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 6月4日、衆参両院の首班指名を受けて、菅直人総理大臣が誕生した。当初は、4日にでも組閣作業を終えて新内閣を発足させて、7日には所信表明というスケジュールでいくと発表されていた。しかし、組閣は週をまたぐことになった。

参議院選挙比例代表で社民党公認候補となっている私としては、「7月11日投票」の当初予定が、国会延長をへて2週間延期されて「7月25日」になるのかどうかは大きな問題。各地の選管もやきもきしていることだろう。たとえば投票率をあげるための「7月11日参議院選挙」と題した横断幕などの広報物をすでに準備にかかっているところもある。各陣営も、選挙期間中のポスターやチラシなどの差し替え、刷り直しなどの作業も出てくる。私は「政権交代、建て直し」というキャッチコピーで臨んできたが、連立離脱後しばらくは通用したが、来週には色あせる。さあ、どんな言葉で勝負するのかと対策を急ぐことになる。

 最初から下世話な話で申し訳ない。日常生活が選挙モードに入ると、ふだんの身体感覚とはがらりと変わってしまう。早朝から夜まで「神経」と「身体」をひたすら磨耗させていく「マラソンステージ状態」に陥り、時々刻々のニュースを追うことは出来なくなる。だいたいテレビを見ている時間もないし、新聞も熟読出来ないから、情報は断片的にしか入ってこない。ただ、その一方で街角で多くの人と会話を交わしているわけだから「世論調査」の数字に出てこない「民意の温度」を感じる機会は多くなる。

 演説中にひたひたと近づいてきて初老の現場労働者が語りかける。「働いても働いても給料が下がる。ずっと苦しい状態が続いているんだ。俺たち労働者の気持ちをわかってくれるところに期待するしかないんだよ」と問わず語りに話しかけてきた。また、怒気を含んだ表情で近づいてきた老女は「子ども手当て、子ども手当てって私たち年寄りは切り捨てるのか。もう、年金も減らされて私たちの仲間も食べるものがなかったり、表に出てくることが出来ない人も増えている。高齢者の生活をもっと考えてくれ」と半ば抗議の言葉だ。

 自民党の長期支配が崩壊してから8カ月。まだまだ、小泉・竹中改革の「規制緩和」「市場万能」の嵐がぶち壊した傷跡の深い人々の生活はさしたる変化はなく、菅直人新総理が就任する。

辻元清美さんが「社菅距離」(社民党と菅直人総理との距離)という言葉を使って、「社菅距離は難しい」という言い方をしているのは、なかなか言い得て妙だと思う。私も、昨年の東京8区(杉並区)での選挙では、2回も阿佐ヶ谷駅に応援に入ってもらい多くの聴衆を前に、激烈な応援演説をしてもらったという恩義もある。この10数年、たびたび意見交換をする機会もあった。いい機会なので「市民」と「市民派議員」というキーワードを考えてみることとしよう。

 菅直人さんは、市民運動出身と言われる。また、辻元清美さんはピースボート、私は教育市民運動と、やはり市民運動出身と言われる。 詳細に見ていくと、「市民運動」の中身はそれぞれ違う。学生運動が退潮していった70年代後半に、菅さんは市川房枝さんを国会に送り出すという運動をやった。シニカルな議論の為の議論や、「内ゲバ」という病理に沈んでいった全共闘世代の中で「市川房枝」「婦人有権者同盟」という政治表現を選んだというのは、独特の感覚だったと思う。辻元清美さんはピースボートで社会党委員長だった土井たか子さんと接点があり、私は「教育分野」と並行して「土井たか子を支える会」という市民団体の企画を約10年にわたって続けていた。この会のテーマは、「市民と政治をつなぐ」ということだった。

 菅直人さんという政治家を語る時「市民」というキーワードは欠かせない。当初、日本社会党を飛び出して江田三郎さんが結成したのは「社会市民連合」だったし、1996年の民主党結成のスローガンも「市民が主役」だった。(この時、社民党のスローガンは「市民との絆」だった) そして、総理に就任することが決まると、社会面の人物評には「市民運動出身」という言葉が踊る。

  また、「市民派議員」という言い方・呼び方がある。10数年前に若手議員だった私たちと民主党の若手で「市民派議員の会」というゆるやかな懇談会があった。新幹事長になる枝野幸男さんもメンバーだった。この集まりが何度かもたれたのは90年代のことだった。その時にも「市民派って何だろう」という話になった。

 特定の官庁・企業・団体・労働組合を出身母体とする議員ではないというのが大まかなくくりだ。政治行動、判断の際に「出身母体にお伺いを立てる」煩わしさから解放されているという特徴がある。従って、組織の力ではなく個人の力で「政治活動」をスタートさせて、その主張や活動に共感する人々が支援するという関係を構築しているという政治スタイルであり、自民党によくいる「地元密着・後援会型」とは一線を画する。二世、三世という世襲政治家がいないのも「市民派」だ。

正確な定義をするのは難しいが、立ち位置は「族議員」と正反対というところだろうか。「政治家」「業界団体(企業)」「官庁」のトライアングルを操縦しつつ、「利権」と「政治献金」を結びつける技ありの議員のことを「族議員」と言うが、「市民派議員」とはその正反対の所に位置する。だから、社会的少数者の声を受け取りやすく、官僚の不祥事や情報隠しには厳しい追及をすることが出来る。(族議員には真似が出来ない) 

「市民派」という言葉は、永田町ではあまり日常的には使われない言葉だ。自他共に「市民派」を自認するという国会議員の数も限られている。そういう意味では、菅直人政権成立で「市民」とか「市民派」という言葉が久しぶりに使われたという気がする。
そして、「市民派」という言葉は、永田町のプロを自称する人たちにとっては、侮蔑的なニュアンスで使われる場合が多い。55年体制下の政治記者たちは「自民党各派閥と霞が関各省庁人事」に深いパイプを持ち、この情報を多く持っていることがプロだと言われた。

 「市民派議員」は、最初はアマチュアであっても、いつまでもアマチュアリズムに止まるわけではない。「企業・団体・労働組合」出身の議員たちは、集団で行動して判断を共にしていく。市民派議員は「自営業・商店主」的に存在をしてきたので、他の議員より情報を集約して、政局も含めた政治的な見通しを立てる力も育ってくる。「市民」と「市民派議員」に関しては、こんなことが言えるのだろうか。

 次は「新しい内閣と社民党の今後」について書いてみたい。

〔追記〕就寝前にトラックバックを見ていたら、「市民派議員」という言葉を安易に使うことに対して問題ではないかという意見があがっていた。「市民派議員」という言葉の危うさについて、鋭く指摘していると思うので、紹介させていただく。

〔引用開始〕

市民派議員」という言葉が招きそうな誤解
June 6th, 2010 by Asako
※このエントリーは、“「市民」と「市民派議員」についての断章 – 保坂展人のどこどこ日記”へのトラックバック用に起こしたものです。先に元記事の保坂氏のブログをお読みください。

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市民運動出身の菅直人氏が民主党代表になって(つまり首相になって)、「市民」「市民派議員」というキーワードが取り上げられることが増えるだろうということで、この2つの言葉にどういう意味があるのかということを書いておられます。

そもそも私の中には政治家の皆さんが言う「市民」って何なんだって疑問がずっとありました。それに対する言葉として「権力」とか「利権」って言葉があって、要するに「お金も政治的な権力もない人」のことを一まとめにした呼称=市民なのかな?と漠然と思っていました。そして、保坂氏のこのエントリーによれば、おおむね間違っていなかったのだと理解しました。

利権や既得権益を持たない者の総称、として市民を定義することはいいとしても、それに照応する呼称である「市民派議員」を、議員やあるいは選挙時の候補者が名乗ることには疑問を感じます。

「市民」にとってその名称は、あたかも「自分達の味方」になってくれるように思わせるラベリングです。でも実際には、特定の利権や既得権益を持たない者同士の中にも、格差と両立できない利害対立があります。保坂氏のエントリーの中でも、「子ども手当て子供手当てって、私ら老人は切り捨てか、年金減らされて外出もできない仲間が出てきている」と怒る老女の話が紹介されています。

あちらを立てればこちらが立たない。そういう状況で「市民派議員」を名乗るのは、相容れない利害関係を持つ両者に同時に「私はあなたの味方です」というメッセージを送り、意図的に有権者を欺いているように思えるのです。

歴史的な経緯として、「族議員」「世襲議員」のアンチとしての「市民派議員」というカテゴリーが存在するのは分かります。でも、自らの政治的立場を表す時に、そのような文脈を理解してないと正しく伝わらない、自分の票数を増やす方向に有利な誤解を招く言葉をそのまま使うのはやっぱり詐欺なんじゃないかと思うのです。

〔引用終了〕

 ありがとうございました。皆様の御意見はいかがでしょうか。





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