1997年イタリア映画「ライフ イズ ビューティフル」
ご覧になられた方も多いと思いますが、
あの作品を観て以来、主人公の素晴らしいお父さんをいつも思い出します。
映画は、第二次世界大戦中、
ユダヤ系イタリア人の若いお父さんは、強制収容所に送られる。
母親と引き離されて不安がる幼い息子が、収容所で安全に、心穏やかに生活できるよう、
彼は、息子に「これはゲームなんだ」と、言い聞かせる・・・
幼い息子は、何も分からないまま、素直に親の言うことに従って、結果、生還できる。
私は、あのステキなお父さんを思い出す度に、
お釈迦さまを思うのです。(もちろん、映画とは直接関係ないのですが)
お釈迦さまにとって、自己中心の 感性(物の見方)を離れられない私は、言って聞かせるのが容易ではない、幼子と同じ。
自分で 悟る(自分の思いに執着する心を離れる)ことのできない、
いや、悟ろうとも思わない 幼子(私)を
正しく 悟りに 導くためには、どう言い聞かせたら、よいか・・・
お釈迦さまは、それこそ長い間、思惟なされたことでしょう。
今、そのお心が「南無阿弥陀仏」となって、私に届けられている
素直にお釈迦さまのお心を拝し、称名念仏申させていただきたいと存じます。
ご覧になられた方も多いと思いますが、
あの作品を観て以来、主人公の素晴らしいお父さんをいつも思い出します。
映画は、第二次世界大戦中、
ユダヤ系イタリア人の若いお父さんは、強制収容所に送られる。
母親と引き離されて不安がる幼い息子が、収容所で安全に、心穏やかに生活できるよう、
彼は、息子に「これはゲームなんだ」と、言い聞かせる・・・
幼い息子は、何も分からないまま、素直に親の言うことに従って、結果、生還できる。
私は、あのステキなお父さんを思い出す度に、
お釈迦さまを思うのです。(もちろん、映画とは直接関係ないのですが)
お釈迦さまにとって、自己中心の 感性(物の見方)を離れられない私は、言って聞かせるのが容易ではない、幼子と同じ。
自分で 悟る(自分の思いに執着する心を離れる)ことのできない、
いや、悟ろうとも思わない 幼子(私)を
正しく 悟りに 導くためには、どう言い聞かせたら、よいか・・・
お釈迦さまは、それこそ長い間、思惟なされたことでしょう。
今、そのお心が「南無阿弥陀仏」となって、私に届けられている
素直にお釈迦さまのお心を拝し、称名念仏申させていただきたいと存じます。