語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】宗教が土着化するということ ~宗教と資本主義・国家~

2018年03月21日 | ●佐藤優
 <ただ、一神教にもいろいろあります。キリスト教は一神教ですが、ヨーロッパのキリスト教には、ゲルマン的なものや、ケルト的な季節の祭礼に根ざした感覚が相当入ってしまっていますから。
 (中略)
 12月25日は冬至の祭りからきていますね。私はクリスマスツリーが大嫌いで立てませんが、あれもつい最近、1950年代にアメリカで始まった商業主義由来です。そもそも一神教とはいっても、キリスト教は父なる神、子なる神、聖霊なる神という三位一体論をとっているので、何となくフワッとしていい加減なところがあるのです。
 【「神の子がいるなら、それも神だろう。神は唯一絶対のはずなのに、イエスという神の子がいるなら、神が唯一絶対ではなくなるだろう、というイスラムの立場からの批判もあります」という池上彰の指摘に対して】 
 そうです。ただ、それは人間の知で神を捉えようとしている議論だ、その議論自体が間違えている、というのがキリスト教神学の立場になります。その議論では、キリスト教は基本的に反知性主義ですから、この反知性主義というのは無知蒙昧という意味ではありません。人間の知性には限界がある、だから超越的なものを認めないといけないという立場です。それで「一であって三であり、三であって一なのだ」と平気でいうわけです。
 (中略)
 【「本来の保守主義者の考え方に」】親和性が高いといえます。そのため、キリスト教的な神学を学ぶと、だいたい保守的な発想にはなっていきます。ただ、その国の文脈による、ということはある。日本の場合はクリスチャン、特にプロテスタントというと、政府に対して批判的で云々という文脈があります。これは左翼や右翼であるかはあまり関係ないと思います。なぜなら内村鑑三(1861~1930、クリスチャンの思想家)は二つのJ--ジャパンとジーザス--が好きだといい、新島襄(1843~90、クリスチャンの教育者)は日本万歳といいましたから。
 日本のキリスト教徒の特徴はむしろ、薩摩と長州が嫌いだという点にあります。薩摩と長州の支配下で上昇できなかった若者たち--旧佐幕派--がキリスト教に向かった。自分の殿さまに対する忠誠心を、イエス・キリストに対する忠誠心と重ね合わせた、ということです。だから日本のキリスト教徒には親分・子分関係がすごく厳しいところや、リゴリスティックなところ--私、そういうところが嫌いなのですが--、今の社会を斜めに見るという体質があります。だからこそ、日本ではクリスチャンが人口の1%を超えられないのだ、と私は見ています。
 (中略)
 やはり大事なのは、今キーワードになっている「土着化」です。土着できなければ、それは生きた宗教にはならないわけです。

□池上彰・佐藤優・松岡正剛・碧海寿広・若松英輔『宗教と資本主義・国家 激動する世界と宗教』(KADOKAWA、2018)の「第Ⅰ部 対論」の「宗教が土着化するということ」から一部引用

 【参考】
【佐藤優】沖縄における魂観 ~宗教と資本主義・国家~
【佐藤優】国が追悼施設をつくるべきではない(靖国問題) ~宗教と資本主義・国家~
【佐藤優】「国家主義教」 ~宗教と資本主義・国家~
【佐藤優】出世教、学歴教、etc. ~宗教と資本主義・国家~
【佐藤優】お金という神さま ~宗教と資本主義・国家~
【佐藤優】人間の思考と魂の根底に迫る ~宗教と資本主義・国家~
【佐藤優】『宗教と資本主義・国家 激動する世界と宗教』の目次

 

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