ご法話を聞いていて、よく出てくるのが「迷い」
「迷う」と聞いて、一般的にイメージするのは、
「道や方角がわからなくなる」こと
「どうすればいいか、何をえらんだらいいか、わからない」こと
あるいは、もしかして「死者の霊がさまよう」こと
など、でしょうか
仏教用語としての「迷い」は、上記の言葉の意味とは、ちょっと違いますので、上記イメージで、初めてご法話を聞かれると、
がいっぱいになるかもしれません。
ご法話で聞く「迷い」とは
無明(むみょう):仏の智慧がない状態
つまり、自分中心の物の見方・感じ方しかできないため
思い通りにならないもの(こと)を自分の思い通りにしたいと、苦しむ状態
結果
愛欲に執着する、
名誉を求め、おごり、高ぶる、差別する
あるいは逆に、
卑下して自暴自棄になる
そんな、心コロコロ、煩悩の満ちあふれた状態を「迷い」と言います。
決して、死者の霊がさまようことを「迷いの世界」と、法話で言っておられるのではありませんので、念のため。
「迷う」と聞いて、一般的にイメージするのは、
「道や方角がわからなくなる」こと
「どうすればいいか、何をえらんだらいいか、わからない」こと
あるいは、もしかして「死者の霊がさまよう」こと
など、でしょうか

仏教用語としての「迷い」は、上記の言葉の意味とは、ちょっと違いますので、上記イメージで、初めてご法話を聞かれると、


ご法話で聞く「迷い」とは
無明(むみょう):仏の智慧がない状態
つまり、自分中心の物の見方・感じ方しかできないため
思い通りにならないもの(こと)を自分の思い通りにしたいと、苦しむ状態
結果
愛欲に執着する、
名誉を求め、おごり、高ぶる、差別する
あるいは逆に、
卑下して自暴自棄になる
そんな、心コロコロ、煩悩の満ちあふれた状態を「迷い」と言います。
決して、死者の霊がさまようことを「迷いの世界」と、法話で言っておられるのではありませんので、念のため。
