お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

難中之難無過斯

2011年11月23日 | 仏教
 今朝、早い時間、総代のM氏から電話。
正信偈に、わからない箇所があるので、お尋ねに伺っていいですか

ということで、すぐ来寺くださり、住職が解説させていただきました。

 きょう、M氏がお尋ねになったのは、聖典P14

 弥陀仏本願念仏
 邪見憍慢悪衆生
 信楽受持甚以難
 難中之難無過斯

 「教行証文類」現代語訳P146には、こう訳されています。

 阿弥陀仏の本願念仏の法は、
 よこしまな考えを持ち、
 おごり高ぶる自力のものが
 信じることは実に難しい。
 難の中の難であり、これ以上に難しいことはない。
 

 森田真円 師の「ひらがな正信偈」 本願寺出版社にこう書かれています。P103

 勉強熱心な学生の中にも心配なタイプがあり

 それは、思い込みが強いというか、学んだことを自分勝手に理解してしまい
妙に自信を持っているタイプです。例えば教典を学ぶにしても、自分の考えが先行していて、それに合った文章だけを学び取り、それ以外は無視してしまうといったふうで、これでは何かを学んでいるようで実際は何も学んでいないことになってしまいます。それまでの自分の考えとは違うものに出会ってこそ、何かを学んだということになるのですから。まして、仏さまの教えを学びながら、自分の中の「おごり」「高ぶり」に気づこうとしないようでは、「大丈夫だろうか?」と思わずにおれません。

 森田先生も仰っていますが、それは、人ごとではありません。

 自力(自分の考えを基準とする生き方)を離れて、他力(仏の真実心を基準と仰ぐ生き方)を感受する のは、

 わが身をふりかえっても、それは、難中之難無過斯 と、しみじみ思うことです。
 

     

 

 
コメント (2)
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