語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】お金という神さま ~宗教と資本主義・国家~

2018年03月17日 | ●佐藤優
 <今、マルクス経済学というと、「何? そんな古びたものを」と感じる人が多いでしょうが、私も池上さんも一応はマルクスの『資本論』に影響を受けた世代です。なおかつ、そこに書かれている資本についての理屈--お金の使い方についての理屈--は、それなりに説得力があると私は思っています。
 お金というのは、人間と人間の関係から生まれてくる。つまり何かを交換するときに物々交換では間に合わなくなったので、いったんお金に換えてからモノとモノを交換するようになった。しかし、モノがいつもお金に換わるわけではない。ところがお金があれば、いつもそれはモノに換わる。ここから、お金に力が生まれてしまう。さらにそのお金はお金自身をどんどん増やしていき、資本という形での運用が可能になる、といった理屈です。
 『資本論』には、うんと乱暴にいうと、そのようなことが書かれているわけです。革命のための論理を備えた本という側面も、確かに少しはありますが、どちらかといえば、『資本論』は資本主義がどのように機能しているかについて書かれた本なのです。
 (中略)
 日本社会では、特定の宗教を信じていない、あるいは自分は無神論者だ、無宗教だと積極的にいう人も多いと思います。ところが、もし誰も見ていない場所で、落ちている一万円札を見つけたらどうするでしょうか? これを拾ってそのままポケットに入れるとしたら、それはカネに力があると認めていることになるわけです。一万円札を一枚刷るのには、23~24円ほどしか掛かっていないはずです。冷静に考えれば、24円で一万円分の商品やサービスを買えるのはおかしいわけですが、その価値を信じているからこそ、黙って自分のものにするという行為が成り立ってしまう。
 これはつまり、みな実は拝金教という宗教を信じている、ということになります。
 ただ、私自身はあまり札の価値を信じていません。というのは、1991年1月にモスクワで、ある日突然、高額紙幣である50ルーブル、100ルーブルの流通が禁止されるという事態を目の当たりにしているからです。カネというのは、ある日を境に本当に価値がなくなることを実感したのです。>

□池上彰・佐藤優・松岡正剛・碧海寿広・若松英輔『宗教と資本主義・国家 激動する世界と宗教』(KADOKAWA、2018)の「第Ⅰ部 対論」の「お金という神さま」から一部引用

 【参考】
【佐藤優】人間の思考と魂の根底に迫る ~宗教と資本主義・国家~
【佐藤優】『宗教と資本主義・国家 激動する世界と宗教』の目次

 


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