語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】「国家主義教」 ~宗教と資本主義・国家~

2018年03月19日 | ●佐藤優
 <気づいていない「宗教的なもの」には、「国家主義教」というのもあります。国家が宗教の機能を果たしている、ということです。
 1945年の8月15日までの約10ヵ月、日本では多くの若者が、特攻隊でアメリカの艦船に突っ込んでいきました。この行為などは、やはり国家という宗教に殉じる行為だったといえるでしょう。
 (中略)
 森友学園問題というものがありました。森友学園の元園長・籠池(かごいけ)さんに対して「幼稚園児に教育勅語を読ませるのはおかしい」云々という批判がありました。
 私はそのことよりも、もっと根源的な問題があると思っています。大意を述べると、神道教育の趣旨は「神道は宗教ではない」という教育を行うことだ、と彼はいっていました。私はここに強く引っ掛かると同時に、怖いな、と思ったのです。それは、この発言に対する批判がどこからも出なかったからです。
 戦前は、伊勢神宮にしても、氷川(ひかわ)神社や日枝(ひえ)神社にしても、「神社は宗教にあらず」といっていました。神社は宗教ではなく、日本国民(当時は臣民)の慣習だ、と。慣習だから、誰もがみな神社に行き二礼二拍一礼をしないといけない、神社が出す神札は取らないといけない、といわれた時代でした。
 つまり、国家が宗教を国民に押しつけるときは、必ず慣習という形で現れてきます。「宗教ではない」という形で、特定の宗教が国教になって現れてくるのです。だから、ことさら「宗教ではない」ということは、かえって宗教的意味合いが大きいことを逆説的に示してしまう。さらに、その言葉への批判がないというのは、かえって国教的な性格を補強してしまうという意味で、怖いのです。

□池上彰・佐藤優・松岡正剛・碧海寿広・若松英輔『宗教と資本主義・国家 激動する世界と宗教』(KADOKAWA、2018)の「第Ⅰ部 対論」の「「国家主義教」」から一部引用

 【参考】
【佐藤優】出世教、学歴教、etc. ~宗教と資本主義・国家~
【佐藤優】お金という神さま ~宗教と資本主義・国家~
【佐藤優】人間の思考と魂の根底に迫る ~宗教と資本主義・国家~
【佐藤優】『宗教と資本主義・国家 激動する世界と宗教』の目次

 


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