お寺のオバサンのひとりごと

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阿弥陀如来は神様なのか? その3

2011年02月18日 | 仏教
 「さとり ったって、何のことかもわからないし、
第一、悟りたいとも思わないし
自分は正義だと思っているし
自分の物の見方が偏っていて、そういう心によって、自他共に傷つけているという自覚症状もないし

そういう 困ったさん(私)を 悟りに向かわせるのは、容易なことではありません。

 とにかく、「このまま放っておいたら、大変なことになりますよ」
と、気づかせたいと、仏は願われる・・・

そこで、仏の慈悲の はたらきかけ として

私に「さとり」って境地があるんだよ 
「さとり」の境地は、あるがままに感受し、無量の(量り知れない)縁を感知し
多くの恵みとしあわせを喜べる 心の世界なんだよ

と知らしめるために、方便の姿として(本当は「慈悲のはたらき」なのですから、絵や言葉では表現できないのですが、それでは、私に接点がないので)、私のために現れてくださったのが、阿弥陀如来であり、「南無阿弥陀仏」なのです。

 だから、「私」を棚上げして、
「私」の感受性(こころ)を抜きにして

阿弥陀如来に、自分欲の延長にある願かけをするのは、真宗の信心では、ないのです。
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