語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【片山善博】情報公開が首長を守る ~舛添都知事辞任の教訓~

2016年09月14日 | ●片山善博
 (1)法外な海外出張費への批判に始まったいくつかのスキャンダルが原因で、桝添要一・前東京都知事が辞任を余儀なくされた。それを受けて行われた知事選では小池百合子氏が圧勝し、初の女性知事による新しい都政がスタートした。
 舛添氏の去就をめぐるマスコミ報道は、東京都だけでなく広く全国的な関心を集めた。舛添スキャンダルとは、表面上はもっぱら東京都の不適切な公金支出だったりしたが、実は必ずしも東京都だけの問題ではなく、他の多くの自治体に共通する要素をはらんでいる。全国の自治体は、興味本位でなく自身の問題として、そこから貴重な教訓を引き出す姿勢があっていい。

 (2)舛添氏が批判されたことの一つが(1)の冒頭で触れた海外出張だ。都知事在任中の舛添氏の海外出張は計9回、その費用は総額2億4,700万円。一見、回数が多いし、費用をかけ過ぎだ。
 むろん、出張目的が明確で東京都として重要度が高い用務であれば、回数にこだわるべきではない。しかし、何のために行ったのかよく分からない出張、わざわざ知事が出かける必要などなさそうな出張が散見される。
 しかも、そうした出張を含めて、要した経費があまりに多額だ。大勢の部下を連れて行っただけでなく、1泊約20万円もする豪華な部屋に宿泊していた。税の使い方として法外だ。

 (3)こんな出張を繰り返す知事に対し、都議会はどう向き合っていたのか。ただ、手をこまねいて傍から見ていただけだったのか。
 二元代表制を採用している地方自治制度は、住民の代表である知事や市町村長を、もう一方の住民代表である議会が厳しくチェックする仕組みだが、東京都ではその仕組みがうまく作動していない。
 もし、都議会が平素から知事の海外出張を含む「行状」や「金遣い」に目を光らせ、そこに不適切なことや行き過ぎがあれば注意し、場合によっては予算の使い方に制約を加えるようなことをやっておけば、知事の行動もおのずと抑制され、辞任に追い込まれるような事態は避けられたかもしれない。

 (4)全国の自治体を見ると、議会多数派が概して「与党」を名乗り、知事や市町村長が提出する議案をすべて無傷で通すだけでなく、その言動に対しても批判を控える傾向にある。「与党として守ってやらねば」という心理が働くのだろう。
 しかし、このたびの東京都のケースでも明らかなように、それが後々、守ってあげたはずの知事や市町村長を失脚させることにつながりかねない。全国の与党を名乗る会派は、常に緊張感を持ち、是々非々の姿勢で知事や市町村長に対峙しなければならない。
 これが、教訓の一つだ。

 (5)海外出張問題が取り沙汰されていた頃、東京都に対して旅費の内訳を開示するよう、マスコミなどから情報公開請求が出されていた。それに対して東京都が提出した文書は、黒塗りで消された部分があまりにも目立っていた。
 黒塗りすなわち不開示にできる項目は、情報公開条例に基づき個人のプライバシーに関することなどに限定されているが、都が不開示にした部分の多くはそれに該当しないように見受けられる。
 ちなみに、全国市民オンブズマン連絡会議が過去数次にわたって実施した自治体の情報公開度調査では、東京都の評価は総じて低かった。今日でもその体質は変わっていないのだろう。
 舛添氏にはもはや後の祭りなのだが、もし東京都が以前から情報公開に熱心で、知事の出張旅費などもその詳細を積極的に開示していれば、もっと早い段階で不適切な旅費支出などが公になり、それがその後の法外な出張を抑止することになっていた可能性は高い。
 情報公開を徹底して透明性の高い自治体運営を実現することは、住民の知る権利を保障するだけでなく、知事や市町村長が自ら身を守るすべでもある。
 これも、このたびの都政の混乱から得られる教訓の一つだ。

□片山善博(慶應義塾大学教授)「情報公開が首長を守る 舛添氏辞任の教訓 ~現論~」(「日本海新聞」 2016年9月11日)
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 【参考】
【片山善博】大切なことに時間を使う ~セネカ『人生の短さについて』~
【片山善博】二度も続いた東京都知事の失脚-その教訓を都政の改革に生かす
【片山善博】参議院選、鳥取島根ほかの「今回の合区は憲法違反」
【片山善博】教育、図書館、議会の力 ~カーネギー自伝~
【片山善博】らの鼎談 違法性がなくても知事の適性がない ~舛添は日本の恥(2)~
【片山善博】&増田寛也&上脇博之 舛添知事は日本の恥だ ~辞任勧告~
【片山善博】舛添都知事問題は自治システム改善の教材
【社会】防災体制の点検、真剣に ~平素の備えが大切~
【片山善博】口利き政治の弊害と政治家本来の役割
【片山善博】選挙権年齢引下げと主権者教育のあり方
【片山善博】TPPから見える日本政治の悪弊 ~説明責任の欠如~
【片山善博】政権与党内の議論のまやかし ~消費税軽減税率論議~
【経済】今導入すると格差が拡大する ~外形課税=赤字法人課税~
【片山善博】【沖縄】辺野古審査請求から見えてくる国のモラルハザード
【片山善博】川内原発再稼働への知事の「同意」を診る
【片山善博】違憲と不信で立ち枯れ ~安保法案~
【片山善博】【五輪】新国立競技場をめぐるドタバタ ~舛添知事にも落とし穴~
【片山善博】「ベトナム反中国暴動」報道への違和感
【片山善博】文部科学省の愚と憲法違反 ~竹富町教科書問題~
【片山善博】都知事選に見る政党の無責任 ~候補者の「品質管理」~
【片山善博】JR北海道の安全管理と道州制特区
【政治】地方議会における口利き政治の弊害 ~民主主義の空洞化(3)~
【政治】住民の声を聞こうとしない地方議会 ~民主主義の空洞化(2)~
【政治】福島県民を愚弄する国会 ~民主主義の空洞化(1)~
【社会】教育委員は何をなすべきか ~民意を汲みとる~
【社会】教育委員会は壊すより立て直す方が賢明
【社会】「教員駆け込み退職」と地方自治の不具合
【政治】何事も学ばず、何事も忘れない自民党 ~公共事業~

【片山善博】大切なことに時間を使う ~セネカ『人生の短さについて』~

2016年08月07日 | ●片山善博
 

 <世の中は多忙な人だらけである。やりたいことが今はできないが、いずれリタイアして暇になったら始めるつもりだ。どんなに多くの人からこの言葉を聞かされたことか。古代ローマの世も今と変わらず、当時の政界や実業界の貴顕が口にする同じ悩みを、セネカは冷笑的に聞き流す。
 地位や名声や財力を手に入れるために、かけがえのない時間をどれほど空費し続けているか。人生にはもっと大切なものがある。それを親友に伝えるためにしたためた本書は、今日にもそのまま通じる警句に満ちている。「いかに多くの人々が弁舌を振るい、また自己の才能を誇示せんと苦慮して日夜血を吐く思いをしていることか」。
 参院選の喧騒のさなか、ふと目に留まった一節である>

□片山善博(慶應義塾大学教授)「名著:大切なことに時間を使う/セネカ(茂手木元蔵・訳)『人生の短さについて 他二編』(岩波文庫、1980)」(」週刊ダイヤモンド」2016年8月13・20日合併号)
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 【参考】
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【片山善博】政権与党内の議論のまやかし ~消費税軽減税率論議~
【経済】今導入すると格差が拡大する ~外形課税=赤字法人課税~
【片山善博】【沖縄】辺野古審査請求から見えてくる国のモラルハザード
【片山善博】川内原発再稼働への知事の「同意」を診る
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【片山善博】JR北海道の安全管理と道州制特区
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【片山善博】二度も続いた東京都知事の失脚-その教訓を都政の改革に生かす

2016年07月13日 | ●片山善博
 (1)「世界」の連載「片山善博の日本を診る」は、ふだんは3ページだが、このたびの「特別編」は7ページだ。来たる都知事選(7月31日に実施予定)に向けて、片山教授からすれば「これだけは言っておかねばならぬ」、「世界」誌からすれば「これだけは言っておいてもらわねばならぬ」ということで、このページ数になったのだろう。

 (2)舛添知事(当時、以下同じ。)の発言やその振る舞い方には気になることが幾つかあった。その一つは、東京都知事として過剰とも思える気負いと気取り、勘違いに基づくある種の傲慢さだ。
 舛添知事は、報道によれば2年半の在任中に海外出張に9回出向いた。そんな暇があったのか。知事としてやるべき仕事をやってなかったのではないか。
 こう言えば、舛添知事は「都市外交」の重要性を説き、東京都の特殊性を強調して反論するに違いない。他の都道府県と同列に論じるべきではないと考えているはずだ。
 しかし、人口規模などの差異はあっても、自治体としての基本的な役割に違いがあるわけではない。地方自治法第1条の2第1項に定めるとおり、「地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担う」のが自治体の本務であり、この点では東京都も地方の県も同じだ。こうした自治体の代表である知事は、「住民の福祉の増進」を第一義に考え、日々の業務に精進しなければならない。
 にもかかわらず、それを二の次にして「都市外交」にのめり込むかのように海外出張を繰り返すなどということは本来許されない。
 併せて、同じく地方自治法では、外交のように国家の存立にかかわる事務は国がその役割を担うことも明記されている(第1条の2第2項)。舛添知事のいわゆる「都市外交」には、そこに「国を補完して」とか「国に代わって」という気負いや気取りが感じられてならない。
 この種の気負いや気取りは、石原慎太郎・元知事に先例がある。その一例は、東京都による尖閣諸島購入計画だ。この計画とそれに続く国有化が中国の態度を硬化させ、東シナ海の緊張を高めることになったのは確かだ。
 沖縄県の離党を東京都が購入するなどということは、「都民の福祉の増進を図ること」を基本として運営されるべき都政と無縁であることは明らかだ。
 にもかかわらず、石原知事(当時)は「国がやらないから都がやる」と言わんばかりに、都政に関係のないこの問題に手を突っ込み、日中間の外交問題として炎上させてしまった。その収拾は火付け役の東京都にできるよしもなく、いきおい国の外交部門や防衛部門が担うことになる。その労苦はいかばかりか。自治体が気負いや気取りによって容易に外交に乗り出すべきではないという好例(悪例)だ。
 都知事が他の知事とは違った別格の存在であるとの印象を醸し出したのは石原知事の時代からだ。都知事たる者、天下国家を論じていればいい。都政の些事に煩わされることなく、週に2、3日も出勤すればいい。そんな雰囲気を自ら作り出し、実行し、それがまかり通っていた。
 それは、前任の青島幸男・知事やその前の鈴木俊一・知事の時代には見られなかった都庁の異様な光景だ。その別格意識が形を変えて舛添知事にも繋がっていた可能性は高い。
 この際、東京都といえども普通の自治体の一つに過ぎないのだと、自己イメージを修正すべきだ。

 (3)国の外交に障りのない国際交流なら奔放にやってよいかというと、そうではない。舛添知事の海外出張費は9回で2億4千万円にも及ぶという。
 たしかに東京都の財政は豊かだ。ただ、その東京都の中では、かなり厳しい行政改革や財政改革が進行している。行政改革や財政改革は、一般論としては否定しないが、それが歪な内容であれば、話は別だ。
 <例>都立高校の学校図書館に配属されている正規の司書を順次廃止している。正規の司書が定年などの事由で退職したら、後任は採用しない。学校図書館の管理は、指定管理制度を使って民間企業に委託するのだ。行政改革の一環だ。新たに受託企業の従業員として学校図書館に配置される司書は、短期の雇用であって、しかも処遇はよくない。ワーキングプアと呼ばれてもおかしくない立場だ。学校図書館の司書というとても重要な職が不安定な短期雇用で、しかも処遇にも恵まれていないのでは生徒たちの知的自立を支援する役柄としてふさわしくない。であればこそ、東京都はかつてすべての都立高校に正規の学校図書館司書を配置していたはずだ。それが、今や正規の司書を配置している高校は都立高校のうちの3分の1に満たない。今後も「計画的に」減らされ、そのうち全員いなくなるという。
 東京都は、財政難を理由にしてこんな歪な計画を進めている。理由がよくわからない。
  (a)東京都の財政は貧乏県である鳥取県などと比べものにならないほど豊かだ。その鳥取県がすべての県立高校に正規の司書を配置しているのに、豊かな東京都にそれができないはずはない。
  (b)高校現場には歪な緊縮財政を強いているのに、知事の金の使い方があまりにも荒っぽい。現場には理不尽な行革を押しつけていながら、トップは海外で豪遊している。公平さとバランスを欠くこんなありさまが、都民から支持されるはずがない。

 (4)もっとも、東京都は他の46都道府県とまったく同じ自治体かというと、それなりの差異はある。首都自治体には、それなりの気遣いが求められるし、首都ならではの気苦労がある。
 <例1>首都としての東京都だ。<例>総理大臣を始めとする要人が多数いて、その身辺を警護するのは警視庁の仕事だ。
 <例2>各国の大使館や公使館が置かれている。外国の賓客も大勢やってくる。そうした環境の中で都庁に知事を表敬したり、面会を求めたりする外国の高官も少なくない。それにできるだけ応じるのは首都を与る都知事の役目だ。
 ただ、似たようなことで言えば、米軍基地を多く抱える沖縄県には、首都自治体とは違った気遣いが必要だし、その苦労は並大抵のことではない。尖閣諸島のある石垣市もそうだし、竹島を県域に含む島根県の苦労も絶えることがない。他の多くの自治体も、それぞれに苦労しているのだ。
 一つだけ、東京都と他の道府県とでは、地方自治制度上、明確に違うことがある。それは府県制度ではなく、都制度の適用を受けていることだ。都制度とは、府県と大都市を一体化した仕組みのことだ。昭和18年、東京府と東京市(現在の東京23区の区域にあった市)を強引に一体化して生まれた。この戦時体制のもとでできあがった都制度は戦後に引き継がれた。その後23の特別区にそれぞれ区議会を置き、区長を公選で選ぶ仕組みが導入されて今日の都制度になった。
 この23の特別区は特別地方公共団体に位置づけられ、一般の市町村(普通地方公共団体)とは異なる制度のもとに置かれている。特別区が担う事務の範囲は市町村の事務の範囲よりかなり狭い。市町村は、上下水道、消防、地下鉄、固定資産税、都市計画税を担うが、これらを特別区は担わず、東京都が担う。
 そういう意味では、東京都は他の都道府県とは別格だが、かといって都知事が海外に出向く機会を増やす口実や言い訳にはならない。むしろ、都知事は都の区域内での仕事に、他の知事に倍して専念せざるをえない仕組みのもとにおかれていると自覚すべきだ。
 しかも、東京都の区域には舛添知事の発言で物議を醸した奥多摩地域のほか、伊豆七島や小笠原までを含んでいる。それらの問題に真剣に向かい合うならば、都知事は海外にたびたび出かけるのではなく、むしろそれらの地域をこそおとずれるべきではないか。

 (5)来たる選挙で都知事に就く人は、その巨大で複雑な組織及び職員集団を率いるのだから、相当の覚悟と力量を伴わねばなるまい。
 加えて、このたびは4年ごとに実施される通常の選挙ではない。前任の知事がその任期の途中で辞めざるをえなくなたことに伴う唐突で時ならぬ選挙だ。おそらく、この選挙に準備をしてきた人などいないだろう。にわかに降ってきた選挙に慌ただしく臨まざるをえないのだが、果たして十分な準備が整うかどうか。
 選挙の準備といえば、体制を組み、資金を集めるということももちろんあるが、一番肝心なことは政策づくりだ。山ほどある課題を概ね把握し、それに対して自分なりの見識と抱負を用意しておく必要がある。
 政策や公約は人任せ、あるいはどこかの大都市自治体のホームページに載っている課題をコピペすることでも当面の選挙は乗り切れよう。ただ、それで大量得票を重ねて当選しても、後が順調に続くとは限らない。具体的に何をやっていいかよくわからないから、自分の好きなことだけやっていようか。こんなことでは都民の信頼をつなぎとめることはできないし、なにより自分自身にも張り合いがなかろう。
 舛添知事もその前任の猪瀬直樹知事も準備不足のまま唐突な知事選挙に臨んだことが、それぞれ任期途中で辞めざるを得なくなった一因だ。元をただせば石原知事の任期途中の辞任に端を発しているのだが、こんな唐突な選挙ばかりを繰り返さぬようなんらかの手立てを講ずる必要がある。
  (a)今度の選挙にはもう間に合わないが、米国の大統領選挙と同様に、知事と副知事をセットで選び、知事が欠けた場合は副知事が持ち上がって知事となり、残りの任期を務めるという制度改正。これだと4年ごとの定期的な選挙の仕組みは守られる。あるいは前任者の残任期間だけを務める知事を選ぶ補欠選挙方式でもいい。
  (b)都議会改革。都民・納税者の代表として、知事をはじめとする執行部のチェックをしなければならない都議会は、これまでその任を十分に果たしてきたか。知事の高額海外出張を、週刊誌と世論に押されてやっと批判するに至ったが、それがなければ都議会が自律的に改善することはなかったのではないか。その証拠に、知事と似たりよったりのリオ豪華旅行を計画していたではないか。都議会議員はあらためて自分たちのミッションを認識すべきだ。
  (c)議会に予算の決定権や決算の承認権が備わっているのは、税のムダ遣いを防ぐためだ。自分たちがムダ遣いをしないのは当然として、予算やその執行に含まれるムダを摘出する。その結果生じた財政の余裕は納税者に還元する。すなわち減税を志向する態度を本来持っていなければならない。税率引き下げは議会の本分だ。そこで力を発揮する議員が、有権者から高く評価される。それが議会の本来のあり方だ。

□片山善博(慶應義塾大学教授)「二度も続いた東京都知事の失脚-その教訓を都政の改革に生かす ~日本を診る第81回特別編~」(「世界」2016年8月号)
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 【参考】
【片山善博】参議院選、鳥取島根ほかの「今回の合区は憲法違反」
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【片山善博】らの鼎談 違法性がなくても知事の適性がない ~舛添は日本の恥(2)~

2016年06月13日 | ●片山善博
 (承前)

(4)政治資金は「バブル状態」
 政治資金規制法は、「ザル法」と言われる。ほかの点を挙げれば、金の入口の規定は「外国人はダメ」「補助金などの公的資金を受けている企業はダメ」「個人献金の上限はいくら」などと事細かに法律で定められているのに対し、お金の出口、「支出」の対象範囲については厳格な規定がない。理屈をこねれば、あらゆることが政治活動になり得るわけだ。一つひとつについて違法ではないかを検討するのは極めて難しい。【片山】
 本来、知事や国会議員という公職にある人間が問われるべきは、「違法性」ではないはずだ。法律違反をしてはいけないのは当然であって、むしろ知事としての「適格性」や、本当に国民、都民のためのお金の使い方になっているかの「妥当性」が問われるべきだ。【増田】
 「政治資金オンブズマン」は、これまで多くの政治家の収支報告書を調査、追求してきたが、疑わしいものが実に沢山あった。なぜそのようなことが起きるかと考えてみると、次のような問題がある。【上脇】
  (a)使途が制限されないという法制度上の問題。
  (b)政党交付金があるため、政治資金が潤沢すぎるという問題。
 政党交付金は、年間320億円が議席数などに応じて各政党に分配される。2015年度分でいうと、自民党が一番多く、170億円だった。
 しかし、この320億円という金額は、1980年代後半のバブル時に大企業などを中心に集めていた政治資金の額が前提となっている。当時「政治改革」の美名のもとで、癒着や賄賂を防ぐため、企業・団体献金を国民の税金に振り替えようと導入された経緯がある。バブル崩壊後の1995年から正式に政党助成制度が施行された。あれから20年以上が経過し、景気は悪化し、国の財政もどんどん逼迫している。それなのに結局、企業献金は禁止されず、政党交付金との「二重取り」が続いている。つまり、政治資金は実は「バブル状態」で、豊富な資金が黙っていても転がり込んでくる“国営政党”になっている。政治資金に余裕があるため、違法または不適切な支出がなされてしまう。政治資金の入口を改革しないと、出口は杜撰なままだろう。【上脇】
 企業・団体献金は厳しく制限していくはずだったが、結局上限などは設けたものの、今も残っている。【片山】
 時代や国家財政の状況によって見直していくべきだ。【増田】
 ただ、政治資金報告書は、総務省のホームページや、各都道府県のホームページでも過去3年分は公表される環境が整い、メディアはもちろん、一般の方もいつでも誰でも見られるし、情報公開請求で、更に詳細な使途を示す領収書も見られるようになっている。つまり多くの人の目にさらされるようになっているわけだ。舛添知事の問題も、すべてこうした公開情報が端緒になっていることを考えると、政治資金規制法が法改正によって改良された効果があったとも言える。それによって刑事告発も可能だし、もし罪に問われなくても、こんなおかしなお金の使い方をする政治家は見識がない、と広まれば、次の選挙の当落や政治家の進退に影響を及ぼし得る。【片山】
 ただ、政界では、使途を全く明かさず、政治資金規制法の網をくぐり抜ける方法が未だに温存されている。「組織対策費」名目で、巨額の政治資金を政治家個人に流し、その先をブラックボックスにする方法だ。舛添知事も新党改革時代の2012、2013年に「組織対策費」として計1,050万円を受け取っている。【上脇】
 公金を受け取る政治家の政党支部や政治団体が、悪質な虚偽記載などをした場合、「間違ったので訂正しました」、「すぐ返金します」で済ませるのではなく、例えば該当額の10倍を翌年の政党交付金から削減する等、なならかのペナルティを科さないと、虚偽記載や不記載はなくならないのではないか。【上脇】

(5)保育所や介護施設の視察はゼロ
 舛添知事は、2001年に政治家に転身する前は国際政治学者として長らくテレビで活躍していた。その経験がそうさせるのか、記者会見もどこかテレビタレント的だ。テレビでは、限られた時間内でタイミングを見計らい、CMに入る間際で相手をやり込めるとか、話が切り替わるときに意表を突くようなことを言うなど、独特のテクニックを使う人がいるが、舛添知事もそれに頼っているように見えるところがある。【片山】
 一連の会見でも、自分の公私混同や公金意識の欠如が問題になっているのに、論点をずらし、本質の議論を棚にあげて記者をやり込めようとしているかのような姿は、情けない。【片山】
 舛添知事が第一次安倍政権や福田政権で厚生労働大臣だったが、官僚の話ではすごく頭がいいので、一度聞くとパッとポイントを理解する。政策の説明などがすごく楽だと言われていた。ただ、厚生労働大臣の担当する分野は数ある省庁のなかで最も多岐にわたるが、舛添大臣(当時)は医療問題に特に関心が深い一方、他の分野はそうでもないようで、興味を持って取り組むテーマが偏っているとも官僚は言っていた。【増田】
 いま、都庁の役人も同じような評価を下している。【片山】
 本来、保育園不足や福祉など、都政には課題が沢山あるはずなのに、2015年春からこの4月までの1年間で、視察の7割超が美術館や博物館だった。保育所や介護施設の視察はゼロだった。【上脇】
 知事は、その自治体のあらゆることに責任を持つわけで、ある意味、国会議員や大臣の時以上に「自己規律」が求められる。特に日本の首都である東京都の知事なのだから、自己規律をさらに厳正に働かせて、従来の自分の趣味や流儀もすべて変えて都民のために尽くさなくてはならない。そういう思想が舛添知事には欠けているのではないか。【増田】

(6)都議会は学芸会
 6月1日から都議会が始まった。石原都政のときも高額な海外視察が問題になったが、当時、議会のチェック機能は働かなかった。【上脇】
 一連の舛添疑惑は、都議会がきちんと追求するのがあるべき姿だ。増田氏も知事時代に海外視察に行ったときなど、帰国後の議会でその成果を詳しく聞かれた。都議会ともなれば、都議たちも海外視察に相当行っている。だから知事への追求を厳しくし過ぎると、自らにブーメランのように跳ね返ってくるのを恐れて何も言えないのではないか。【増田】
 今夏、都議たちは五輪開催地のブラジルに、視察目的で大挙して行くだろうし。【片山】
 本来、地方自治体の統治機構は「二元代表制」で、国政の議員内閣制とは根本的に異なる。この二元代表制のもとでは与党、野党などという概念はなく、「議会」対「知事」という構図で論戦すべきなのであって、自公の与党がまとまって知事を支えるという現在の都議会の在り方は本来おかしい。ただ、これは日本のほとんどの自治体にいえる問題で、どこも与党で多数会派が形成されて、多数会派と首長との一種のなれ合いで自治体が運営されている。【片山】
 東京都の議会運営など、ほとんど「学芸会」だ。学芸会と言ったら、歌舞伎と言ってくれ、という人もいた。セリフも決まっていて、終了時刻まで寸分たがわずと言ってよいほどシナリオどおりなのだ。【片山】
 都の職員によると、議員の質問ですら役所が作ってあげている場合が少なくない。こんな状態では、議会による緊張感のあるチェックなど望むべくもない。だから、今回の舛添問題は、都議会の怠慢ゆえの産物とも言える。【片山】
 また、議会以外にも、知事の暴走を制御する術はある。例えば、東京都人事委員会が、あまりに高額のスイートルームなどの出費をすんなりと了としてきたわけだ。本来はチェックしなければならなかったのに、人事委員会も実質的に機能していなかった。この点も再点検されねばならない。【片山】
 一連の疑惑について、舛添知事は「第三者の厳しい目で見てもらう」として、元検事の弁護士2人を雇った。ただ、その第三者の弁護士名も明かさず、いつまでに調査結果を公表するかを明言しなかった。【上脇】
 この対応は論外だ。これは沈静化をねらった時間稼ぎだし、その間はだんまりを決め込む作戦だとしか見えない。【片山】
 何もわざわざポケットマネーで高い弁護士費用を払わなくても、かなり厳しい第三者である多くの記者が熱心に聞いてくれるのだから、それに真摯に回答すれば、無料で済む。【片山】
 「元検事」というと厳しいチェックをするような印象を与えるが、弁護士は依頼人の利益が最優先だ。もし記者に質問されて解らないことがあっても、次の会見までに調査して答えればよい。本人の言葉で説明した結果を都民がどう思うかだ。【増田】
 舛添知事には政治家としての説明責任があるのに、なぜ弁護士に丸投げするのか。参議院選挙などにマスコミと都民の関心が移り、注目されなくなることを期待して先延ばしにしているのではないか。【増田】

(7)TOKYOのプレゼンス
 舛添知事は、4年後の五輪で世界中の注目を集める東京の顔だ。ところが、その説明に89%の人が「納得できない」と答えている【JNN調査】。77%の人が辞任すべきと考えている【毎日新聞世論調査】。弁護士の調査結果が出たところで、都民の多くが納得するとは思われない数値だ。【上脇】
 事ここに至っては潔くお辞めになったほうが余程スッキリする【片山氏、増田氏】。
 行政のトップである知事は、都民、県民の信頼があてこそ仕事ができる。都民の9割に「あなたは信用できない」と言われていて、知事をやっている意味がない。【片山】
 しかし、本人が、直ちに違法とは言えないとして、強弁してでもしがみついたほうがいいという価値観なのであれば、仕方ない。都議会が百条委員会で追い込むとか、不信任を突きつけるとか、果ては都民およそ146万人の署名によってリコールを請求するなど、次の局面に移っていき、ますます泥沼化するだろう。それは都民にとっても本人にとっても不幸なことだ。【片山】
 東京五輪は、エンブレムや国立競技場の問題に始まって、招致の際に2億3,000万円のコンサル料を払っていた疑惑など、さまざまな問題が噴出しているが、都知事が疑惑を抱えたまま居座ることで、さらにイメージが悪化していく。【増田】
 今年はブラジルで五輪が開催されるが、彼の地のルセフ大統領は、国会会計を不正操作して粉飾した疑惑による弾劾裁判中だ。8月5日に開幕するリオ五輪では代行のテメル暫定大統領が各国を迎えるという異例の事態になりそうで、世界中が心配している。【増田】
 東京都は、これまでただでさえ問題が続いたのだから、東京五輪に支障がないようにしなければならない。そのためにも、舛添知事は、早急に疑惑にケリをつけるべきだ。【増田】
 本来五輪は都市の祭典だ。東京都が主体的になって、五輪の準備を進めなければならないときに、トップがらみの騒動が長引くほど、都政は停滞し、TOKYOのプレゼンスは低くなってしまう。東京都が中心的役割を堂々と発揮できるようにしてもらいたい。【片山】

□鼎談:片山善博(慶應義塾大学教授)、増田寛也(東京大学公共政策大学院客員教授)、上脇博之(神戸学院大学教授/市民団体「政治資金オンブズマン」共同代表)「舛添知事は日本の恥だ ~汚れた「TOKYOの顔」への退場勧告~」(「文藝春秋」2016年7月号)
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 【参考】
【片山善博】&増田寛也&上脇博之 舛添知事は日本の恥だ ~辞任勧告~
【片山善博】【舛添】都知事問題は自治システム改善の教材


【片山善博】&増田寛也&上脇博之 舛添知事は日本の恥だ ~辞任勧告~

2016年06月13日 | ●片山善博
 この4月から、舛添知事の
   ・豪奢で高額な海外視察
   ・毎週末の公用車におる湯河原の別荘通い
   ・私的な家族旅行への政治資金流用疑惑
   ・etc.
都知事としての適格性が疑われる問題が続々と発覚している。

(1)豪奢で高額な海外視察
 舛添知事は、2014年2月の就任から2015年末まで、計8回、海外出張をしているが、その経費は総額2億1,300万円に上る。2015年秋の5泊7日のパリ、ロンドン視察では5,000万円超。飛行機はファーストクラスで266万円(知事1人分・往復)。宿泊費は一流ホテルのスイートルームで1泊19万8,000円(知事1人分)。【上脇】
 都の条例によれば、知事の宿泊費の上限は4万200円だが、舛添知事はその上限の5倍近い豪華な部屋を使っている。尋常ではない。舛添知事は、「急な要人との面会に備えて」などと記者会見で説明したが、ほとんど絵空事だ。海外出張中、VIPが突然、知事が寝泊まりしているホテルの部屋を訪れることなど、あり得ない。また、通常海外出張では、事前に綿密な訪問スケジュールを組んでおり、こちらから出向くのが基本ルールだ。【片山】
 片山善博・前鳥取県知事も増田寛也・前岩手県知事も、一度もそんな高級な部屋に泊まったことはない。【片山、増田】
 舛添知事は、会見で、その点を突っ込んだ香港の記者に「香港のトップが二流のビジネスホテルに泊まりますか。恥ずかしいでしょう!」と怒っていたが、論点をすり替えている。あまりにもおかしな回答だ。
 加えて、同行人数が多すぎる。去年のパリ、ロンドン視察や2014年のベルリン、ロンドン視察の同行者はそれぞれ19人。まるで参勤交代のような「大名旅行」で驚愕するばかり。これだけ人数が多いと移動も大変だ。知事の海外視察は必要最小限の人数でコンパクトに行って、帰ってきたらすぐ仕事に戻れるようにするべきだ。【増田】
 舛添知事の海外視察費用を子細に見てみると、都知事に就任して最初の5回分の海外出張費はそれほど極端に高額ではない。最高額はソチ視察の3,000万円で、ほかはだいたい1,000万円程度に納まっている。これらは前知事時代から決まっていた視察だったのかもしれない。経費の使い方が明らかに変わったのは、2014年秋のベルリン、ロンドン出張で、7,000万円かかっている。このあたりから舛添知事の意向が強く反映しているのではないか。一般的に知事の海外視察はどのように決まるか。【上脇】
 知事の海外視察は、職員の方から、県庁の仕事として知事にぜひ行ってもらいたいという要請もあるにはある。ただ、件数としてはあまり多くはない。逆に、もし知事が「ここに行きたい」と希望すれば、たいていは通るだろう。「止めたほうがいい」と直言する勇気のある職員は、どこの役所でもそう多くはいないから。【片山】

(2)毎週末の公用車におる湯河原の別荘通い
 舛添知事が毎週末、東京を離れ、公用車で神奈川県湯河原町の別荘に行っていたことも問題視されている。「週刊文春」5月5・12日号のスクープがきっかけだったが、同誌によれば、この1年間で合計49回も公用車で「別荘通い」をしていた。【上脇】
 危機管理上、大問題だ。舛添知事は、股関節術後のリハビリのために「週に一度くらいは広い風呂で足を伸ばしたい」と説明したが、知事が毎週自らの自治体を離れるなど断じてあってはならない。知事は、災害が起きた際、災害対策本部長を担う。つまり、1分でも早く県庁に駆けつけて情報を収集し、対策を講ずるのが仕事だ。だから、いつでも都庁に駆けつけられる場所にいるのが本来、都知事のあるべき姿だ。
 増田氏も、知事時代、何かあればすぐ県庁に駆けつけられるよう、常に気をつけていた。台風の予報がある時はなおさら注意する。しかし、地震は予測できない。例えば、夜中、飲酒しているときに地震が起こり、真っ赤な顔で駆けつける自体に陥るのは避けたいと思ったら、自然に酒量が減り、そのうちにほとんど飲まなくなった。【増田】
 災害時に知事権限で判断しなければならないことは実に沢山ある。人命救助を最優先しなければならない時に、まず知事を探したり、隣県から知事を連れ戻したりするのにエネルギーを費やすなんて、誰が考えてもおかしい。任期中ぐらいは自分のやりたいこともぐっと我慢して、組織に迷惑をかけないように行動するのもトップの大事な務めだ。【片山】
 例えるなら、増田氏が知事時代に隣の宮城県に毎週行っていたとか、片山氏が知事時代に岡山県に毎週行っていた、というのと同じだ。さらに敷衍すれば、安倍首相が毎週隣国の韓国へ行っているのと同じようなものだ。あり得ない。東京から神奈川というと、毎日その間を通勤している人も多いから、何となく見過ごしがちだが、極めて異様な事態なのだ。【片山】
 国会議員時代なら毎週湯河原に行ってもいいだろう。しかし、地方自治体を預かる知事は、よほどの事態がない限り県外に出るようなことは避けるべきだ。もちろん不自由だが、知事になるとは、そうした不自由さを職務として担うということのはずだ。【片山】

(3)美術品購入は「業務上横領」の疑い
 「公用車での別荘通い」は、危機管理上はもちろん、税金の無駄遣いの観点からも批判を免れない。ハイヤーで都庁から湯河原までの往復は8万円かかるそうだから、年49回で単純計算するとざっと400万円。海外視察の事例と合わせて、今後、都民から返金を求める住民監査請求がなされ、住民訴訟になる可能性がある。【上脇】
 一連の報道を見ていると、舛添知事が知事になる前の政治資金の使途も、公私混同の誹りを免れない。【増田】
 <例>2013年、2014年の正月に、家族旅行で「龍宮城スパホテル三日月」に宿泊し、合計37万円を「会議費用」として政治資金で支払った疑惑。【増田】
 国会議員時代に染みついた政治資金のルーズな使い方が、都知事になってからもずっと続いてしまったように見受けられる。【増田】
 舛添知事は、家族と宿泊した部屋で政治に関する会議をやったのだと強弁していたが、結局「誤解を招いた」として返金する意向を示した。返すということは、やはりやましいお金の使い方をしていて、会議などしていなかったのだろうと思われて当然だ。舛添知事の夫人は、「舛添誠司経済研究所」の代表取締役のようだから、「妻と、ひと月後に迫っていた知事選に出馬するかどうか会議をしていました」と言いたかったのかもしれないが、子ども連れでプールで遊んでいたのでは、誰も納得しないだろう。【片山】
 会見での弁明を見ていると、相談できる仲間、信頼できるブレーンがいない人だとわかる。会議の出席者の名前や人数を聞かれて、「政治の機微にかかわる」と答えなかった。名前はともなく、参加していた人数までが「政治の機微にかかわる」なんて、誰も思わない。【増田】
 「政治資金オンブズマン」は、「龍宮城スパホテル三日月」の費用を「会議費」としているのは政治資金規正法違反(虚偽記載)にあたるとして東京地検に刑事告発している。【片山】
 舛添知事は、「龍宮城スパホテル三日月」の費用を「会議費用」、自宅近くの天ぷら料理屋やイタリアンレストラン等の飲食代7万円を「食事代」、美術品・絵画・骨董品等の購入費580万円を「資料代」として政治資金から支出していた。これらはすべて私的なもので、政治活動とは言えず、虚偽記載の疑いがあり、告発の対象となった。【上脇】
 問題は、それだけにとどまらない。舛添知事が都知事になる前から、「政治資金オンブズマン」では舛添の政治資金の使途を分析し、疑惑に警鐘を鳴らしていた。当時は今ほど注目を集めなかったが、例えば、
  (a)参議院議員だった2009年から、舛添の政党支部や資金管理団体が、「舛添誠司経済研究所」に、事務所費として毎月44万円を支払い、6年間で合計3,000万円が流れている。今回、このことも改めて注目され、批判を浴びている。政治団体の事務所としての使用実態があったとしても、地元の不動産相場よりも、明らかに高額な値段設定ではないか。
  (b)通常「資料代」とは、国会で質問するなどの政治活動に使う資料の購入費が該当する。美術品の購入費を「資料代」と書いておけば「セーフ」にできると考えたのかもしれないが、記者に質問されて「国際交流のためだ」と弁明したのは、後知恵だろう。政治資金規正法では、使途に関する明確な制限がない。そこに付け込んだ狡賢いやり方だ。そもそも、美術品を政治活動のための「資料」として購入するなど、あり得るのか。【上脇】
 舛添知事は、「海外の方と交流する際に、書や浮世絵の版画などをツールとして活用している」と弁明していた。増田氏は知事を12年、総務大臣を1年務めたが、そのようなケースは聞いたことがない。自身の趣味のためではないか、と疑われても仕方ない。【増田】
 百歩譲って好意的に考えれば、海外の姉妹都市との交流事業などに際し、知事としてお土産を準備することはあり得る。例えば、地元にちょっとした書家がいる場合、その方を顕彰する意味も含めてその書を購入し、先方にお贈りするようなことはあり得る。ただ、毎月のように「世界堂」(画材・額縁の専門店)で買い物しえいる事実からは、とてもそうは思えない。購入した美術品などが自分の趣味や資産形成のためのものではないと世間に納得してもらうには、何を買い、どのような場所で誰に手渡し、どう政治に役立てたのかを説明する責任がある。【片山】
 「政治資金オンブズマン」は、美術品などの購入に関しては、政治資金規正法はもちろん、刑法上の業務上横領にもあたるのではないかと刑事告発している。【増田】
 舛添知事は、国民1人年間250円の血税である政党交付金を受け取る政党、すなわち「新党改革」時代にそのお金で美術品、580万円を購入している。ところが、舛添知事は都知事選出馬時に離党して「無所属」になっており、彼の政党支部だった新党改革比例区第4支部も、個人の資金管理団体だった「グローバルネットワーク研究会」も、すべて解散している。つまり、美術品はどこにも返還されず、舛添知事の思うがままに処理され、個人資産になってしまっている可能性が高い。これは会社解散時に残っていた絵画などを持ち逃げしたに等しい。「業務上横領」に該当すると「政治資金オンブズマン」はみて、同罪で刑事告発することになった。【上脇】
 「政治資金オンブズマン」はこれまで何人もの政治家を「政治資金規制法違反」の疑いで告発したが、業務上横領で告発したことはない。【上脇】
 政治資金規制法では、政党支部や資金管理団体が解散したときの金や資産についての処理方法が一切書かれていないから、後処理をする団体の良識に委ねられている。ひどいケースになると、スタッフで山分けしたと囁かれることもある。今後、政党や政治団体の解散時の処理について法整備が必要だ。【上脇】

□鼎談:片山善博(慶應義塾大学教授)、増田寛也(東京大学公共政策大学院客員教授)、上脇博之(神戸学院大学教授/市民団体「政治資金オンブズマン」共同代表)「舛添知事は日本の恥だ ~汚れた「TOKYOの顔」への退場勧告~」(「文藝春秋」2016年7月号)
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 【参考】
【片山善博】【舛添】都知事問題は自治システム改善の教材


【片山善博】【舛添】都知事問題は自治システム改善の教材

2016年06月12日 | ●片山善博
 (1)舛添要一・東京都知事をめぐるいくつかの疑念は拡散するばかりで、一向におさまらない。
   ・海外高額出張
   ・公用車での週末湯河原別荘通い
   ・政治資金による絵画購入
   ・etc.
 当初は居直りとも受け取れる強気に出ていた舛添知事も、その後の記者会見などではひたすら低姿勢に転じていた。ただ、いくら低姿勢でも、自身に関わる事実関係についての説明すら拒むようでは、都民の納得はまず得られないだろう。

 (2)2016年5月20日の知事定例記者会見では、実質的なことは一切答えず、「公平な第三者の目」で調べてもらった上で見解を述べたい旨の発言に終始した。自分のことは第三者を通さずとも答えられるはずで、結局説明できないことだらけだから時間稼ぎをしていると、多くの人が勘繰ったり、疑ったりしたはずだ。
 舛添氏のいわゆる「公平な第三者の目」とは弁護士のことで、その費用は自分が出すという。自分が雇った弁護士が世間に対して「公平な第三者の目」と受け止められると思ったら、勘違いも甚だしい。
 弁護士は依頼主に最善の結論を導こうとする人士である以上、世間にとって公正に映るはずがない。間違っても雇い主に「とどめの一撃」を加えるはずがない。仮にそれに該当する事実があったとしても。もし、そんなことをしたら、それは弁護士の自己否定につながる。
 ということで、この「公平な第三者の目」が調査結果を出しても、それを素直に受け取る人は多くない。むしろ、事実を捻じ曲げているのではないか、白を黒と言いくるめようとしているのではないかと、こんどはその調査結果の内容に「鵜の目鷹の目」が集まり、そこからまたぞろ「ボロ」が出てくることだって考えられる。「公平な第三者の目」がアダとなり、やぶ蛇に終わる可能性は否定できない。

 (3)どうしてこんなことになったのか。
   公私を混同している
   税の使い方がルーズだ
   災害があった時に指揮をとらなければならない知事としての自覚が欠如している
など、いまのところもっぱら舛添知事だけの責任が問われている。身から出た錆だ。舛添氏本人の責任は重大で、否定できない。
 ただ、現行の地方自治制度には、仮に知事や市町村長に公私混同が見られたり、税の乱費があったり、職責に対する自覚が足りなかったりしても、それが大事に至る前に自治体の中でいさめたり、構成させたりする仕組みが講じられている。東京都でも、そういう仕組みが円滑に作動していれば、舛添氏もこんな醜態を演じるには至らなかった。

 (4)まず議会。(3)でいう仕組みの一つが議会だ。
 議会は、立法機関として条例を制定したり、予算を決定したり、決算を認定したりする権限を有している。二元代表の下で、首長をトップとする執行機関を厳しくチェックする役割も担っている。
 東京都議会がその職責を果たしていたら、舛添知事が今世間から批判されている問題のうちのいくつかは、それを週刊誌から華々しく指摘される前に、都議会における議案の審議や質疑を通じてある程度明かされ、議会の権限行使によって知事の非道を早めに正すことができていたはずだ。
 <例>高額の海外出張費。
 都議会は、少なくとも舛添氏が知事に就任した年度に使った経費について、決算審査において既にチェックしたことになっている。一部の報道では、知事就任直後に訪れたロシアのソチで高級リゾートホテルに2泊し、その料金は1泊15万円を超えていたという。
 議会はこれをどう捉えたのか。もし、これをすんなり了としていたとすれば、舛添知事のみならず都議会も、公金の使い方に関する良識や分別を厳しくとわれなければなるまい。
 都の決算は膨大なので、議会としてはその詳細まではチェックしていないというのであれば、それは議会として明らかに怠慢だ。
 税の使い道を点検するのは、議会のもっとも重大な任務のはずだ。たしかに、東京都の決算の内容は膨大だ。しかし、それに見合って、都議会には120人を超える、これまた膨大な数の議員がいる。しかも、各議員には他の自治体に比べてとても高額の政務活動費が支給されている。みんなで手分けしてでも、都民の代表として税のゆくえを真面目にチェックするぐらいのことはしてもらいたい。
 舛添問題は、実は都議会および都議会議員の問題でもある。

 (5)ついで独立行政委員会。議会と並んでそのあり方が問われるのは、都の独立行政委員会だ。
 独立行政委員会は、知事や市町村長に権限が集中するのを排除するため、行政の中立性を担保するためなどの目的で儲けられている地方自治法上の機関で、その代表例は教育委員会や公安委員会だ。
 このたび取り上げられるべきは、都の人事委員会だ。
 東京都知事が海外出張する際、宿泊費は条例で1泊42,000円と規定されているが、「特別な事情」がある場合には増額が可能で、それに該当するかどうか、いくらまで増額するかは人事委員会と協議して決める。
 舛添知事の度重なる出張旅費についても、それぞれ「特別な事情」がある場合に該当するとして人事委員会に協議し、その上で高額宿泊費も決められたという。
 ということは、それらの協議を受けた人事委員会の3人の委員は、その宿泊費の額を審議した上で、やはりこれを了としているはずだ。
 パリでの1泊198,000円のスイートルームを始めとする高額宿泊費の妥当性について、これまで舛添知事本人だけがマスコミから追求されてきたが、額にお墨付きを与えた人事委員会にも見解や見識があるはずだから、マスコミは人事委員たちにもそれを質してみる必要がある。

 (6)そして、監査委員。講学上、独立委員会に分類されている監査委員にも問題がある。
 先の都議会と同じく、少なくともソチの出張費は監査の対象になっていたはずだ。監査委員がその額の高さに違和感を持たなかったとすれば、監査委員のその甘い認識は、納税者の常識からかけ離れていると言わざるを得ない。
 知事の公用車使用のルーズさにしても、税の無駄遣い防止を主要な任務とする鑑査委員であれば、当然関心を持ってしかるべきだ。
 公用車に限らず、都庁ではかねて知事の公私の乱れを指摘する声があり、時折外部にも漏れ出ていた。外に聞こえるくらいだから、その声が鑑査委員ないし事務局に伝わっていてもおかしくはない。
 一般に、自治体の監査委員の無力、非力が指摘される。委員に任命してくれた首長の顔色ばかり窺って、厳しさや主体性に欠けるというものだ。その欠陥を是正するために外部監査制度も導入されたのだが、だからといって本体の監査委員制度がうまく機能するようになったということはない。
 監査委員の主体性や独立性を担保する上で、効果的な改革案がある。首長選挙において、次点で落選した候補者が選挙後に希望すれば監査委員に自動的に任命される仕組みにするのだ。阿部泰隆・神戸大学名誉教授/弁護士がかねてから主張している案で、卓見だ。
 いわば政敵が監査を司るのだから、現職の知事や市町村長は嫌がるだろうが、本当は自分たちにも益すると捉えるべきだ。もしこの制度が既に採用されていて、舛添知事の公私混同などがまだ芽のうちに監査委員から指摘されていたとすれば、そのとき多少ばつの悪い思いはしただろうが、今日のような深刻な事態は免れていたはずだ。

 (7)舛添問題は、現行の地方自治システムについて、あれこれとヒントを与えてくれる貴重な教材でもある。

□片山善博(慶應義塾大学教授)「舛添都知事問題は自治システム改善の教材 ~日本を診る第80回~」(「世界」2016年7月号)
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 【参考】
【社会】防災体制の点検、真剣に ~平素の備えが大切~
【片山善博】口利き政治の弊害と政治家本来の役割
【片山善博】選挙権年齢引下げと主権者教育のあり方
【片山善博】TPPから見える日本政治の悪弊 ~説明責任の欠如~
【片山善博】政権与党内の議論のまやかし ~消費税軽減税率論議~
【経済】今導入すると格差が拡大する ~外形課税=赤字法人課税~
【片山善博】【沖縄】辺野古審査請求から見えてくる国のモラルハザード
【片山善博】川内原発再稼働への知事の「同意」を診る
【片山善博】違憲と不信で立ち枯れ ~安保法案~
【片山善博】【五輪】新国立競技場をめぐるドタバタ ~舛添知事にも落とし穴~
【片山善博】「ベトナム反中国暴動」報道への違和感
【片山善博】文部科学省の愚と憲法違反 ~竹富町教科書問題~
【片山善博】都知事選に見る政党の無責任 ~候補者の「品質管理」~
【片山善博】JR北海道の安全管理と道州制特区
【政治】地方議会における口利き政治の弊害 ~民主主義の空洞化(3)~
【政治】住民の声を聞こうとしない地方議会 ~民主主義の空洞化(2)~
【政治】福島県民を愚弄する国会 ~民主主義の空洞化(1)~
【社会】教育委員は何をなすべきか ~民意を汲みとる~
【社会】教育委員会は壊すより立て直す方が賢明
【社会】「教員駆け込み退職」と地方自治の不具合
【政治】何事も学ばず、何事も忘れない自民党 ~公共事業~





【佐藤優】大宅壮一ノンフィクション賞選評 ~『原爆供養塔』ほか~

2016年05月22日 | ●片山善博
 小野一光『殺人犯との対話』(文藝春秋)は、雑誌連載の作品としては秀逸だ。ただし、単行本になったとき、これらの殺人事件の報道を通じて著者が読者に伝えたいメッセージが鮮明でない。

 清武英利『切り捨てSONY リストラ部屋は何を奪ったか』(講談社)は、文体、構成において候補作のうち最も優れていた。ただし、ここで紹介された技術者をリストラ部屋に送るという決定をした会社側の論理がまったく見えてこない。視座が一方的になってしまっていることに違和感を覚えた。

 井上卓弥『満州難民 三八度線に阻まれた命』(幻冬舎)は、一次資料の発掘、詳細なインタビューによる優れた作品だ。しかし、2015年の時点の難民概念で、戦後の満州からの引き揚げ者をとらえるという方法は、乱暴であり、ついていけない。

 堀川惠子『原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年』(文藝春秋)【注】は、丹念な取材と資料の読み込み、さらに優れた表現方法を駆使した完成度が高い作品だ。細部においては、<全国の農村漁村から根こそぎ動員で集められた少年たち。(中略)死への待合室に待機していた少年特攻兵>という、志願と動員を同一視し、当時存在しなかった少年特攻兵というような言葉を用いているなど気になる点もある。また、ロシアの核政策で<日本だけが世界の紛争と無縁でいられる時代では、もはやない>という現状認識が、いかにして導かれるのか、その理路が理解しがたい。しかし、これらの欠点があるにしても、それをはるかに上回る説得力が作品全体にある。丹念な取材、優れた文章、著者の熱い想いが、総合され、傑出したノンフィクションに仕上がっている。堀川惠子氏には、21世紀のノンフィクション界を牽引する力が内在している。

 【注】受賞作。

□佐藤優「第47回大宅壮一ノンフィクション賞選評 ~書籍部門~」(「文藝春秋」2016年6月号)
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【片山善博】選挙権年齢引下げと主権者教育のあり方

2016年02月26日 | ●片山善博
 (1)2016年夏の参議院選挙から、選挙権の年齢が18歳以上に引き下げられる。
 各地の高校では、それに備えて主権者教育ないし有権者教育が試みられている。
  (a)地方のある県立高校では、いわゆる模擬投票を演じた。教室を投票所と見立てて、そこに投票箱を設置し、投票立会人や選挙人名簿を確認し、投票用紙を交付する係などを配したうえで、生徒が順次投票した。
  (b)これも地方のある県で、県議会本会場を舞台に模擬議会を演じた。平素は県会議員の座る議席に選ばれた高校生が着席し、その中の数人が演壇から質問した。ここでは本物の知事が出席し、答弁に立った。

 (2)これから様々な試みがなされるはずなので予断は禁物だが、(1)-(a)、(b)の2事例を見るかぎり、片山教授が懸念し、恐れていた事態が進行しつつある。該当高校の教師はじめ関係者が悩みつつ取り組んでいるのを百も承知の上で、敢えてそう思わざるを得ない。
  (a)’主権者として選挙権を行使できることになる新有権者の自覚を促すとともに、実際の投票がどんなものか、疑似体験してもらう。
  (b)’選挙を通じて自分たちが選んだ代表が普段どんなことをやっているのか、それに近い場面を経験することを通じて政治に関心を持ってもらう。
 そんな狙いが(1)の事例には込められているにちがいない。しかし、いずれもピントがずれている。

 (3)なぜピントがずれた主権者教育なのか。
  (a)’’これを行うことにどんな意味があるのか。まさか、高校生たちが選挙に際し、投票所で働くことを想定して行っているわけではあるまい。初めての投票で戸惑わないよう配慮してのことだろう。しかし、投票の仕方が分からないから投票所に行くのを躊躇うというようなデータがあればともかく、そんな事情があるわけではないだろう。実際、老若男女の誰でも投票所に足を運べば、戸惑うことなく投票できるよう、昨今の選挙管理委員会は適切な案内表示を設定している。それでもわからない人には、その場のスタッフが懇切に教えてくれる。高校生に前もって投票所のまねごとをさせることなど無用で、貴重な時間を充てるのであれば、もっとほかにやるべきことがあるはずだ。
  (b)’’模擬議会も、いったい何のためにやるのか。ひょっとして高校生たちがいずれ被選挙権年齢に達した暁には地方議会議員をめざしてもらうよう、今から訓練しておくということか。それならそれで意味がないわけではないが、そもそも政治家の養成は学校が担う主権者教育の範疇を超えている。

 (4)(1)-(b)の模擬議会は、これまでも少なくない自治体で実施されてきた。「子ども議会」や「女性議会」だ。しかし、一般論としてだが、こうした模擬議会はやらないほうがいい。
 なぜか。
   ①模擬議会がモデルとしている現実の地方議会のありようは、決して模範とすべきでないからだ。議員が滔々と質問を読み上げる。それに対して、首長が、あらかじめ用意された答弁書を、これまたひたすら読み上げる。そんなやりとりに終始する議会は小学校の学芸会のようだ(揶揄)。
   ①’学芸会を貶しているのではない。学芸会は整然と決められたとおり進行されるのをよしとするが、言論の府として議論により合意形成を図るべき議会が、シナリオどおりの学芸会であってはならない、という意味だ。
   ①’’もし、身近な議会が学芸会ではなく、躍動的な運営がなされているのであれば、それを範として模擬議会を開くことには意義を見出せる。「一般論としてだが」と断った所以だ。
   ①’’’しかし、実際には、そうした議会は希有であり、全国の大方の自治体議会では相変わらず学芸会を演じ続けている。これからの民主政治の担い手である前途有為な高校生たちに、そんな学芸会のマネごとなど決してさせるべきではない。
   ②これまた一般論としてだが、「子ども議会」や「女性議会」が、ともすれば首長の人気取り施策の一環として利用されてきた節があるからだ。子どもや女性を議会に招じ入れ、そこで出された質問に懇切に答える姿勢を見せて、業界団体ばかりでなく、子どもや女性にも大いに関心をもって政治や行政を行っているとの好印象を与えるのだ。主権者教育が、あろうことか、権力者の人気取り施策のお先棒を担ぐようなことがあってはならない。

 (5)では、主権者教育、有権者教育として何が大切で、何をすればいいのか。
 それは一人ひとりが民主政治への関わりについて知見を広め、自覚をもってもらうことだ。それには国政よりも自分たちにより身近な自治体の問題をとりあげるのがわかりやすく、かつ、実践しやすいはずだ。
 <例>生徒たちの通学路である市道、その歩道における自転車通行のあり方を取り上げる。クラス委員が議員になったつもりで、規制の是非を論じてみるのだ。①スピードを出した自転車の怖さを感じることの多い徒歩通学の生徒は、歩道の自転車通行を禁止し、あるいは何らかの制限を加えてほしいと言うだろう。②一方、自転車通学の生徒は、それに難色を示すはずだ。
 たった一つのクラスの中でさえ、結論を得るのは容易なことではない。
 だが、民主政治とは、異なる考えを持つ成員の間で、常に合意を見出していかねばならない難儀な作業である。そのことを知るだけでもとても貴重な経験となる。
 もし、クラスで「市道である通学路の自転車通行に規制を設けるべき」との合意が得られたら、次は実践に移るのだ。早速、それを市議会への請願に持ち込むのだ。 
 総務省と文科省が作成した生徒用副教材「私たちが拓く日本の未来」では、どういうわけは「模擬請願」を勧めているが、そんなマネゴトではなく、真正の請願を出せばよい。

 (6)その高校生たちの請願に、市民の代表である市議会がどう向き合うか。
 適当にあしらうのか、それとも真摯に受け止めてくれるか。
 自分たちに意見陳述の機関が与えられるかどうか。
 そうした経験を通じて、高校生たちはわがまちにおける市民の位置づけや地方自治の実態を知るにちがいない。実は、それこそが生きた主権者教育なのだ。

□片山善博(慶應義塾大学教授)「選挙権年齢の引下げと主権者教育のあり方 ~日本を診る第76回~」(「世界」2016年3月号)
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 【参考】
【片山善博】TPPから見える日本政治の悪弊 ~説明責任の欠如~
【片山善博】政権与党内の議論のまやかし ~消費税軽減税率論議~
【経済】今導入すると格差が拡大する ~外形課税=赤字法人課税~
【片山善博】【沖縄】辺野古審査請求から見えてくる国のモラルハザード
【片山善博】川内原発再稼働への知事の「同意」を診る
【片山善博】違憲と不信で立ち枯れ ~安保法案~
【片山善博】【五輪】新国立競技場をめぐるドタバタ ~舛添知事にも落とし穴~
【片山善博】「ベトナム反中国暴動」報道への違和感
【片山善博】文部科学省の愚と憲法違反 ~竹富町教科書問題~
【片山善博】都知事選に見る政党の無責任 ~候補者の「品質管理」~
【片山善博】JR北海道の安全管理と道州制特区
【政治】地方議会における口利き政治の弊害 ~民主主義の空洞化(3)~
【政治】住民の声を聞こうとしない地方議会 ~民主主義の空洞化(2)~
【政治】福島県民を愚弄する国会 ~民主主義の空洞化(1)~
【社会】教育委員は何をなすべきか ~民意を汲みとる~
【社会】教育委員会は壊すより立て直す方が賢明
【社会】「教員駆け込み退職」と地方自治の不具合
【政治】何事も学ばず、何事も忘れない自民党 ~公共事業~

【片山善博】TPPから見える日本政治の悪弊 ~説明責任の欠如~

2016年01月14日 | ●片山善博
 (1)2015年10月5日(現地時間)、アトランタ(米国)で開催されたTPP閣僚会合において、TPP協定が大筋合意された。その概要は公開されたが、細部について判然しないことが多い。
 それはさておき、今日までの交渉経過や大筋合意後の国内政治の動きを見ていると、合意内容とは異なる観点で気がかりな点、違和感を抱かざるを得ない点がいくつかある。
 それは実はTPPという個別政策課題を越えて、日本の国と地方の政治一般に共通する悪弊だ。

 (2)安倍総理は、翌10月6日に記者会見を開き、TPP大筋合意を受けての所感を表明した。
 その所感に係る違和感の第一は、総理がこれから踏まなければならない最も重要な手続きについてあまり頓着していないように見受けられた点だ。
 大筋合意は、あくまで協定素案のようなもの。いずれ関係国の間で正式の協定=条約として成立させる必要がある。
 条約を締結するのは政府の権限だが、政府が条約を締結するに当たり国会の承認が必要だ(憲法73条3号)。政府間で合意が整っても、国会で承認されなければ何の効力も持ち得ない。
 してみれば、10月6日の時点で総理が最も気にかけなければならないのは、折角まとめた合意内容を国会によって承認してもらうことであるはずだ。
 ところが、不思議なことに記者会見における総理の冒頭発言では、「批准」も「国会」も一言も出てこなかった。

 (3)(2)の記者とのやりとりの中で、TPP交渉の経緯や情報開示を求める声に応えて臨時国会を開くべきとの意見があるがと質されたことに対し、開くとも開かないとも答えず、「いずれ国会で審議」と述べるにとどまっている。
 政府が秘密裏に交渉を進めてきたTPPの合意内容について、国会の場で積極的に説明責任を果たし、その上で批准してもらいたいとの姿勢は殆ど見られなかった。

 (4)その国会では、かねてTPPをめぐり様々な議論が交わされてきた。国会がTPP協定案を審議するに当たっては、こうした一連の経緯を踏まえてその内容が吟味されなければならない。
 <例>衆議院及び参議院の各農林水産委員会決議「環太平洋パートナーシップ(TPP)協定交渉参加に関する件」(2013年4月)【注】と、大筋合意との整合性が(少なくとも両院の農林水産委員会においては)問われるはずだ。 
 むろん、多くの国との輻輳した交渉だったから、決議と少しでも違ったらまかりなら、というものではあるまい。決議内容をほぼ踏まえたものになっていると理解してもらえるかどうか。ある程度決議と違っていたとして、その経緯や理由を説得的に説明することができるか。こうした点が国会審議を通じて試されねばならない。
 安倍総理は、(2)の記者会見で、「関税撤廃の例外をしっかり確保することができました」「食の安全・安心にかかる基準もしっかりと守られます」などと誇らしげに語ったが、そんな抽象的な説明や美辞麗句は屁の突っ張りにもならない。
 具体的懸念事項について野党議員はもとよりそえぞれの分野の専門家の疑問や懸念に答え、国民の不安を解消できるか。さらに、与党の議員にも大きな責任がある。衆参の農林水産委員会の決議に賛成した以上、与党だから政府が決めたことに異を唱えないというのでは無責任だ。自分たち自身の説明責任が問われるものと心得ておくべきだ。

  【注】「米、麦、牛肉・豚肉、乳製品、甘味資源作物などの農林水産物の重要品目について、引き続き再生産可能となるよう除外又は再協議の対象とすること」、残留農薬・食品添加物の基準、遺伝子組換え食品の表示義務、遺伝子組換え種子の規制、輸入原材料の原産地表示、BSEに係る牛肉の輸入措置等において、食の安全・安心及び食料の安定生産を損なわないこと」、「濫訴防止策等を含まない、国の主権を損なうようなISD条項には合意しないこと」などが含まれている。

 (5)協定案の批准までにこんな作業が控えていて、その作業がまだ始まってもいない段階で、政府は既にTPPが効力を発することを前提に、関連する法律の改正作業に入っている。TPPへの対応策としての農業関係経費を今年度の補正予算や来年度の当初予算に計上する準備を急いでもいる。
 驚くべし。補正予算はTPPの批准はおろか、その実施的な審議に先んじて成立させる方針だという。影響がどんなものか、認識が共有されないまま、予算だけが先行しそうだ。
 <例>補正予算に土地改良事業などTPP関連農業予算3,800億円超が組まれるというが、TPPと土地改良事業との間にどんな関係があるのか。土地改良事業はTPPがもたらすどんな問題を解消するというのか。

 (6)大切な手順を踏まずして、何とも気が早すぎる。
 かつてウルグアイ・ラウンド合意の際、その対応策として土地改良事業に巨費を投じたが、それはわが国農業の競争力強化には決してつながらなかった。その二の舞を避けるためにも、まずはTPPの内容とその影響をよく分析し、それを共有することから始めるべきである。
 国会議員にはもっと矜持を持ってほしい。TPPをこれから国会で審議するというのに、その国会があまりに軽視され、馬鹿にされているとは思わないのか。

 (7)自治体にも考え直してほしい。
 政府がTPP参加交渉に加わるとした頃、多くの自治体議会は農業をはじめとして地域にさまざまな影響を及ぼす懸念があるので参加には慎重を期すべき旨の決議をした。大筋合意後は、その内容が詳らかでないいことから、地域に与える影響を明らかにせよ、と国に迫る内容の決議もあった。
 ところが、現在自治体の多くは、TPP関連予算を政府に要望し、その確保に奔走している。大筋合意から今日までまだ日は浅いが、自治体はTPPが地域に及ぼす影響や懸念を既に把握しているだろうか。 
 <例>公共調達における地元優先政策を蔑ろにしかねないISD条項だ。善悪は別として、公共事業発注における地元土木建設業者育成政策や各種の地産地消政策を、自治体はこれからも続けることができるのか。大筋合意には、「出訴期間を違反発生を知った時から3年6ヵ月以内に制限する」とあるが、それが果たしてどれほどの効果を持つか。

 (8)こういった問題を一つ一つ丁寧に詰めていくことがいま求められているのに、世の中はそんなことより予算やお金に追い立てられている。
 国や地域の将来にとって大切なことはそっちのけで、目先の弥縫策で乗り切ろうとする政府が一方にあり、その目先の策を追い求める自治体がもう一方にある。
 こんな政治でいいのか。
 いいはずはない。

□片山善博(慶應義塾大学教授)「TPPから見える日本政治の悪弊 ~日本を診る第75回~」(「世界」2016年2月号)
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 【参考】
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【片山善博】政権与党内の議論のまやかし ~消費税軽減税率論議~

2015年12月18日 | ●片山善博
 (1)軽減税率をめぐる政権与党内の議論には、腑に落ちないことがいくつかある。
   単に関係者が勘違いしているか、
   それとも国民やマスコミの目を晦(くら)ますために意図してまやかしの論説を持ち出しているのか、 
そのいずれであるにせよ、消費税率引上げとそれに伴う軽減税率導入に関するとても重要な論点なので、整理しておく。

 (2)まず、軽減税率は導入すべきでない、という説。軽減税率は「面倒くさい」という暴言もあった。
 一般的にはそういう考えもあってよいが、今になってそれを政権与党の幹部が口にするのはいただけない。
 軽減税率を導入すべきでないのなら、3年前から党の方針としてその旨を明らかにしておくべきだった。3年前、消費税率を当時の5%から8%へ、さらに10%へと順次引き上げることを決めた際、自民党は公明党および民主党とともに軽減税率導入の方針を打ち出した。その後の選挙でも公約に掲げていた。
 国民に増税を受け入れさせる時には、軽減税率を導入するので逆進性は緩和されるなどと調子のいいことを言っておきながら、今になって実はそもそも導入すべきではないなどとよくも言えたものだ(唖然)。
 
 (3)さらにこれも自民党筋から最近とみに聞こえてくるようになったものだが、食料品に軽減税率を導入しても低所得者対策にならないというのだ。低所得者よりも金持ちの方が食料品を多く優遇するので、むしろ金持ちの方が軽減される額が多くなる。金持ちに有利な制度になってしまうという。
 そんな理屈は初めからわかっていることで、それでも軽減税率が低所得者の負担を抑えることにかわりがないからこそ、党の公約にも導入する旨を明記していたのではなかったか。
 もとからやるつもりのないことをあたかもやるように言って騙したのであれば、国民を愚弄し、瞞着するにもほどがある。その片棒を担がされた公明党もいい面の皮だ。

 (4)軽減税率を導入すると、それによって税収が減るので、当てにしていた社会保障政策ができなくなるという議論がある。これはマスコミにもかなり浸透しているようで、各紙の社説などに軽減税率導入には財源確保が不可欠だなどという論説がよく見られる。
 この議論が持ちだされる際に必ず言及されるのが「社会保障と税の一体改革」だ。この中では消費税の税収は社会保障の財源に充てることが決められた。もとより、税収の使途限定する目的税とするのは税制としては決して賢明ではない。税はあくまでも歳出項目全体の比較の中でより優先度が高い項目に充当するのが本来の財政運営である。
 ところが、現実の税制では、目的外として仕組まれる税がある。使途を限定することにした方が納税者の理解を得られやすいなどの理由からで、消費税もその文脈の中で福祉目的税とされた。社会保障はとても重要で、消費税はその社会保障施策にしか使わないとの説明は、国民に増税を受け入れてもらうには有効だったからだろう。

 (5)ともあれ、軽減税率を導入すれば、その分だけ消費税が目減りし、社会保障に充てられる額が減る。それは困るだろうから、やはり軽減税率の導入はやめた方がいい。導入するにしても、目減りをできるだけ少なくするよう、軽減税率の対象範囲は極力限定すべきである、<例>精米に絞って軽減税率を導入した場合、税収減は400億円にとどまる、というような案が出てくるのはこうした背景からだ。
 一見もっともな議論のように見えるが、実はここに大きなまやかしがある。社会保障と税の一体改革では、消費税収は社会保障施策に充てることとし、その旨を消費税法にも書き込んだ。しかし、社会保障施策の財源は、消費税収に限ると決めたわけではない。逆もまた真なり、ではないのだ。社会保障施策に必要な財源として消費税収だけで不足するのであれば、別途他の財源を充てればいい。

 (6)(5)の考えに対して「そんな財源がないから、苦労しているのだ」という反論が返ってくるが、これには眉に唾をつけて聞いたほうがいい。
 国家公務員の給与引き上げや地方創生予算を組む時に、そんなにシビアな財源論が持ち出されることはない。どこからともなく財源が工面されてくるからだ。

 (7)社会保障はとても大事だから、消費税収を優先的にこれに充てる。この考えに異論を唱える人はほとんどいない。これを喩えると、お年寄りは大切にしなければならないから電車内にお年寄り優先の席を設けているようなものだ。
 では、その優先席が満席だった時、そこに座れないお年寄りはどうすればいいか。一般席の方で座る場所を見つければいい。
 ところが、ここは一般席なので、お年寄りは優先席の方へ行ってください、優先席に空きがなければ、我慢して立っているか、それとも今後優先席に座っている人に替わってもらうかです。・・・・これでは、本来大切にされなければならないお年寄りがむしろ冷遇されることになって、本末転倒だ。

 (8)軽減税率導入で社会保障の水準がっかうほできないとする議論は(7)の譬えによく似ている。口では社会保障が重要だから消費税収をこれに充てると言いながら、その実、社会保障を消費税収の枠内に押し込め、他の一般財源をこれに充てないとしているわけで、これまた本末転倒だ。

 (9)本格的な軽減税率を検討するには時間がなくて、2017年4月の税率を10%引き上げ時までに間に合わないから、とりあえず税率10%を先行させ、その後に軽減税率を導入したらいいという主張がある。
 とんでもないことだ。3年前に10%時に導入する方針を出していながら、この3年間いったい何をしてきたのか。あーでもない、こーでもないと、時間を徒に空費させてきたのは誰なのか。そんな人たちが今になって時間がないなどと言えた義理ではあるまい。
 もし本当に時間がないと言うのであれば、消費税10%引き上げを再度延長したらいい。その方がよほど衡平と常識に適っている。

□片山善博「消費税軽減税率論議のまやかし」(「世界」2015年8月号)
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【片山善博】【沖縄】辺野古審査請求から見えてくる国のモラルハザード

2015年11月17日 | ●片山善博
 (1)2015年10月13日、翁長雄志・沖縄県知事は、仲井眞弘多・前知事が行った米軍普天間基地の移転先である名護市辺野古沿岸の埋立て承認を取消した。
 これに伴う問題を、ここでは、もっぱら民主主義や国家権力のあり方という観点から取り上げる。

 (2)国(防衛省)は、知事承認取消し処分を無効にするため、行政不服審査法に基づき国土交通大臣に審査請求をした。
 これは理解できない行為だし、的外れでもある。
 そもそも、行政不服審査法とは、「国民に対して広く行政庁に対する不服申立てのみちを開くことによって、簡易迅速な手続きによる国民の権利利益の救済を図るとともに、行政の適正な運営を確保することを目的とする」(同法第1条1項)のだから、国や自治体が行使する公権力から国民を守るためにあるのであって、国の機関を守るためにあるのではない。
 にもかかわらず、このたびは国(防衛省)がたまたま県から承認をもらう立場であることを理由にして、あたかも自らが私人であるかのように振る舞い、国民に与えられている権利を臆面もなく行使しているのだ。
 国の関係者には、行政不服審査法の趣旨、つまり圧倒的に力が強く、優越した立場にある国に対し、弱い立場にある国民の権利を擁護するために設けられているのだということがまるで理解できていない。

 (3)法的リテラシーが低い組織であれば、例えば自衛隊の海外での活動に法が歯止めをかけたとしても、その意味や限界をちゃんと理解することができないし、守れない。
 安倍首相は、我が国は法の支配を尊重する民主主義国家としばしば吹聴しているが、既に権力の内側からそんな原理は空洞化しているのではないか。
 これでは民主主義国家の看板が泣く。

 (4)いや、彼らは行政不服審査法の趣旨を理解した上でこんな振る舞いをしているのかもしれない。
 強引に法律の拡張解釈をすれば、自分たちだって国民に含まれる。ならば、行政不服審査法を活用して何が悪い。憲法9条の解釈を無理やり変更して制定した安全保障法制に比べればたいしたことはない。法律上の疑義が生じても、今のあの内閣法制局なら間違いなく助け舟を出してくれる。ずるいと言われようとどうしようと、利用できるものなら何でも利用させてもらう。
 こんな厚顔無恥やモラルハザードが蔓延しているのだとしたら、ここでもやはり民主主義国家は根腐れしている。

 (5)このまま行政不服審査法の手続きが進行すると、知事の埋立て承認取消し処分の当否を国交大臣が審査することになる。国交大臣が登場するのは、そもそも埋立ての免許や承認の事務は国(国土交通省)の事務とされ、それを県に委任しているという建前をとっているからだ。
 この種の事務を法定受託事務という。法定受託事務に関して県知事の措置に文句のある国民は、その事務の主管大臣(埋立て承認を取消しについては国交大臣)にその旨を申し出よという次第だ。

 (6)この点でも、行政不服審査法を利用できるのは国民であり、国は対象から除外されていると考えるのが当然だということが明らかになる。
 仮に国が審査請求をしたとすると、その案件も国が審査することになるのだが、それでは公正で客観的な審査は到底できない。とりわけ今の安倍政権のように、政府内でも与党内でも異論が出ないように周到に抑え込むのを得意とする政権の場合には、殊にそのことが言える。 
 一般に、審査したり、裁いたりする立場にある者が、その案件と深い関わりがある場合には、あえてその立場につかせない仕組みを採っている。公正さを担保するためだ。
 公正さを担保するために、こうした制度を行政不服審査の過程でも取り入れるとすると、今回のような場合には国は審査する立場を離れなければならなくなり、必然的に審査する者がいなくなる。
 そうであれば、はじめに戻って、やはり国が審査請求を出すことには法律の文言上だけでなく現実の運用面でも無理があることに気づくはずだ。
 国はそれでも怯むことなく強引に審査請求の処理を行うのだろう。結論は最初から決まっている。現・沖縄県知事の「承認取消し処分」を取消し、前知事による埋立て承認の効力を継続させる決定を下すことになるだろう。その結論の当否はともかくとして、身内で審査し、身びいきをしたに違いないとの疑惑は当分ついて回る。そんなやり方が通用しないことぐらい、子どもでもわかることだ。

 (7)では、国(防衛省)が知事に対抗するにはどんな手段があるのか。
 それは、悪知恵を働かせて私人を装ったりするのではなく、法で認められた国家権力を行使すればよい。その術はある。地方自治法の規定に基づき、国は県に対して是正の指示をすることができる。
 具体的には、国からの法定受託事務について、県による処理が法令に違反していると認めるとき、あるいは著しく適性を欠いていて明らかに公益を害していると認められるときには、国はその違反を是正ないし改善させるために必要な措置を講ずるよう、県に指示することが認められている。実際にこのたびの知事の取消し処分が法令に違反しているとか、著しく適性を欠いているかどうかは定かではない。ただ、法律上は国がそう判断すれば、取りあえずは是正の指示を出すことができる。

 (8)その後はどうなるか。今度は県の側で、国からの指示に不服があれば(このたびの場合は不服はあるだろう)、国地方係争処理委員会に審査の申し出をすることができる。
 国地方係争処理委員会は、地方自治法上設けられている仕組みであり、国と自治体とが対等であるとの原理のもとに、国が自治体に対して行った関与(各種の許認可のほか(7)の是正の指示などを含む)に対する不服や疑義について、自治体からの申し出を受けて審査する機関だ。委員には、地方自治や行政法に精通する専門家などが国会の同意を得て任命され、それなりに公正で信頼のおけそうな印象はある。

 (9)国地方係争処理委員会の結論がどうなるか予断を許さないが、国の側も県の側もその結論に不服があれば、こんどはいよいよ訴訟に持ち込み、法廷で争うことになる。
 国地方係争処理委員会の審査を経る道行きを、国はまどろっこしい、あるいはそれこそ昨今お得意の「面倒くさい」と考えているのか。それとも、ひょっとして、そこで自分たちに不都合な結論が出ることを恐れているのか。
 国がなりふり構わず、行政不服審査法を窃用し、そそくさと都合のいい結論を出そうとする態度は、いかにも姑息で卑怯に映る。前知事からもらった埋め立て承認に瑕疵がなく、絶対の自信があるなら、もっと正々堂々と法が認めた手続きを踏めばいい。

□片山善博(慶應義塾大学教授)「辺野古審査請求から見えてくる国のモラルハザード ~日本を診る第73回~」(「世界」2015年10月号)
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 【参考】
【沖縄】見返りから“賄賂”へ 振興費を区へ直接支給
【佐藤優】沖縄・日本から分離か、安倍「改憲」を撃つ ~知を磨く読書~
【佐藤優】沖縄の自己決定権確立に大貢献 ~翁長国連演説~
【詩歌】【沖縄】山之口獏「沖縄よどこへ行く」
【詩歌】【沖縄】山之口獏「耳と波上風景」
【詩歌】【沖縄】山之口獏「がじまるの木」
【詩歌】【沖縄】山之口獏「浮沈母艦沖縄」
【詩歌】【沖縄】山之口獏「沖縄風景」
【詩歌】【沖縄】山之口獏「島」
【詩歌】【沖縄】山之口獏「弾を浴びた島」
【佐藤優】慌てる政府の稚拙な手法には動じない ~翁長雄志~
【佐藤優】ある外務官僚の「嘘」 ~藤崎一郎・元駐米大使~
【佐藤優】自民党の沖縄差別 ~安倍政権の言論弾圧~
【沖縄】翁長知事訪米のインパクト ~メディアが伝えてないもの~
【佐藤優】【沖縄】知事訪米を機に変わった米国の「安保マフィア」
【佐藤優】ハワイ州知事の「消極的対応」は本当か? ~沖縄~
【沖縄】辺野古対抗と「わが軍」 ~安倍政権の思考停止~
【佐藤優】【沖縄】キャラウェイ高等弁務官と菅官房長官 ~「自治は神話」~
【沖縄】辺野古対抗と「わが軍」 ~安倍政権の思考停止~
【沖縄】の今(2) ~日米同盟の再構築へ向けて~
【沖縄】の今(1) ~東アジアの中の琉球~


【片山善博】川内原発再稼働への知事の「同意」を診る

2015年09月11日 | ●片山善博
 (1)8月11日、九州電力は川内原子力発電所第1号機の原子炉を起動し、再稼働させた。
 福島の過酷事故の始末がまだついていないし、事故原因すら究明されていないのに。
 原発に頼らずとも電力は足りている、自然エネルギー開発に力を入れるべき、火山災害のリスクが考慮されていない、避難計画が不十分、etc.さまざまな批判や強い反対意見がある中で、九電は再稼働させた。

 (2)政府は、九電など電力各社の再稼働方針に呼応し、orそれを促すかのようにぴったり寄り添っている。安倍晋三・首相も再稼働には積極的で、「世界で最も厳しい規制基準をクリアしたと原子力規制委員会が判断した原発については再稼働を認めていく」という考えを繰り返し表明している。
 福島の事故後に新しい基準が作られたのは事実だ。ただ、それが「世界で最も厳しい規制基準」であるかどうかは検証されていない。政府も、その根拠について具体的に説明していない。単に「世界で最も」などと勝手に吹聴しているだけではないか(疑念)。

 (3)田中俊一・原子力規制委員会委員長は、規制委員会による審査は
   「規制基準の適合性審査であって、安全だとは言わない」
と述べている。施設が基準に適合していると判断しただけであって、それが安全だとは保証できない、ということだ。すげないものの、実に率直な見解ではある。
 田中委員長のこの見解と、首相の物言いとの間に大きな懸隔があるのは明らかだ。

 (4)政府や電力会社が再稼働を正当化するもう一つの理由は、原発が立地する自治体の首長の同意だ。たしかに、鹿児島県知事も薩摩川内市長も川内原発の再稼働について同意している。
 首長の同意は必ずしも法律上の要件ではない。ただ、新潟県知事の同意を得られる見込みがないことから、柏崎刈羽原発の再稼働にとりかかれないでいる東京電力の事情を見れば明らかなように、現実問題として首長の同意がなければ電力会社は原発を再稼働させることができない。
 原発の運転に係る県知事や市町村長の同意とは、かくも大きな意味を持ち、責任の重い判断だ。

 (5)このたびの川内原発再稼働について、鹿児島県知事は「再稼働に同意する」と言わず、「やむを得ない」としているが、事実上同意したことには変わりない。
 この同意は、はたして妥当な判断に基づくものだったのか、どうか。気になる点が幾つかある。
  (a)知事は再稼働について「国が安全性を十分に保証する」ことが必要だ、との考えを述べていた。知事は、このたびの同意にあたり、「原子力規制委員会により安全性が確保されることが確認された」としているが、(3)で見たように当の田中委員長は「安全だとは言わない」と言っている。委員長のこの発言を知事が知らないはずはない。知事が「安全性が確保されることが確認された」理由と根拠については、もっと質されてしかるべきだった。

  (b)「万が一、事故が発生した場合には、国が責任をもって対処するということについて、政府の考えが明確に示された」ことも、知事が同意の判断をするに至った根拠の一つにあげている。たしかに、宮沢洋一・経済産業大臣も菅義偉・内閣官房長官もその趣旨の方針を表明していた。仮に原発事故が起こった時、国が事故への対応に全面的に責任を持ってくれて、それで県民の安全は大丈夫ということであれば、それに越したことはない。
    ただし、本当に大丈夫であるかどうか、あらかじめ十分に確認しておかなければならない。いくら国が「責任を持って対処する」と言ったとしても、それが安請け合いやその場しのぎ、or気休めだったとすれば、そんなものは屁の突っ張りにもならないからだ。知事は、国のその方針に実態が伴っているか、ちゃんと確認しているのか。
    <例>東日本大震災によりメルトダウンしていた東電福島第一原発では、放射線量が高い環境下で原子炉に水を注入しなければならなかった。当初それを自衛隊などが試みたもののうまくいかず、最終的には東京消防庁のハイパーレスキュー隊がその任務を果たした。
    ハイパーレスキュー隊は、大規模災害や特殊災害に対応するための特別な資機材を保有し、隊員たちは専門的かつ高度な訓練を受けている。もし、彼らの存在と活躍がなければ、福島の事故はもっと過酷なものとなり、被害はもっと深刻かつ広範囲に及んだはずだ。
    では、仮に川内原発で何らかの原因により同じような状況が現出した場合、事故への対応に「全面的に責任を持つ」国は、これにいったいどんな手を打つことができるのか。福島の時とは違って、自衛隊が水を注入する術を既に身に着けているのか。それならそれで安心だが、国は再稼働に併せてそのことになんら言及していない。いまだに福島の時と似たような実情にあると推察せざるを得ない。
    もし、国が川内原発でも福島と同じように東京消防庁をあてにしているとしたら、それは非現実的だ。東京から比較的近距離にある福島県でさえ、東京消防庁からの派遣は、限られた退院のやり繰りの面でも「兵站」の面でも決して容易ではなかった。これが福島県よりはるか遠方の鹿児島への派遣となると、その実現性はほぼ無い。

 (6)鹿児島県知事は、再稼働に同意するにあたって、国に対して少なくとも(5)の点は確認しているはずだが、その確認した内容を県民に公表しておかねばならない。それは再稼働に対する県民の漠然たる不安の一部を解消することにつながるはずだからだ。だが、この種のことに知事は触れていない。
 もし、国に確認したところ、自衛隊はこの面ではいまだにあてにできないし、東京消防庁をあてにすることも現実的でないということであって、これでは県民に説明できないということであれば、知事が再稼働に同意を与えたことは早計の誹りを免れない。県民の安全を第一に考えるべきなのに、それを二の次にしているからだ。

 (7)再稼働に同意するにしても、いざという時の注水の「めど」ぐらいはつけておくべきで、それが県民の安全を守る知事の責任ある態度だ。同時に、福島の事故を閲したわが国の原発立地自治体がまず学んでおくべき教訓の一つだ。よもやそんなことはないだろうが、もしこうした基礎的なことすら国に確認しないまま同意の判断をしたのだとすれば、それは論外というしかない。

 (8)国の側だけでなく、県や市町村の側の問題もある。
 福島の原発事故では、住民の避難が難渋を極めた。市町村の避難計画が十分に整備されていなかったことがその一因だ。
 では、川内原発の場合の避難計画はどうか。再稼働に同意する際の知事の記者会見録を見る限り、知事は避難計画をあまり重要視していない(印象)。いざとなったら、柔軟かつ臨機応変に対応できるとの自負も垣間見える。
 しかし、大震災が原因で原発事故が発生した時には、県庁や自治体庁舎も被災したり、一時的に機能麻痺に陥ったりしかねない。現に、東日本大震災では、福島県では役場自体が避難を余儀なくされたし、県庁舎も被災して知事以下職員が近くの建物に移らざるを得なかった。そんな大混乱の中にあっても臨機応変に整然とした対応ができると考えているとしたら、想像力が少々不足している。

□片山善博(慶應義塾大学教授)「川内原発再稼働への知事の「同意」を診る ~日本を診る第71回~」(「世界」2015年10月号)
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【片山善博】違憲と不信で立ち枯れ ~安保法案~

2015年08月20日 | ●片山善博
 (1)安倍政権は、安保法制を強引に成立させようとしている。衆議院では、特別委員会と本会議のいずれも与党だけで強行採決した。
 衆議院の審議は100時間を超え、論点も出尽くした、というが、国会の審議は単に時間をかければよいというものではない。しかも、実質的には11本もの法案を強引に一本化しているから、本来の一本当たりに換算するとせいぜい10時間程度に過ぎない。その一つ一つが重大な意味と内容を持っているのに、これでは審議時間がが少なすぎる。
 衆議院での審議は焦点を絞れないまま漂流した感があるし、法案への疑義は深まるばかりだ。
 国民の理解は一向に進んでいない。法案の成立に反対する意見が賛成を大きく上回っている【新聞各紙の世論調査】。むしろ、ここにきて国民の理解がかなり進んできたからこそ、反対する声が強くなったと見るべきか。

 (2)国民の理解が得られない最大の理由は、この法案が憲法違反だからだ。
 国会が制定する法律は、憲法に適合していなければならない。憲法違反の法律は無効だ。
 むろん、憲法には解釈の余地があって、安保法案はその余地の範囲内だから違憲ではない、と政権は強弁する。しかし、この政府見解は、ほんのわずかの例外を除いて、ほとんどの憲法学者から一蹴されている。
 政府が「合憲説」の根拠に持ちだしたのが、いわゆる砂川判決(1959年)だ。ただ、これは米軍の駐留が憲法上容認されるかどうかが争われた事件であって、わが国の集団的自衛権行使とは無縁の判決だ。牽強付会というより、片言隻句を頼りに幼稚なレトリックを弄している。

 (3)しかも、砂川判決そのものの「合憲性」に強い疑いを抱かざるを得ない事情と曰くがある。
 判決を出した田中耕太郎・最高裁判所長官(当時)は、驚くべきことに、判決前から駐日米国大使と面会し、判決に係る情報を提供するなど内通していたのだ【米国政府が公開した在日米国大使館の機密文書】。
 これが事実ならば、この判決は憲法違反だ。「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」【憲法76条3項】のだが、報じられた田中長官の言動は、国(この刑事裁判の当事者)ないしその背後の米国から何らかの指示を受けていたことを疑わせるに十分だからだ。

 (4)しかも、さらに、砂川判決では「統治行為論」を持ちだし、日米安全保障条約(米軍が駐留する根拠)のような高度に政治的な問題について司法は判断しない、としたのだ。
 この統治行為論は、最高裁が憲法によって課せられた職務を怠り、その責任を放棄したものだ。
 「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する」【憲法81条】
 ならば、裁判で法律が憲法違反かどうか争われた場合には、最高裁はその憲法適合性について判示しなければならないはずだ(違憲立法審査)。
 ところが、田中長官の最高裁は、砂川判決においてその判示を避け、逃げてしまった。
 本来「一切の法律、命令、規則又は処分」が憲法に適合するかしないかを決定すべきなのに、「一部」については例外的に審査の対象から除外した。いわば、政府や国会のやることに「お目こぼし」の余地を作ってしまったのだ。
 これでは、国家権力に対し憲法が箍(たが)をはめるという立憲主義の原理は、実質的に大きく毀損される。憲法の番人たるべき最高裁が自ら憲法を蔑(ないがし)ろにするようなことがあってはならない。

 (5)もっとも、砂川判決は、単なる最高裁の職務怠慢ないし責任放棄というわけではない。
 そもそも最高裁が憲法適合性に疑問を抱かなければ、単純に合憲だと判示すればよかっただけのことだ。
 それをそうしなくて、統治行為論などという怪しげな理屈を持ちださざるを得なかったのは、とても合憲だと言えないし、さりとて違憲だとも言い辛い政治的事情ないし圧力があったのだろう。
 それを裏打ちするのが、(3)の田中長官の不可解な言動だ。
 統治行為論とは、違憲の疑いが極めて濃厚な事件をカモフラージュするための、苦し紛れの詭弁だ。

 (6)このたびの安保法案について、その合憲性を弁証するには、こんな曰くつきの判決に頼らざるを得なかったこと自体、既にこの法案が憲法に支えられていない事情を物語っている。

 (7)安保法案について、子育て中の女性の関心が高いという。
 特に、自衛隊が海外に展開するようになれば、いずれ徴兵制が敷かれるのではないか、と懸念している。
 これに対して自民党は、徴兵制などあり得ない、と防戦に努めている。
 では、ありえないとする根拠を示せ、と迫られると、「憲法上徴兵制は禁じられているとの解釈が定着している」と応じているが、まったく説得力を持っていない。
 なにしろ、自民党はこれまでの長い間、「集団的自衛権は憲法上行使できない」と言い続けてきた。その解釈は、それこそ定着しているはずだったが、安倍政権はあっさり「集団的自衛権は憲法上認められている」とまるっきり逆の解釈を打ち出した。そんな政党のことだから、今後いつ「徴兵制は憲法上禁止されていない」と言い出すかしれたものではない。
 こう詰め寄られると、もはや自民党に返す言葉はない。
 憲法を踏みにじる者が、都合のいい時だけ憲法を自説の補強材料に持ち出そうとする。その胡散臭さに国民の不信は高まりこそすれ、減じることはない。

 (8)国立競技場建替えをめぐるドタバタ劇も、安倍政権への不信に追い打ちをかけた。
 これまで建築の専門家や多くの国民から、杜撰な計画は見直すべきだ、とさんざん批判されていたのに、政権は「このデザインはオリンピック招致の際の国際公約だから変えられない」と言い張っていた。
 しかし、安部総理が計画を白紙撤回する頃から、デザインは重要なことではない、とするIOC会長の考えが伝えられた。
 国際公約説は、いったい何だったのか。この疑問は、一連の不始末を点検するために設けられる第三者委員会で追求されるべきだが、それとして、このたびの安保法案への不信を抱かせる要素を十二分にもっている。
 政権は、法案が必要なことの根拠に「国際情勢の変化」を持ちだすが、それは国立競技場建替えの国際公約説と同様、国民を騙しているのではないか。
 ここでも、政権は説得力の基盤を失っている。

 (9)衆議院で強行採決された後、安部総理は「国民に丁寧に説明する」と称して、いくつかのテレビ番組に立て続けに出演し、消火活動や戸締まりの譬えを用いて得々と説明していた。
 しかし、何が言いたいのか、よく理解できない話だったし、憲法違反ではないという説得的な説明はゼロだった。
 そもそも法案の内容に無理があるから説明できないのだ、と知るべきだ。

□片山善博(慶應義塾大学教授)「違憲と不信で立ち枯れの安保法案 ~日本を診る第70回~」(「世界」2015年9月号)
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【片山善博】【五輪】新国立競技場をめぐるドタバタ ~舛添知事にも落とし穴~

2015年07月17日 | ●片山善博
 (1)2020年東京オリンピックのメイン会場(新国立競技場)の建設が迷走している。
 まず、建設オペレーションを統括する最高責任者は誰なのか、よくわからない。
 森喜朗・オリンピック組織委員会会長が随所に登場するが、どうみてもこの人ではない。
 施設の運営主体とされる日本スポーツ振興センター(JSC)の理事長も、実質的な責任者ではなさそうだ。当事者能力がとんとない(印象)。
 この問題が取り沙汰されるたびに文部科学大臣が記者会見で責任者然とした発言を繰り返している。しかし、いわくつきの基本設計コンペなどはJSCが実施しており、工事の発注も文科省が担うわけではないから、大臣が正式な責任者だとはいえない。

 (2)この種の巨大プロジェクトを進めるにあたり、この期に及んで最高責任者が内外に分かるかたちで決まってないことは致命的だ。全体を統括し、進行を総合的に管理する機能が欠如しているからこそ、後で物議をかもす基本設計がまかり通るような事態が起こる。事業計画額がべらぼうに増えることになったり、肝心の時までに完成する見込みが立たないのではないかと失笑を買ったりもする。
 船頭多くして山に上るだ。
 どんなものをどう再建するかもあいまいなまま、さらに言えば、こんなことになるなら改修して使うのが現実的だったかもしれないのに、元の競技場は早々と壊してしまった。今となっては取り返しのつかないことだ。その責任はいったい誰がとるのか。
 これは戦争の時に最高司令官がいないようなものだ。戦闘は場当たり的で、後先のことを考えていない。部隊は一見連携しているように見えても、実は単なるもたれあいにすぎず、まるで統率がとれていない。たまに作戦が功を奏した時には、みんなが自分の功績を誇ろうとするが、いざ窮地に陥ると責任を逃れようとする。

 (3)無責任の典型例の一つが、東京都に対する建設費のつけ回しだ。国は建設費のうち500億円ほどを負担せよ、と東京都に迫っている。
 舛添知事が取り敢えず国の要求を拒んだのは至極当然だ。
 そもそも国と自治体との財政秩序を国の都合で乱すようなことがあってはならない。そのため国がその権限に基づき責任を持って処理すべき事務については、その経費は全額国庫が負担するものと定められている。これが国と自治体との財政関係の原則だ。

 (4)国にしてみれば、新国立競技場は国の施設だといっても、そもそもオリンピックを主催するのは東京都なのだから、そのメイン会場の建設費について都に応分の負担をさせても罰は当たらない、との感情論もあるだろう。
 そこで、あくまで一般論だが、そのような場合には国と自治体とが相談の上、本体工事はすべて国が負担する一方、周辺の道路などの整備は自治体の負担で実施する、というような協力体制をとることはよくある。
 舛添知事も、「東京都からの支出が法的に認められるのは、(競技場周辺整備の)50億円程度」との認識を示したという。それなら常識の範囲内だ。
 だが、国はそんな「はした金」では納得できない、もっと寄越せ、と言いたいに違いない。
 一時、東京都から相応の金を出させるための法整備について文部科学大臣が言及したことがあった。しかし、国が自治体に対して無理やり負担を押し付けることは地方財政法で禁じられているから、そんなことはできない。

 (5)では、東京都が自主的に国に協力して資金提供する場合はどうか。
 議会でそのための予算が承認されれば取り敢えずできないことはない。しかし、それによって、舛添知事は大きなリスクを抱え込むことになる。現時点ではあくまで可能性の問題だが、場合によっては、自分の財産を身ぐるみ剥がされる可能性がある。東京都の納税者からの住民監査請求とそれに続く住民訴訟によって、知事が個人的に責任を追及されかねないからだ。

 (6)住民監査請求とは、自治体の職員によって違法または不当な公金の支出があったと認められる場合、住民なら誰でも、かつ、一人ででも、その支出によって生じた損害を補填するために必要な措置を講じるよう、当該自治体の監査委員に請求することができる、とする地方自治上の制度だ。
 このたびの例に置き直してみると、ここにいう
   「職員」とは桝水知事のことであり、
   「損害を補填するために必要な措置」とは、違法または不当に支出した金額を「職員」=舛添知事に賠償させる
ことを意味している。

 (7)住民監査請求を認められなかった請求者は、それを裁判所に持ち込むことができる。これも地方自治法によって、住民ないし納税者の権利として認められている住民訴訟の仕組みが活用できるのだ。
 監査委員と違って、裁判官たちに「情」は通じない。
 むろん、訴訟ではおよそ500億円の支出の違法性などが争われるが、知事が責任を追及される可能性は大いにある。国の施設を建設するために、都の公金を支出することは、地方財政法に違反している、との論は十分成り立つからだ。
 しかも、経緯から言って、国は当初の建設費の目算が大きくはずれ、そのツケを東京都にしわ寄せしたのではないか、との疑念がぬぐえない。国の失政のツケは国が始末すべきであって、その尻ぬぐいのために都民のお金を供出するいわれはない。違法性の論拠は、一段と高まるはずだ。

 (8)もし、住民訴訟の結果、500億円の支出が違法ないし不当だとなった場合、舛添知事は500億円そのままかどうかはさておき、個人では到底払えそうもない莫大な金額を東京都から請求される。
 決して公金を渡したわけではないし、そもそも予算を通じて議会の承認手続きをとっているにもかかわらず、どうして個人的に弁償しなければならないのか。・・・・現行制度がそうなっているからには、従わざるを得ない。
 よかれと思って軽い気持ちで予算に盛り込んだところ、住民訴訟によって一文無しになることもある。
 このことを、全国の首長はよくよく心得ておくのが身のためだ。

□片山善博(慶應義塾大学教授)「新国立競技場をめぐるドタバタ --舛添知事にも落とし穴か ~日本を診る第69回~」(「世界」2015年8月号)
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 【参考】
【五輪】工事遅れや費用増大、責任のなすり合い ~新国立競技場~
【五輪】が都民の生活を圧迫する ~汚染市場・アパート立ち退き~
【五輪】公共事業のためか? ~メッセージの発信、新しい試みを~
【原発】放射能の海で「おもてなし」 ~2020年東京五輪~
【原発】東京放射能汚染地帯 ~オリンピック競技候補会場~
【原発】放射能と東京オリンピック招致



【経済】今導入すると格差が拡大する ~外形課税=赤字法人課税~

2015年01月04日 | ●片山善博
 このところ新聞報道で「赤字法人課税」やら「外形課税」にふれた記事をよく目にする。
 報道では分かり辛い「赤字法人課税」「外形課税」だが、これに基本的には賛成だ。しかし、今のタイミングにこれを強行することには反対だ。

 「赤字法人課税」「外形課税」も法人事業税の課税方式に関する議論の中で取り沙汰される。法人事業税は都道府県税の中で最も重要な税だ。
 法人事業税は、一部の例外を除き、基本的には法人の所得に対して課税される。だから、所得がない法人(赤字法人)には税負担が生じない。つまり、現行の法人事業税の仕組みは、いわば「黒字法人課税」だ。
 赤字法人課税は、この仕組みを変えて、赤字法人にも税負担を求める制度に移行させよう、という議論だ。

 国税の法人税も「黒字法人課税」だ。
 ただ、国税と異なり、地方税の場合には、自治体が提供する行政サービスに要する費用はできるだけ広く薄く地域のみんなで負担し合うという基本理念がある(負担分任の原理)。この原理に照らせば、原則として黒字法人のみに負担させる現行の法人事業税の仕組みは、決して望ましいものではない。

 都道府県は、企業に行政サービスを提供している。
  (1)直接的なもの・・・・<例>投資奨励の支援策や低利融資制度などの産業政策。
  (2)間接的なもの・・・・<例>道路や港湾などの整備。企業は、日常これらを利用して原料や製品を運搬している。もし、こうした公共施設が整備されていなければ、企業活動は大きく停滞する。
  (3)その他・・・・<例>警察行政。もし、治安が悪くて凶悪犯罪が多発するような地域であれば、企業は安心して業務に勤しむことなどできないだろう。
 こうした事情があるのに、都道府県の財政を支えている事業税の負担は、原則として黒字企業だけが担う(赤字企業はそれを免れる)という現行の仕組みは明らかに不公平だ。しかも、黒字企業は法人のうち3割ほどしかなく、残りの7割はいわばフリーライダー化している。これが、赤字法人課税論が主張される所以であり、背景だ。

 では、赤字法人に課税するには、どうすればよいか。所得に替えて何を基準に課税するか。先の負担分任の原理からすると、行政サービスによる受益の程度に応じて法人が税を負担しあう制度が最も望ましい。
 受益の程度を計る基準の一例・・・・法人の事業活動の量に応じて負担を求めるのが合理的。事業活動の量は、法人が一定期間に生み出した付加価値によって推定されるから、その多寡に応じて課税する仕組みにすれば、公平性の観点からする違和感は解消される。
 付加価値は、一般に、従業員への賃金、企業が払う利子・地代・家賃、企業の利潤で表されるから、これらを対象にして薄く広く課税すればいい。・・・・所得に替わるこうした基準によって課税する仕組みを、法人事業税の「外形課税」ないし「外形標準課税」という。「外形課税」に切り替えれば、結果として赤字法人課税になる。
 これによって、黒字企業も赤字企業も、それぞれの事業活動の規模に応じて公平に税を負担することになるし、都道府県の税収も安定する。所得に応じて課税する仕組みのもとでは、景気の変動によって税収も変動する。法人を含めた住民サービスを本務とする自治体の税には、安定性という要素も必要だ。

 ただし、現時点では「外形課税(「赤字法人課税)」への切り替えは止めたほうがいい。
 政府は法人税を減税する方針を決め、その代替財源として法人事業税の外形課税化が浮上している。
 実は、いまでも一部の企業には外形課税が導入されている。資本金1億円以上の大企業を対象に、その税額計算について部分的に付加価値などを基準にして課税する仕組みが設けられている。
 よって、今次の外形課税化の議論は、具体的には
  (a)その大企業についての外形基準で課税する部分の割合を増やす。
  (b)資本金1億円未満の中小法人にも外形課税を広げる。
との両方の意味が含まれている。

 では、減税で利益を得るのは黒字企業。特に、アベノミクスによる円安効果を一身に受ける輸出関連企業にとってメリットが著しく、かつ、これらは総じて大企業だ。
  ②法人事業税の課税方法の変更でダメージを受けるのは赤字企業であり、中小企業の多くがこれに該当する。しかも、輸出に関係のない企業は原材料費の価格上昇という円安のデメリットだけをもろに受けていて、それが赤字を増す要因にもなっている。ちなみに、赤字企業には国税の法人税減税のメリットは何もない。

 ①は、円安効果と減税政策によりタナボタ式に二重の恩恵を受ける。いや、黒字企業のほとんどは法人事業税の課税方法の変更によっても減税になるから、三重の恩恵を受ける。
 ②は、円安の副作用と法人事業税の課税方法の変更で往復ビンタをくらう。
 どう見ても①は強く、②はすこぶる弱い立場だ。政治は、とことん強い方に味方し、そのしわよせを弱い方に押しつけようとしている。
 何故、格差をことさら拡大しようとしているのか。
 これでは、およそ公正な政治とは言えない。

 法人事業税の外形課税化は、公正な課税方式だから賛成するが、このたびの法人税減税と抱き合わせでこれを進めれば、却って不公平を助長するから、とうてい賛成できない。
 では、何時これを導入したらよいか。それは大企業ばかりではなく中小企業も黒字に転換した時が最もふさわしいタイミングだ。その時には、反対するより賛成する中小企業も多くなっているだろう。
 そうした経済環境をつくることこそ、政治は力を注ぐべきだ。

□片山善博(慶大教授)「今ではない「赤字法人課税」 ~日本を診る 62~」(「世界」2014年12月号)
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