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実は、超党派の国会議員でつくる議員連盟が永田町には数多くあって『チャイルドライン支援議員連盟』もそのひとつだ。映画から業界支援などテーマは幅広いが、この議員連盟はかなり特色がある。まず、議員連盟の歴史は、「チャイルドライン」に関する日本国内でつくられた組織の中で、いちばん古い。議員連盟が出来てから、東京都世田谷区でチャイルドラインが始まり、やがてチャイルドライン支援センターが出来て、日本全国にチャイルドラインが広がったという関係にある。

1996年に初当選した私は、衆議院文教委員会で「日本にもチャイルドラインをつくるべき」と質問したら、当時の小杉隆文部大臣が「興味がある。勉強したい」と答弁したことから始まった。私は牟田悌三さんをはじめとした世田谷の仲間たちと97年5月にイギリスにいき、チャイルドラインの運営方法や積み上げてきた経験について丸2日間研修を受けた。この年の夏には、衆議院文教委員会がイギリスのチャイルドラインを視察に出かけ、感銘を受けて帰ってきている。さらに秋、当時の文部省が招聘する形で、イギリスのチャイルドラインから設立当初からのマネージメントをやってきたジョン・ホールさんとリサ・バレッツァーさんを日本に呼んで合同研修会を開いてもらった。

議員連盟が出来たのはこの時で、衆議院文教委員会でで夏にチャイルドラインを見てきたメンバーが中心になって超党派で呼びかけて、1997年11月に「チャイルドライン設立推進議員連盟」として旗揚げしている。130人を超えた参加者があった。ただし、議員連盟が電話を取って日常的にチャイルドラインを運営出来るわけではない。超党派の議員連盟の役割は、日本で一日でも早くチャイルドラインが根付くように条件づくりをすることだった。やがて、支援センターの活動も大きく広がってくると、2005年に「設立推進」を改めて「チャイルドライン支援議員連盟」として継続した。

現在は衆参議員120人が集まっていて、日本の子どもたちにチャイルドラインがもっと身近かになくことが出来るように勉強会、省庁交渉、また電話会社への協力要請などを重ねている。また、こうした支援活動の一方で「児童虐待防止法」を立法するための超党派「子ども族議員」の輪を生み出して、2度にわたる改正案を成立させていく際の足場としての役割も果たしている。



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