法語カレンダー2月の言葉は、高光大船 師(明治生まれで、大正、昭和に活躍された金沢の真宗大谷派のご住職)の言葉
拝むとは 拝まれて居た事に
気付き醒めること
自分中心の感性(常識と思うことや、正しいと思うこと = 自己を正当化する心) を離れられない私のための
「南無阿弥陀仏」(仏の智慧の光に照らされ、自分の危うさ、愚かさを自覚するよう促し、かつ、どんな不出来な私をも見捨てない慈悲の仏心)だったなあ~
私が手を合わせるよりも、ずっと先に、仏さまの方が、こんな私を心配し、拝んでくださっていたんだなあ~
と、しみじみ思うお言葉です。
拝むとは 拝まれて居た事に
気付き醒めること
自分中心の感性(常識と思うことや、正しいと思うこと = 自己を正当化する心) を離れられない私のための
「南無阿弥陀仏」(仏の智慧の光に照らされ、自分の危うさ、愚かさを自覚するよう促し、かつ、どんな不出来な私をも見捨てない慈悲の仏心)だったなあ~

私が手を合わせるよりも、ずっと先に、仏さまの方が、こんな私を心配し、拝んでくださっていたんだなあ~

と、しみじみ思うお言葉です。
