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今朝のテレビニュースでは、アメリカ議会で「金融安定化法案」が否決されたのを受けてニューヨーク株式市場で777ドルという史上最大の下げ幅を記録するなど危機が進行していると告げていた。東京をはじめとした世界で株式市場の下落が始まりそうだ。リーマンブラザーズ、AIG危機に始まった「アメリカ金融危機」はどこまで拡がるのか予想がつかない。「アメリカの一人勝ち」と言われた黄金時代をつくった複雑な金融商品を駆使したビジネスモデルが崩壊したという指摘に耳を傾けるべきだろう。アメリカを手本に「改革」「改革」と叫んできた小泉構造改革の根本的な見直しがはかられるべきだと思う。また、日本でもより思い切った緊急経済対策をやらなければ大変なことになる。

ただし、小渕さんの時のような「財政出動」を無条件に促すわけにはいかない。公共事業の概念を21世紀になった今、大きくつくり変えるべきではないか。公共事業と言えば、鉄とコンクリートの土木工事や道路、空港、ダム、港湾、箱もの建設などの事業をイメージする。しかし、高速道路でアクセス時間を短縮しても、地方の病院が続々と救急受け入れをやめているので、いざという時の医療機関が見つからないという問題も出てきた。年間6兆円を費やしている道路予算を、医療にまわすことが出来ないのか。(これが「一般財源化」だろう)

道路やダムをつくっていた人たちが、介護の現場や地域サービスで働くようにする。このところの変則的な大雨で水害が頻発しているが、治水効果は大型ダムで対応する時代ではない。八ッ場ダムに9000億円かけるのであれば、河川の浚渫と護岸をしっかりやる方が予算は効率的に使える。また「みどりのダム」と言われてきた森林に人の手が入らないことで、治水能力が低下している。地球環境温暖化対策でもあり、林業にも「みどりの公共事業」として人と予算を振り向けるべきだ。

こうした「みどりといのちの公共事業」が必要だ。もちろん土木工事も必要だけれど日本の国土から言って過剰な「土木工事能力」をもてあましているよりは、構造転換した方がいい。新たな雇用をつくりながら、転換していく道をひらくのが政治の仕事ではないかと思う。日本の荒廃を象徴する光景を最後に書いておく。

私は、丘の上から谷底にある豪華な小学校の校舎を見ていた。ダムに沈む集落からの子どもたちがこの学校に通う。しかし、なぜ谷底なのか。崖崩れは心配ないのかと周辺を見渡すと無数の砂防ダムがつくられていた。少なくとも崖崩れの心配のない土地を探すことは出来たはずだ。学校だから、安全な場につくるのは当たり前のことだ。しかし、砂防ダムをつくれば自然災害対策は出来ているよという感覚がこれまでの税金を飲み込んできた公共事業の発想だ。平地に学校をつくれば、砂防ダムはいらないし、学校はより安全だ。

公共事業受注業者にとっては、平地に空港をつくるより山の中につくった方がより難工事となり、金額も大きくなる。コストの効率化は、計画段階でしっかりタガをはめなければならない。

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