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今日、衆議院テロ・イラク特別委員会で「給油法案」が与党によって、野党の拒否にもかかわらず強行された。私たち野党委員は、委員長席に詰め寄って「採決するな」と抗議をしたが、多勢に無勢で押し切られた。それに先立って私は、久しぶりにTV中継をされた同委員会の午後の質疑に立って、福田総理ならびに石破防衛大臣に「20万ガロン」と「80万ガロン」のパズルの謎解きを行った。『ときわ』からキティホークに間接的に給油をしてもらったことに感謝したいという述べた米司令官の言葉が、03年5月に問題となった後の対応について詳細に調べて、約11分の質疑に臨んだ。

まず2003年5月7日、福田官房長官は記者会見で「イラク攻撃に参加するキティホークなどの艦艇が、海自が提供した燃料を使用したことはない」と述べていた。ところが、翌日の5月8日2時半から行われた石川統幕議長による記者会見で、「2月25日、海上自衛隊の『ときわ』がアメリカ補給艦に20万ガロンを補給。同日、この補給艦がキティホークに80万ガロンを給油」と発表した。(14時36分終了)

先日7日にこの委員会で行われた寺岡元海幕防衛課長の参考人質疑(秘密会形式で行われたが、議事録非公開の議決をしていなために議事録は作成した)で明らかになった証言が興味深い。統幕議長の記者会見の様子について、寺岡元課長は、

「ざわざわと今の数字は何なんだというような疑問が起こりまして、一時紛糾して記者会見が一時中断した。その後、防衛庁の主要幹部と「では、今後どういうふうに対応していこうかという話し合いを私も含めてしまして、それでは実際の情報をつかんでいる海幕防衛課長、君が記者ブリーフィングをしなさいということになった」(11月7日 テロ・イラク特別委員会)と述べている。

防衛省が提出した中間報告の資料類の中に、『防衛局防衛政策課作成・03年5月9日配布資料の中の答弁応答要領』という文書がある。普通なら表に出てこないものだが、「20万ガロン」と「80万ガロン」を取り違えたという事態の重要性から国会に対して提出したもので、閣僚等が国会や会見で問われた時の想定問答形式になっている。ここには、次のような記載がある。

(質問5)統幕議長の会見後の事実関係の確認は?
(答弁)統幕議長会見においては米側の情報にもとづいて、とりあえずの情報であったために、記者会見で言及しつつ後ほど確認すると答えた。会見後、在日米海軍・在京米大使館よりメモを受領した上で、キティホークは不朽の自由作戦に従事中の2月25日、米補給艦から80万ガロンを受給したことを米側から確認した。

つまり、統幕議長の会見が中断してから、5時に元防衛課長が記者会見を再開するまでに「アメリカ海軍・大使館へ確認した」というのが重要なポイントである。

さらに、防衛省の中間報告の資料には、

「2月25日 ときわ→ペコス812KL」※2
「2月25日 ときわ→ポールハミルトン3000KL」
※1

とあり、欄外の※1には、手書き文字で、
「2月25日 ペコス→キティホーク80万ガロン(消費量20万ガロン/日)」

また、※2の部分には、
「ときわ→ペコス アラビア海北部 812KL 約22万ガロン」

とやはり手書き文字で書いている。この手書き文字は「私の字です」と元課長は認め、いつこのデータを見たのかと問われて、「私がその資料を見たのは、5月9日ではなくて、8日の日だった」と証言している。プロ中のプロの元課長が、ペコスは補給艦だったことを知らなかったのか疑問が残るが、アメリカ側のメモと対応してこの数字を書き入れたものと思われる。

そして、寺岡元防衛課長の会見の模様も防衛省の中間報告に掲載されている。

17時2分~30分「寺岡元海幕防衛課長の記者ブリーフィング」

「キティホークが米補給艦から受けた80万ガロンの燃料は、キティホークが「不朽の自由作戦」に従事中に消費されたことが確認された。(→前出の米側のメモ。「ただしメモの公開は拒否」)

ときわがキティホークに直接給油しなかったのは米側の調整にもとづくものであり、補給が直接であれ、間接であれ、日米間の交換公文の趣旨にそっている限り問題はない。

これだけの内容のことを元課長の判断で発表出来るわけもない。私は、7日の参考人質疑で元課長に尋ねた。

(保坂展人)誰と協議・相談したのか?
(元防衛課長)一同に会して話をした訳ではありません。その際に関連する相談、あるいは話し合いをした方は、防衛局長、官房長、次官、長官もいらっしゃったと思います。それぞれの方と同じ内容ではなかったように思います。

ここで、「防衛局長」「官房長」「次官」「長官(=当時は石破長官)」という名前が飛び出した。ここで、先に行われた証人喚問の議事録をひもとくと、守屋前事務次官は深谷隆司委員長の「当時の防衛局長として、結果として誤った答弁の原因となる防衛政策課がつくった答弁応答要領について」との問い質したのに対して、重要な証言をしている。

(守屋証言)当時、統幕長の記者会見で「アメリカの補給艦に20万トン給油したことを記者会見で報告した」ことを私は国会に帰ってから、部下からその話を聞いて承知をしたという経緯があります。20万ガロンが給油されたということで海幕の報告を受け取って業務に対応した。

つまり、「防衛局長」は5月8日当日に国会から市ヶ谷に帰って「部下から聞いた」と答えているのである。寺岡元防衛課長の証言で明らかになったのは、統幕議長会見の後に、5時から寺岡海幕防衛課長が会見をするまでの間に「アメリカ海軍・大使館に情報を求めてメモを提出してもらい」「長官以下、防衛庁主要幹部の判断を仰いだ」ということだった。つまり「20万ガロン」と記者会見でふたたび表明する以前に、防衛庁長官以下、幹部の意思伝達があったということになる。

防衛省の中間報告と寺岡元課長の証言によれば、5月9日に「20万ではなく、80万だった」という間違いに気づいたという。ところが、「大変なことになった」と思いながら「今、この数字を出していいのか。国会が鎮静化しているから……」などの理由で、一課長の段階で止めおいて特に幹部には報告しなかったというストーリィーとなるのだが、無理はないだろうか。

翌日5月9日には、当時の福田官房長官の記者会見「キティホークの燃料消費というのは、1日に20万ガロンというんですよ。今、問題になっているのは、20万ガロンでしょ。ほとんど瞬間的に消費してしまうということで、それがイラク関係で使われるということは、現実的に今回もあり得ないということなんです」と、事実ではない数字を活用してイラク戦争への転用がいかにないかと答弁をしている。

防衛省作成の中間報告は、寺岡元課長に誤りを指摘したはずの直接燃料に関わる海幕運用課や海幕需品課に言及せず、寺岡課長の責任にのみ言及している。不自然ではないかと参考人質疑で聞くと、

(元防衛課長)私の供述・答申書に書いた内容とほとんど一緒であって、他の部分はほとんど抜けてる、何も調査されていないという印象を持ちました。

と率直な感想を述べている。

市民団体ピースデポが「ときわ→ペコス」の給油が80万ガロンだったことを記者会見で明らかにしたのが、9月20日だった。(午後2時~3時) 防衛省がその事実を認めたのが翌日の21日だ。当時の国会論議や記者会見の中で指摘されたイラク戦争への転用をめぐって「20万ガロン」としてきた給油量を「80万ガロン」に変更するにあたって、今回のピースデポの指摘が正しく防衛省の過ちだと訂正したにしては、あまりにも早すぎる対応だ。

当時の、防衛庁長官、及び幹部は「統幕議長の会見が一時中断」して問題となったことを認識して協議した。しかし、その後のことは知らないよ、ではあまりに無責任ではないか。元課長が「国会に出すと再び荒れる」と政治判断をしたのだということであれば、「文民統制」どころではない。

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