お寺のオバサンのひとりごと

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阿弥陀如来・南無阿弥陀仏 その2

2013年08月26日 | 仏教
 仏を親に例えるならば、

「仏に成りたい」など思いもせず、さとりの境地に、ほど遠い子どもほど心配でたまらない。 放っておけない。
 何とか「(自我を超えた)真理に気づかせたい 全ての者を仏の境地に導きたい」と、親(仏)は願い、
真如」(さとり)の世界から、私のところにてくださった姿・はたらき、仏の願い
を「如来」と称す。仏=如来

 阿弥陀(アミダ)の「阿」は、否定語・「」。「弥陀」は、「る」の意味。

 つまり、「阿弥陀如来」とは、量りしれない、智慧(光に例える)と慈悲(寿・いのち)の如来 という意味で、「無量光」「無量寿」は阿弥陀如来のはたらきをあらわす。

 私たちが手を合わせ、心を合わせやすいように、阿弥陀如来の願い(本願のこころ)を「姿」としてあらわしたのが、仏像なり、絵像であり、音(声)として、あらわれたのが
「南無阿弥陀仏」(念仏)である。

 阿弥陀如来のこころ(本願)を聞くということは、私の心、私の姿を知らされることである

 
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