先日、ある方のお通夜に参列。
クリスチャンで、教会でのお通夜でしたので、正確にいうと、
「通夜」ではなく「前夜式」
パイプオルガンの厳かな演奏により、始まりました。
一同に楽譜が配られ、起立して賛美歌。
故人の思い出をご家族が語り、牧師さんのお説教を聞かせていただきました。
牧師さんのお話は、「天国」を「浄土」と言い換えたら、そのまま浄土真宗のご法話になりそうな共通点も多々ありました。
共通点は、不完全な私の自覚が一つ。もう一つは、死をのりこえて、永遠のいのちを恵まれる(人間の死を超越する)こと。
全く異なる点は、「また共に会える」という点は同じでも、
神のみもとにて、「私」という「霊」のまま、また会える「天国」と、
お互い仏となって、つまり「私」という意識・執着、我を超越した(覚りの境地を得た)覚者となって、倶に会う世界・境地・「浄土」との違いです。
仏教の「自利利他」:自らの心の救済だけでなく、浄土に往生した後、娑婆世界で苦しむ他の人々の心を救うはたらき。
「仏」と成らせていただくってことは、本当に、尊く有り難いことなんだなあ~と、しみじみ感じたことでした。
それにしても、牧師さんのお人柄がにじみ出るお説教と、美しいバリトンで歌われた賛美歌は、心にしみました。
貴重なご縁をいただきました。
クリスチャンで、教会でのお通夜でしたので、正確にいうと、
「通夜」ではなく「前夜式」
パイプオルガンの厳かな演奏により、始まりました。
一同に楽譜が配られ、起立して賛美歌。
故人の思い出をご家族が語り、牧師さんのお説教を聞かせていただきました。
牧師さんのお話は、「天国」を「浄土」と言い換えたら、そのまま浄土真宗のご法話になりそうな共通点も多々ありました。
共通点は、不完全な私の自覚が一つ。もう一つは、死をのりこえて、永遠のいのちを恵まれる(人間の死を超越する)こと。
全く異なる点は、「また共に会える」という点は同じでも、
神のみもとにて、「私」という「霊」のまま、また会える「天国」と、
お互い仏となって、つまり「私」という意識・執着、我を超越した(覚りの境地を得た)覚者となって、倶に会う世界・境地・「浄土」との違いです。
仏教の「自利利他」:自らの心の救済だけでなく、浄土に往生した後、娑婆世界で苦しむ他の人々の心を救うはたらき。
「仏」と成らせていただくってことは、本当に、尊く有り難いことなんだなあ~と、しみじみ感じたことでした。
それにしても、牧師さんのお人柄がにじみ出るお説教と、美しいバリトンで歌われた賛美歌は、心にしみました。
貴重なご縁をいただきました。