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 雨足の強くなる中、三軒茶屋駅前で街頭演説を行なった。さすが、10年にわたり活動してきた世田谷区(東京6区)だけに、知人や会釈をしていく人が多いので意を強くする。全国的な組織を持たないままに、徒手空拳で「全国比例区予定候補」となったのも、無謀と言えば無謀かもしれない。しかし、いつだって安全な挑戦などありえない。政治の世界で活動するためにくぐり抜けなければならない関門は、常に急峻で険しいものだ。

 しかし、不況の長期化は深刻な影響を「生活現場」にもたらしている。「ネット古書店」を運営する支援者に聞いたら、「不況の影響が出てきていて、売上げが落ち込んでいる」とのことだった。不況知らずのリサイクル店などの売上げも落ちてくるほど、消費が冷え込んでいるし、「格差と貧困」は政権交代後も広がっている。一昨日は、湯浅誠さんと阿佐ヶ谷ロフトAで対談をした。湯浅さんは、昨日から「内閣参与」に再任用されたが、「雇用問題」に息の長いスパンで取り組んでいくそうだ。

 私は、60年代の「エネルギー政策の転換」で石炭産業から大量の労働者が離職した問題をテーマとした。炭鉱の閉山が相次ぎ、石炭産業から大都市へ労働者が仕事を求めて流出した。その当時の国会では、「国策転換による炭鉱閉山の責任は国にある。炭鉱離職者を路頭に迷わせるな」という議論が深まり、「引っ越し代」「交通費」にはじまって住居を準備すべきだという話になり、雇用促進住宅が建設された。住宅だけあっても、新たな仕事につく職業訓練も必要だという制度が次々と整備され、「最長3年間」の生活保障のもとに雇用シフトが行なわれた。

「3年ですか」と湯浅さん。これは、半世紀以上前の話じゃないかと思ってしまいがちだが、最後の「石炭産業離職者」は1997年前後だったから、そう昔の話でもない。圧倒的に貧しかった1960年代に出来たことが、なぜ「平成のニッポン」で出来ないのかと語りあった。
「住宅に対する家賃補助」「公営住宅の無償・低額提供」が生活保護の手前のセーフティーネットとして構築されるべきだという点で意見が一致した。『素人の乱』の松本さんからは、「ご飯と味噌汁と納豆でもいいから食事の最低限の保証も必要」との意見が出た。

 不思議とロフトのイベントでは、「社会政策」の具体像が見えてくる。「保坂のぶとマニフェスト」に書き込むべくメモをとった。










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