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 60年前のヒロシマの惨禍に合掌。ピカドンと呼ばれた閃光が街を貫いてから60年が経過した。原子力爆弾が、一瞬にして草木をなぎ倒して家屋を熱波が飲み込んだ。

 広島市長、秋葉忠利氏とは衆議院議員時代の先輩である。99年1月、衆議院議員を辞して広島市長選挙に打って出た時には泊まりこんで応援した。2003年の二回目の選挙も駆けつけた。

 毎年、秋葉市長の平和宣言が発表される。その格調の高さと、不動の信念には頭が下がる。

「被爆60周年の8月6日、30万人をこえる原爆犠牲者の御霊(みたま)と生き残った私たちが有名の界を越え、あの日を振り返る慟哭(どうこく)の刻(とき)を迎えました。
 それは核兵器廃絶と世界平和実現のため、ひたすら努力し続けた被爆者の志を受け継ぎ、私たち自身が果たすべき責任に目覚め、行動に移す決意をする、継承と目覚め、決意の刻でもあります」(平和宣言 2005年8月6日 広島市長 秋葉忠利)

小泉総理も5年連続で8月6日の広島に駆けつけた。総理としての「靖国神社参拝」には異議があるが、小泉氏の戦争犠牲者への思いが強いことだけは伝わってくる。

 東京に引き返した総理を、夜になって総理公邸に森前総理が訪ねた。「解散回避」の最後の説得だったという。結果は不調に終わった。

 1時間半後に会談を終えて外にでてきた森前総理は、ビールやウーロン茶の缶、堅くなったチーズのかけらを持って記者に囲まれた。政治取材の場面では、花見や野外パーティーでもないのに、「異例」のことだ。

 説得を聞き入れない小泉総理は「殺されてもいい。俺の信念だ」と言い放ち、森前総理はぶち切れたようだ。森前総理は「さじ投げた。解散阻止なんてできない」と語ったという。

 こうして、永田町の濁流は「解散・総選挙」という滝壺に向けて一挙に加速を続けている。秋葉市長の平和の誓いと、小泉総理の郵政解散がクロスするのは、たったひとりでも言い続け、やり続けるということだろうか。




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