お寺のオバサンのひとりごと

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念仏は呪文じゃない

2014年09月01日 | 仏教
 今年も早、9月。この夏、佐賀では観測史上、日照時間が、最短だったそうで、きょうも雨模様。

 さて、真宗連合の法語カレンダー9月の言葉は
金子大栄師の言葉

 お念仏は
 讃嘆であり
 懺悔である


 ところで、世間一般の若い方にとって、「念仏」って、どんなイメージでしょうか

 死者が安らかであるように祈る呪文 あるいは、家内安全を願う呪文 のように、勘違いされておられるかもしれません。

 念仏は、自分では常識もあって、そこそこ立派に生きていると思い上がっている 私を、
仏さまが悲しみ、「あなたが間違いないと思っている あなたの感性は、本当は自己中心的でしかありませんよ」 と、気づかせて、真実の物の見方ができる 仏(覚者)に導きたい との 如来の誓い・願い であり、
如来に相対して、気づかされた私が、如来(仏)に感謝し、仏徳を讃える のが、念仏です。

 如来に相対して気づかされる私の姿というのは、は、自分中心で、真実の智慧がないくせに、エラソウにしている お恥ずかしい姿です。

 内藤昭文先生の法語カレンダー解説「心に響くことば」本願寺出版社 によりますと

 懺悔 は、悔い改める ということだけでなく、
 
 仏教の「懺悔」の原語である「クシャマ」は、「広い心で許すこと」「思いやりの深いこと」を意味します。

「罪を罪と知らしめる智慧」と「その罪を自覚した身をそのまま認め許す慈悲」が一体になった、私に対する阿弥陀如来の はたらき です。

と、書かれています。

 

 
コメント
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