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今週発売の『週刊朝日』で「かくれキリシンタンルポ」をグラビア2頁、本文6頁の8頁の書いています。そして、来週号の6頁を今、書き終えました。これだけの分量をいただいても、まだまだ書き足らないことばかりですが、観念して脱稿しました。これだけの仕事をする機会を与えてくれ、また協力してくれた皆様に心から感謝します。どうしても長文を書いている時には、ブログが滞ります。久しぶりの更新なので、思いのたけを綴りたいと思います。

 

少数であること、社会的に影の部分に存在することを何らおそれるべきでないと思います。むしろ、私は今回の取材を通して多くの事に気づきました。「井の中の蛙」という言葉がありますが、世の中には奥行きの深い知らないことが多いなと改めて感じたのです。「無知を知ることは真の知識を得る人間の出発点だ」と言いますが、そんな気持ちです。

 

今回、上下で書いたルポは、本当に起きていることのうわずみの表面に過ぎず、まだまだ描くことの出来ない事象や角度があることは、自分自身がいちばん判っています。しかし、小学生の頃にスイスイと新たな知識や逸話が身体に蓄積されていった記憶、チャージ感覚と言ってもいいかもしれません。その感覚を今回、十分に味わうことが出来ました。

 

永田町で日々起きる現象に必死に対応していることも大事ですが、権力の渦中にいると人間は「傲慢」になります。これは、私自身もそうだったように思えますが、自分の掌の上で世の中が動いているような「錯誤」をおこしやすいのです。真の権力は、こうした人間としての政治家の下世話な部分を見抜いて、持ち上げつつ誘導する人たちが握っています。

 

 もうひとつの発見は、「政治のことばかり考えていると政治が見えなくなる」ということです。職業政治家は、朝から晩まで政治情報に接しています。情報は限りなく存在し、今はインターネットが媒介しているから、24時間では消化しきれない情報洪水の只中にいることになります。あまりに多くのテーマを短い時間で処理しようとすると、どんな人でも「広く、浅く」情報に接して、すぐに忘れるという流儀にそまってしまいます。

 

 政治の場は、ひとつのことにこだわる、考え抜くという作業をやりぬくのを困難にします。そして、情報処理ばかりの時間が長くなると、思考の蓄積や展開をする力が萎えていきます。情報を探したり、仕入れたりしている時間を減らして、自分で考える時間に切り換えるべきでしょう。

 

 私自身は、今回まったく知らない世界を訪ねて、聞き取りをして、また書物を読んでまとめていくという作業を通して、何年かぶりに「自分の限界」とも向き合いました。「自分の限界」を認めるのは恥ずかしい、それは敗北ではないかと認めようとしない態度を改めることにしました。

 

 そして、ふたたび出発点に立ちました。世界が少し違って見えてきたような気がします。たいした変わりはないのかもしれませんが、今後は政治、社会、文化をめぐる発言に少々の変化が起きるかもしれません。やってみなければわからない、けれども新鮮な気持ちです。

 



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