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お寺のオバサンのひとりごと

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迷う

2014年09月24日 | 仏教
 ご法話を聞いていて、よく出てくるのが「迷い」

 「迷う」と聞いて、一般的にイメージするのは、

 「道や方角がわからなくなる」こと
 「どうすればいいか、何をえらんだらいいか、わからない」こと
 
 あるいは、もしかして「死者の霊がさまよう」こと

など、でしょうか

 仏教用語としての「迷い」は、上記の言葉の意味とは、ちょっと違いますので、上記イメージで、初めてご法話を聞かれると、 がいっぱいになるかもしれません。

 ご法話で聞く「迷い」とは
 無明(むみょう):仏の智慧がない状態

 つまり、自分中心の物の見方・感じ方しかできないため
 思い通りにならないもの(こと)を自分の思い通りにしたいと、苦しむ状態

結果
 愛欲に執着する、
 名誉を求め、おごり、高ぶる、差別する
あるいは逆に、
 卑下して自暴自棄になる

 そんな、心コロコロ、煩悩の満ちあふれた状態を「迷い」と言います。

 決して、死者の霊がさまようことを「迷いの世界」と、法話で言っておられるのではありませんので、念のため。

 

 
コメント (2)
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