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10日前に行なわれた『たがやせ世田谷、区長就任報告会』について会の内容をとりまとめた記事が寄せられた。就任から2カ月して、ようやくスタートラインに立ったという感じだ。政治家個人の後援会主催の企画として、準備期間は短かったもののひとつのひな型にはなったと思う。また次回もという声もあり、じっくりと考えていくこととする。

〔引用開始〕

「情報公開と区民参加」による新区政へ
~『たがやそう、世田谷~保坂のぶと区長就任報告会』を開催~


世田谷区長選から2カ月の節目となった6月25日(土)、成城ホール(砧区民会館)にて、『たがやそう世田谷~保坂のぶと区長就任報告会』が開催され、保坂新区政に関心を持つ世田谷区民を中心に400名超が参加した。
 
 集会は、政治家・保坂のぶとを長年応援してきた「保坂展人と元気印の会」と区長選挙でたちあがった「たがやせ世田谷区民の会」の共催。新区長として公務に追われる就任以来の日々を「ただひたすら目の前の懸案に取り組む日々だった」(ブログより)と振り返る保坂のぶと本人が、2カ月の節目に、支持者はもちろんより多くの区民・市民に対して個人の政治家という立場で初めて報告や抱負を語る場をつくろうと企画された。また、保坂新区政にいかなる期待が寄せられているのかを共有すべく、区長選時の推薦人3名から提言を頂いた。

◇スライドによる活動報告も

 冒頭の報告で保坂区長は、「ドイツでも脱原発への大きな転換があったが、元をたどれば地方選挙での変化が変革につながっている。」と世田谷区長選の結果を大きな変化につなげる意気込みを示したうえで、被災自治体への支援、合理的節電のための東京電力への需給情報開示要請、成城・旧山縣邸の緑保存運動、多摩川河川敷での水防訓練、テレビや市民イベント出演、世田谷区内の被災地からの一時滞在者との懇談会、児童養護施設の視察などの公務の様子を、写真スライドを交え報告した。

◇各分野から積極的な提言

続いて、区長選時の推薦人3名からの提言を頂いた。
石山修武さん(建築家・早稲田大学教授)は、主宰する「世田谷式・生活学校」を通じた区民の新しいライフスタイルづくり・政策提言の活動を紹介。「風力や太陽光などのクリーンエネルギーを生活の中に具体的に取り込まないと脱原発もかなわない。」と指摘した上で、クリーンエネルギーの「植木市」(世界の英知を集める展示会)の開催構想を紹介した。

大熊由紀子さん(国際医療福祉大学大学院教授)は、基礎自治体が権限と責任を持ち、自宅での介護制度が整うデンマークの事例紹介に続き、全室個室の特養やケア付き共同住宅などを紹介。「世田谷区で生まれ育った人が、年を重ねても住み慣れた風景・人間関係の中で生活し、自分自身で住むところを決めていければ、社会としても得である」と、ご自身も90歳のお母さんを自宅介護されている経験を紹介し、「歳をとっても障害をもっても、誇りをもてて、温もりがあって、それぞれの人が役割もって輝ける世田谷区政の先頭にたって欲しい」と保坂区政への期待を述べた。

 また、宮台真司さん(社会学者)は、「脱原発を掲げて当選をした首長は保坂さん以外にいない。地方から大きな変化があったドイツと大違いだがなぜなのか。」と問題提起。ドイツでは脱原発の下敷きに80年代からのスローフード運動(=食の共同体自治運動)があり、その上にエネルギーの共同体自治への高い意識があると指摘し、「世田谷区でも、『世田谷電力』をつくって、電力会社や電源種を自分たちで選べて投資も出来るような仕組みを住民参加で決めるという形をつくってほしい。」と提言。「日本の政治的な心の習慣は『統制と依存』。それを『自治と参加』に変える先例を世田谷で一緒につくっていきたい」と結んだ。

◇保坂区長による新区政への抱負

続いて、提言を受けて保坂区長が今後の区政への抱負を述べた。
保坂区長はまず、「就任後に新たにお付き合い頂いている方々とも一緒に大きな力をつくっていきたい。」と、選挙時の垣根を超えて政策実現を図る基本姿勢を明らかにしたうえで、原発依存社会の転換への呼びかけや、被災地支援への思いを展開。脱原発に向けては「多くの自治体や区民に、『もう一回考えよう』と呼びかけていきたい」とし、被災地・被災者支援については、「住むところに帰れないという事態にあっている方々に対して、言葉でなく、体を動かし手を差し伸べる、そういう自治体にしたい。他の23区にも頑張ってほしいが、世田谷は大きな区だし、この逆境にあって思い切って支えていきたいと思っている。」と述べた。世田谷から被災地に入った民間団体が集まり経験を共有し、個性や得意分野を活かして連携していけるような仕組みづくりに着手することも言明し、「役所も民間ももっともっと現地にいって力を注ぐことを続けていきたい。」と語った。

続いて、選挙でも議会でも、繰り返し発してきた「情報公開と区民参加」への思いが語られた。80年~90年代に世田谷で故牟田悌三さんらと活動した経験を紹介し、「シンポジウムの実行委員会を30数回やった。全員が一致するまで徹底的に議論した。区の職員も参加していた。あらゆるプロセスに住民・区民が主体的に関与して、牟田さんは、『行政と民間の垣根を超える』と言っていた。」と、多様な立場の区民・市民が行政とも一緒になって合意形成するための様々な工夫があったことを「パイオニア的な住民参加だった」と評価し、「手間暇かかりややこしい積み上げがあったからこそ、人が集まり動き、チャイルドライン設立につながった。それを実験できたのが世田谷区だった。」「今、先が暗いと言われるが、一点の可能性をかけてそれを引き寄せ、重い扉でもこじ開けていくのが政治の仕事。その力は政治家ではなくて皆さんにある。」と区民参加を呼びかけた。

また、3人の提言者からの提案にも「自然エネルギー促進やケア付き共同住宅は、来年・再来年にむくむくと芽を出し育っていく新しい必要な分野。自然エネルギーの『植木市』も実施したい。大きな施設をつくるのは難しいが、智恵を巡らせて高齢者施設づくりも描いていきたい。世田谷電力も可能性がある。新しい仕組みを待っていても始まらない。皆さん一人ひとりが役割を担って手を組んで、区民の意思という形で参加と自治の基盤をつくっていきたい。」と積極的に反応。区民からの提言を受けて様々なことを実践する区長の姿を見せた。

最後に、参加者からの質問が紹介され、保坂区長が返答。福島の子どもたちの避難受け入れや、学校給食等の放射線測定、災害共助協定、災害に強い街づくり、地域拠点の再生、若者支援、教科書・教育問題、大型開発問題など、内容は多岐にわたった。大型開発問題については、「必ず結論を出さなければいけない。みんなが参加した街づくりへの転換にはどうしたらいいかを、それぞれの地域に応じて考えていきたい。最初の大仕事だ。」との認識を披露した。

◇区長と区民の往復関係をつくる活動を

最後に、主催者を代表して金子秀人さん(たがやせ世田谷区民の会副代表)が挨拶。旧山縣邸保存運動に参加する地域住民が、保坂区長と区役所に声が届くことを実感したのをきっかけに、生まれて初めて街頭署名を始めたというエピソードを紹介し、「住民の動きと区長の動きに往復関係が生じている。そういう動きが小さな街で始まっている。こういう会をたびたび重ねて、区長と区民の往復関係を築いていき、その上に新しい区政が生まれてくるというあり方をつくっていきたい。」と、今後の後援会活動への関心と参加を呼びかけた。

かくして、保坂区長就任後初めての後援会主催報告会は、実り多いものとなった。新しい世田谷区政を、区民が主役になりつつ保坂区長とともにつくっていこうという輪の拡がりを大切に育て、区民の声が本当に届き、区民参加で政策がつくられる新しい世田谷づくりを進めていきたい。

たがやせ世田谷区民の会事務局長 森原 秀樹
 

〔引用終了〕



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