TOP PAGE BLOG ENGLISH CONTACT




小泉内閣の圧倒的支持率はなぜ生まれたのか。昨年来のタウンミーティング問題の追及を通して、広告産業と国の機関が巨額の予算にものを言わせてイベントを実施し、この影響を最大限拡大して世論形成していく手法を目のあたりにした。この10日ほどにわたって考えてきた「裁判員制度」を告知・普及するタウンミーティング(呼称は「裁判員制度全国フォーラム」最高裁・地方新聞が共催)を調べていくうちに、「国の機関」と「広告産業」が手を組んだ時に生まれる巨大な流れを肌で感じた。

「裁判員制度」に根本から異議を唱えるような議論はかき消され、地方新聞の紙面を通して、また総額13億円にのぼる人気女優を起用した大々的な宣伝の勢いに呑まれていく。だが、「裁判員制度」の認知率が上昇することと「裁判員をやってもいい」という人が増えることとが比例するどころか、反比例している事実はなんだろう。制度を知る人が増えて、「やりたくない」という人たちの比率が上昇しているのである。

民意は金で買うことが出来るのか。あるいは、世論を広告で喚起出来るのか。政府広報を始めとした「官の広告」の範囲は、どこまでが許されるのか。小泉内閣の5年5カ月で繰り返し言われたのは、「改革」「民間に出来ることは民間に」「官から民へ」だった。だが、時には官邸・各省庁・裁判所とスポンサーを変えながら、「官の方針はこうです」と巧みに語りかける役割を担うのが「民」の広告産業だとしたら、「官から民へ」と渡っていったのは「官」のお面ではなかっただろうか。

昨年、入管法問題で「指紋・顔写真撮影システム」の実証化テストをわずか10万円で請け負っていたIT産業の問題を調査したが、本来なら法務省入管局の公務員が考案すべき法規範やシステムまで企業が提案の下地を作っている現実を目のあたりにした。「官」の権威を民間企業が使用して、人々の動向を監視したり、世論に働きかける。実は「規制改革・民間開放」というのは、新・既得権集団を生み出す一方で「官の権威を民に代行させる」システムではないのか。駐車違反の指定地域で活動しだした民間監視員に相当するような社会の変化が各方面で起きているような気がする。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 「裁判員制度... 児童虐待防止... »