熊本は余震が続いていますが、佐賀で揺れは、あまり体感しなくなりました。平常の生活ができています。
大被害はなかった佐賀の私たちでさえ、疲れましたから、熊本の方々の心痛と疲労はいかばかりか・・・実感をともなって案じています。
先日、K寺さまの巡番報恩講で聞かせていただいたことです。
真宗の門徒にとって、一番耳慣れた聖教・お勤めである「正信偈」は
「帰命無量寿如来」 で、始まります。
無量寿如来とは、阿弥陀如来のはたらきを言い換えたお名前(量ることが出来ない・無量のいのち・慈悲)ですが
「帰命」とは、心から敬って、み教えを拠り所とすること。
無量寿仏(如来)を尊重しながら生きさせていただく。
喜びの中にも悲しみの中にも・・・
また、こうも聞かせていただきました。
想定できるものは、「老」「病」「死」だけであって、それ以外は全て想定外。
「死」も、どんな「縁」によって、もたらされるのかも、わかりません。想定できるものなど何もない。
あ、今また、結構揺れました。震度4らしい・・・
まだ、まだ、不安は続きますね。
大被害はなかった佐賀の私たちでさえ、疲れましたから、熊本の方々の心痛と疲労はいかばかりか・・・実感をともなって案じています。
先日、K寺さまの巡番報恩講で聞かせていただいたことです。
真宗の門徒にとって、一番耳慣れた聖教・お勤めである「正信偈」は
「帰命無量寿如来」 で、始まります。
無量寿如来とは、阿弥陀如来のはたらきを言い換えたお名前(量ることが出来ない・無量のいのち・慈悲)ですが
「帰命」とは、心から敬って、み教えを拠り所とすること。
無量寿仏(如来)を尊重しながら生きさせていただく。
喜びの中にも悲しみの中にも・・・
また、こうも聞かせていただきました。
想定できるものは、「老」「病」「死」だけであって、それ以外は全て想定外。
「死」も、どんな「縁」によって、もたらされるのかも、わかりません。想定できるものなど何もない。
あ、今また、結構揺れました。震度4らしい・・・
まだ、まだ、不安は続きますね。