのためには自衛隊法を直せ、と言った。自衛隊法第100条に1項目追加せよ、と言った。
 ところが、これを自衛隊法第99条でやった。こういう近道は、なし崩しになる原因をつくる。やれることはやる、それにはきちんと対応する、やってはならないことは拒否する、そういうふうにしたらどうだい。・・・・しかし、99条で派遣した。 
 99条は、日本近海の機雷の掃除をやる規定だ。その前提は日本近海だ。 
 ところが、法律には日本近海とは書いてない。書いてないけれど、日本近海の掃海が前提だから、防衛長官のルーティンワークでできる。もしこの条文がペルシャ湾のような遠方の掃海も想定しているとすれば、防衛長官は日本の武装艦艇を世界中どこにでも勝手に行かせられる。そんなはずはない。だから、ショートカットで法律に規定のないことをやるのはよくない。ちゃんと法の整備をやれ、と言っているのだ。
 「どうも外務省は率直に言うと、アメリカに言われると先に走り出す。自衛隊は、おかしいぞこれは、と言いつつ渋々ついていくという形ですね。ところが外務省の役人は実態がわからないんだ。防衛庁の諸君も本当は戦争をしたことがないからわからないんだけれど、やはり訓練でやっていますからね。とにかくいまの日本の体制はそういう点において防衛問題の処理については問題があると僕は思う」

 後藤田は、筋を通す。この性向は若年の頃から発揮されたらしい。
 彼は、台湾で終戦を迎えた。8ヵ月ほど後、帰国するため基隆に集まると、後藤田が使っていた台湾出身者の軍属が餞別だと千円くらいもってきた。いわく、(主計)大尉殿は私どもを全然差別しなかった、云々。
 「もちろん僕は差別なんて意識はなかったですから。むしろ日本人の部下にきついくらいでね。/台湾人の立場になってみると、そういうことを見ているんだ。決して甘やかしているわけじゃないんですよ。たまにはぶん殴ったりするんですから。それでも差別をしなかったと言うんですよ」

 以上、後藤田正晴『情と理 ~後藤田正晴回顧録~(上下)』(講談社、1998)に拠る。
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