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佐世保事件 凶行の裏にある「日常」

  • 文 保坂展人
  • 2014年8月5日
     

写真:事件を説明する全校集会のため、登校する生徒たち=7月28日、長崎県佐世保市で 

事件を説明する全校集会のため、登校する生徒たち=7月28日、長崎県佐世保市で

 
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 灼熱(しゃくねつ)の季節に、心胆を震え上がらせるような事件が長崎県佐世保市で起きました。

 仲のよかった友達を、15歳の高校1年生の女子が、ひとり暮らしのマンションの一室で殺害し、その遺体を傷つけるという想像するのも辛い事件です。

 それから1週間、新聞やテレビで次々と報道される「事件の背景」にふれても、加害少女がなぜ「友人の惨殺」という取り返しのつかない行為に及んだのかを十分に理解することはできません。また、突然に生命を絶たれた15歳の被害少女とご遺族には心からの哀悼を捧げます。

 ひとつだけ、私自身が自戒していることがあります。生半可な情報の断片を並べて、「わかったふりをしない」ということです。 私たちの社会は「理解できない」「説明がつかない」という状態を続けることが苦手で、「そうだったのか」という解釈や結論を早急に求めがちです。

 10年前の2004年6月1日。同じ佐世保で市立大久保小学校6年生の女子が、同級生をカッターナイフで殺害するという、痛ましい事件が起きました。当時、直後からヘリが飛び始め、佐世保の街を300人ともいわれる報道陣が走りまわりました。

 このとき、焦点が当てられたのは「ネット上のトラブル」でした。互いにホームページや掲示板でやりとりしていたことが事件の引き金であるかのように語られ、そこだけがクローズアップされた印象があります。

 事件から2カ月近くがすぎ、私は、夏休みに入る直前の終業式の日に佐世保に入りました。大久保小学校の校長とも先生とも、じっくり話す機会を持ちました。周辺の取材を重ねて見えてきたのは、ミニバスケットボールの「クラブ活動」(社会体育)をめぐる加害少女の変化でした。

 部員が少ないながら好成績をあげていたチームの一員として活動してきた加害少女は、「成績低下」を理由に親の意向でクラブを辞めさせられた、とされていました。

 たかが、クラブかもしれません。けれども、私たち自身も胸に手をあてて子ども時代をふりかえってみれば、日常生活の中心にクラブ活動があり、定期的にある試合を目標に心をあわせて活動する「共同体」から抜けた後で、魂が抜けるような放心状態となった 人も多いはずです。

 のちに、クラブを辞めさせたのは、夜道をひとりで帰らせることへの不安からだった、と父親が毎日新聞記者に打ち明けています。

 理由はどうあれ、ミニバスケットボールのクラブをやめた加害少女はその後、選手が足りないために急にチームに呼び戻されて対外試合に出場し、勝ったことで高揚します。ところが、チームに復帰したのではなく、臨時に1回呼ばれただけだと知って言動が荒れます。

 取材から戻って、私は『佐世保事件で私たちが考えたこと――思春期と向き合う』(ジャパンマシニスト社) という本にまとめました。重要なのは、子どもたちの世界の中で「特別な事件」をとりまく「普通の日常」の何が変化しているのかを見逃さないことです。一見、わかりやすい「原因はネットトラブル」という単純な断定を避けて、事件前も事件後も変わらない子どもたちの「日常」を見直そう、という内容です。

 このコラムでは2週にわたって、早期教育をめぐる「親と子の葛藤」を書いてきました。まるで、親の所有物のように幼児の頃から、教室や習い事でスケジュールが埋まり、将来を期待される「良い子」と二人三脚で歩んでいる親たちの死角は「思春期」にあります。子どもは親がつくった枠を取り払おうと激しいエネルギーで反抗し、自立をめざしてバランスを失いかけます。まるで未来永劫に続くかと思えた従属的な親子関係は嵐の中で揺さぶられ、親と子は互いの距離感を認識していきます。

 成績はトップクラス、スポーツもできて、習い事にも秀でていると伝えられる加害少女が、幼児期からどのような成育環境を過ごしてきたのかはまだわかりません。事件という「特別なこと」にいたる「普通の日常」にどのようなトゲが潜んでいたのか、これから注目したいと思います。

「特別のこと」と「日常のこと」は地続きです。私たちは、滅多に起きない「特別のこと」を前に、「特別のこと」は日常とは断絶した「別世界」で起きると考え、思考から排除しがちです。でも実際には、「日常のこと」の積み上げのはてに「特別のこと」は起きているのです。

 痛ましい事件から教訓を得るとすれば、子どもたちの「日常のこと」にもっと目を向けるということではないでしょうか。10年前の佐世保事件を、被害者の父を上司にもつ新聞記者が描いた『謝るなら、いつでもおいで』(集英社)のなかに、加害少女の父親の言葉が紹介されています。

<毎日が慌ただしい生活でしたが、もうちょっと子どもたちのスピードに合わせて考えることが必要だったと思います。時間はできても、気持ちに余裕がなかった>

 少子化社会で子どもの数はぐっと減っています。終身雇用を前提とした企業社会も様変わりしています。子どもたちが成長した後に踏み出していく社会が激しく変容しているのに、早期教育や受験競争は、親たちの時代とあまり変わらないように見えます。親たちの時代にあった、外遊びの時間は絶滅寸前となり、子どもにとっての自由時間は寸断され、限られています。

 ある特殊な親子関係のもとに起きた事件かもしれません。でも、目を向けなければならないのは、加害少女が置かれた環境の特殊性ではなく、私たちにもつながる共通性ではないでしょうか。

「生命の大切さ」を、単なるスローガンやメッセージとしてではなく、子ども自身が体験と実感から獲得していくにはどうしたらいいか。自分の力で立とうとする子どもたちの思いや力をきちんと受け止められているか。

 それが、私たちに突きつけられた課題ではないかと考えています。



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