お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

念仏の教えは劣ったものなのか? その6

2011年11月04日 | 仏教
 「浄土真宗は、何~も、せんでいいもんね~ (何も、しなくて、いい)」

と、よく耳にします。

 その通りなのですが・・・
でも、そう発言なさっている方の受け取り方が、何かちょっと違うようにも感じます。

 何もしなくていい から、自分を顧みることをしない

 何もしなくていい から、仏事は、おろそかでいい

 何もしなくていい から、わざわざお寺で法話なんぞ聞かなくてもいい

と、誤解しておられるのでは・・・と感じます。

 真宗は、仏教です

 ただ、阿弥陀如来が、誰でも死んだら、いいところに連れて行ってくれる という、話ではありません。
 
 「私」を棚上げしたところに 仏教・浄土真宗は、ありません

 何もしなくていい のではなく、 何もできない私 を 自覚する

 それは、自分を磨こうと努力するな という意味ではありません。
努力できる縁に恵まれているならば、感謝して、精一杯努力する

 でも、その努力が、独りよがりであったり、
努力できない人を見下したりする「努力」なら、
それは、仏教の目指すところとは、正反対の「我執の努力」となる

 それほど、仏教が目指す「さとり」=「我執」(自分の思いに執着すること)を離れて、心穏やかに生きる とは、難しいことなんです。


コメント (9)
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