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 歌は世につれ、世は歌につれと言う。中村八大さんがネパールで着想を得て、作詞作曲をした「太陽と土と水を」にスポットをあてて、40年後の日本に暮らしている私たちに強いインパクトを持って迫ってくる「音楽の力、歌の力」に改めて注目をしている。来る10月7日(日)午後2時から世田谷区民会館大ホールで「世田谷区政80周年記念コンサート 太陽と土と水をこの手に」を開催する。ぜひ、多くの人に足を運んでもらい、40年ぶりの復活の瞬間、これからの私たちの生き方や、歩みを共に考えるひとときとしたいと思う。

 先週、土曜日の東京新聞の社会面に「太陽と土と水を」を練習するジュニア合唱団の子どもたちの写真と紹介の記事が掲載された。

[引用開始]

作曲家・中村八大さん唯一作詞の歌 自然と調和 40年経て脚光

 「上を向いて歩こう」の作曲で知られる故中村八大(はちだい)さんが高度経済成長期の四十年前に唯一作詞し、忘れ去られた歌がある。「太陽と土と水を」。力や金でなく、知恵や自然との調和に幸せを求める歌詞は、東日本大震災と原発事故を経て人々が求め始めた社会のありようと重なる。中村さんゆかりの東京都世田谷区で十月七日、子どもらの歌声に乗ってよみがえる。 (小形佳奈)

 中村さんは寝る間もないほどの売れっ子だった一九七一年、逃れるようにネパールへ向かった。当時四十歳。「やわらかく締めつけられていた文明社会の掟(おきて)の息苦しさの中からほっとはい出た感じ」と著書に記している。

 帰国後の同年秋、「太陽と~」をつくった。生涯に五百曲近く作曲したが、自ら作詞作曲し、うたった唯一の曲だ。「人様は/力があれば幸福(しあわせ)を/つかまえられると/やってみた/力は/消え失(う)せた/力は/知恵に負けた」

 しかしレコードは売れず、ヒッピーのような姿で歌ったことから週刊誌に「奇行」と書かれた。

 中村さんの生き方を紹介した著書「上を向いて歩こう」がある音楽プロデューサーの佐藤剛さん(60)は「当たり前と思っていたものが、そうじゃないと思わされたのが大震災。曲に込められた『人の幸せとは』というプリミティブ(素朴)な歌の精神が、今こそ日本に求められている」と紹介する。

 旧知の保坂展人世田谷区長から今春、「世田谷から世界に発信できるメッセージはないか」と相談を受け、真っ先にこの曲が浮かんだ。中村さんは大学三年から作曲家として独り立ちするまでの数年間、区内で暮らしたこともある。世田谷ジュニア合唱団の小中学生や区民合唱団などによって、区制八十周年記念コンサートで披露されることが決まった。

 「社会の授業で学んだ高度経済成長期には、自然なんか意識していなかったイメージがあった」というジュニア合唱団の藤木優佳さん(14)=区立富士中学=は、自然との調和を訴える歌詞に「驚きました。私たちが歌い継いでいかなくちゃ」と楽しみにしている。

 コンサートは十月七日午後二時から、区役所隣の区民会館ホールで。入場無料。

 中村八大(なかむら・はちだい) 作曲家。1931年中国・青島生まれ。44年、家族で福岡県久留米市に引き揚げる。早稲田大在学中に結成したジャズバンド「ビッグ・フォー」にピアニストで参加し人気を博す。59年に作曲した「黒い花びら」で第一回日本レコード大賞を受賞。61年開始のNHK番組「夢であいましょう」の音楽担当として「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」などを作曲した。92年、61歳で死去。

(東京新聞9月29日夕刊)

  80周年行事は、10月7日を中心に12月3日にも追加企画が行われる。ぜひ、多くの方におこし頂ければ幸いです。

「世田谷区政80周年記念行事について」

 

 

 

 
 


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