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 裁判員裁判における初の死刑求刑事件の判決は、「無期懲役」であった。
私は、改めて裁判員裁判における死刑判決のあり方について、早急に立法措置をすべきだと考える。今朝の朝日新聞は社説で「死刑に関しては、判決は全員一致を条件にするべきだという主張もある。皆がそれ以外の選択がないと判断する場合に限るという考えに異論はない。一方で、本来秘密である個々の裁判員や裁判官の意見を明らかにすることと同じことになり、評議にも影響を及ぼしかねない。問題点を整理しながら、検討を進めなければならない」と書いている。「だから多数決を維持すべきだ」と言い切ってないので議論にならないが、「死刑判決の全員一致制」に反対する理由は「評議に秘密が脅かされる」というだけなのだろうか。

 裁判員制度が内包する矛盾のひとつに、「否認」事件の被告の証言を吟味して「無罪」を確信した裁判員も多数決で「有罪」の評決が出てしまえば、これに従い「量刑」の評議に入ることにある。そもそも「無罪」を確信していれば、「死刑」などの判断をするわけもないが、多数決で「死刑」が決められた時には、自らの良心と信念に反した判決の当事者として苦悩することになる。このような苦痛を甘受しなければならないのは、裁判員制度の設計に瑕疵があるからだ私は考えている。昨日の死刑廃止推進議員連盟では、来年の通常国会にでも「死刑判決の全員一致制度と終身刑創設法案」を超党派の議員立法として提出すべく動き出すことを話し合った。

 検察審査会のあり方についても、同時に議論を尽くすべきである。これから、『ニコニコ生放送』で午後9から議論をするが、「強制起訴」という強権を握った検察審査会が、「平均年齢」「男女人数」以外に公開情報がないというのはおかしい。また、被疑者の弁明・主張を聞く機会もなく、補佐人が誤った誘導をした場合のチェックシステムもない。司法制度改革の大波の中で、ほとんど議論されずに導入された「強制起訴」の制度だが、市民感覚を司法にと言いながら、「厳罰化」の一方通行だけにアクセルを踏むような制度であっていいのか。

 今回の第5東京検察審査会のように、「疑わしきは法廷に引きずり出して黒白つけるのが国民の権利」などと言われて、次々と「強制起訴」が決まっていけば、検察官の「起訴」のハードルはぐんと低くなっていく。政治家であれ、企業経営者であれ、日本社会では「推定無罪」の原則など通用しない。「起訴=犯罪者」と同義に見るような報道や風説が溢れている。この点について、詳しくは、明日書くことにする。


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