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 今週に入って、永田町では解散風が吹いている。久しぶりに開かれた衆議院予算委員会では、「近いうち」「うそつき」等の言葉が飛びかい、野田総理も自縄自縛となり、うつろな表情に見える。「政権交代」を直撃した西松建設・陸山会事件は、検察審査会の「強制起訴」裁判の控訴審で小沢氏の無罪判決となった。年末に向けて、停滞していた政治が濁流にのまれるように動き出し、新党「太陽の党」を結成した石原慎太郎氏の突然の辞職によって行われる12月16日投票の都知事選挙・都議補欠選挙もはさんで、この冬の政治の季節が到来する。アメリカ大統領選挙でオバマ大統領が再選され、中国の最高指導部の選出を巡り異例の綱引きが続き、韓国の大統領選挙も12月に迫る。日本、そして世界の政治はどこに向かうのか。

 私は「3・11東日本大震災と福島第一原発事故」は、大量生産・大量消費を前提とした経済成長を自己目的化した私たちの社会を打ちのめした。「土木技術」も「原子力神話」も、自然の力にはかくも脆かった。ここで立ち止まり、また方向転換すべき時点だったのは間違いない。しかし、「3・11」以前の常識や惰性の前に、「震災」「原発事故」の記憶も風化させ、あれは例外的な出来事だったと忘却し、かつてのような社会を懐かしみ、また過去の価値軸に戻ろうとする力が強烈にはたらいている。

 シャープ、パナソニックと日本を代表する電機メーカーの経営が行き詰まり、外交無策もあいまって自動車産業も輸出減に陥っている。強く、元気で、将来を夢見ていた「日本」社会は完全に過去のものとなり、景気減速の下り坂が相当先まで続いていることを覚悟しなければならない。こんな時だからこそ、日本が世界に向けて発信すべきことは、過度な消費を抑制し、「3・11福島第一原発事故」を繰り返さない政治・経済・文化の転換だと私は考えている。

  福島第一原発事故にいたる「原子力の平和利用」の道が敷きつめられていったのは、鉄腕アトムに夢を託した高度経済成長の時代だった。あの頃の「強く、元気で、将来を夢見ていた」ことは、自然をどこまでも征服して活動する人間の力を過信した素朴さ故のことではなかったか。その意味では、過去の視点で見れば、「うつむき加減の下り坂」であっても、実は私たちの社会はすでに多くのものを手に入れたのではないだろうか。

   現在あるものを大切に長持ちさせることを真剣に考えたい。次の世代にバトンを手渡していくためにも、とめどない欲求のままに暴走する破壊的な消費社会から、生命を育む大地と共生する相互扶助社会へと舵を切り直していく必要がある。 

  新聞・テレビのニュースは、私たちを暗澹とさせ、失望と無力感を増幅させる材料に事欠かない。不安定な経済動向、そして方向性を喪失している外交、そして、スキャンダラスな殺人事件や詐欺、不安や恐怖を叩き込んでくるような情報は溢れている。残念ながら、解散・総選挙直前の永田町から発信される与野党の論戦も、互いに欠点を責めあげるばかりに聞こえる。

 私は、政治の仕事は「希望をつくること」だと信じている。社会が不安定になり、経済がさらに悪くなると、「力の強い誰かに頼りたい」という感情が広がっていく。 ひとりひとりが互いに力と智慧を出し合い、時代と社会の課題を引き受けながら共に生きる社会。お任せの観客民主主義から、合意形成と参加の道が広がる地域草の根・民主主主義に立脚して仕事をしていきたいと思う。 

 



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