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 東北大震災から4カ月、早々に梅雨晴れした関東地方は晴天が続いている。区長に就任してから2カ月半、全力疾走で駆け抜けてきたが、「長い夏」の入口に立って深呼吸をして進路を見通してみたい。原発事故と放射性物質の飛散は、現状把握と対策について自治体への要望を強めた。先週も、世田谷子どもを守る会のお母さんたちから6868名分の署名を受け取った。学校、保育園等の「食の安全」を確保するようにと御提言を頂いた。すでに学校・保育園分の牛乳の検査は実施したが、給食の食材の「産地表示」は太子堂給食調理場などで開始しているところで、まだ、すべての学校で実施されるまでに至っていない。また、保育園ではメール配信で保護者に産地情報を提供しているとのことだ。お母さんたちの思いを受けとめながら、行政として出来る範囲をじわじわと拡げていきたい。

 大震災と原発事故以来、基礎的自治体の役割が問い直され、また行政への要望事項も多面化すると同時に増加している。「放射線測定」や「食品の安全」についても、国の提供情報や発表に信頼感がないことも背景にあると思う。お母さんたちの申し入れを受けながら、国の食品に関する暫定規制値がそもそも高すぎるのではないか、大人と子どもが同じ値でいいのかなど、改めて国が安全とする暫定規制値の見直しを含めた申し入れをしなければと思っている。また、食品流通についての検査体制の見直しも急務だろう。南相馬市の肉牛が全国に出荷されて流通しているニュースを見れば、検査が流通の速度に追いついていないことが判る。

 私たちは長い間、今回の事故のような潜在的危険性を持つ原発を、原発立地を受け入れた福島県に負わせてきた。そして、放射性物質の拡散が起こり、周辺の土壌が汚染され、生活の糧である農地や家畜を置いて多くの人々が避難してきている。汚染が確認されないところでも、農作物が売れなくなるなどの風評被害に悩んでいる。原発事故の拡大・拡散を防ぎ、汚染された土壌を除染し、福島の人々が安心して暮らせるような環境を取り戻すにはどうすればいいのか。福島原発の電気の消費地だった東京にいる私たちは、つねにその点を考えながら行動していきたい。

 先日、10日に大田昌秀沖縄県元知事に会い、激励をしてもらった。「沖縄県の職員数は6000名あまりで規模としては世田谷区とそう変わらない。選挙結果が出た時には、とても喜んだ。しっかり頑張ってほしい」と握手を交わした。昨年の1月から2月にかけて、沖縄に3回出向いてお話しを集中的に聞いたことを思い出す。その時の「激励」もあって、昨年の参議院選挙全国比例区に出馬することになった。手帳をめくってみると、昨年の7月10日は最終日で新宿駅東口で最後の打ち上げ演説会を行なっていた。振り返れば2009年8月衆議院選挙、2010年7月参議院選挙、そして2011年4月世田谷区長選挙と、わずか1年半の間に3回の選挙を戦ったことになる。世田谷区長に就任してから、全精力を傾注してきたせいか、すっかりそんなことは忘れていた。

 昨日は世田谷区役所から南三陸町の支援に出かける100人の職員の人たちの前で、出発前の激励の挨拶をさせてもらった。20人が1組になって、11泊12日で津波で流されなかった家屋の形状を図面化する仕事だ。すでに7月3日から第1班が入っているので、第2班から6班までの出張応援をかって出てくれたメンバーに感謝すると共に、安全無事に仕事を終えて帰って来ることを待っていますと言った。私も来週は、世田谷区職員が汗を流す南三陸町を訪ねる予定だ。



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