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 郵政政局の狭間に揺れた長岡洋治議員の自殺は、あっという間に過去の出来事になっていく。永田町の気の変化は、浅く早い。市井の庶民から見れば、薄情そのもの姿をさらけ出しているように思う。

「小泉総理が解散・総選挙を強行するようなら、派閥会長を辞任する」と森前総理が記者団に語った。「そこのけ、そこのけ郵政が通る。いいのかね」とも付け加えて、小泉後見人を投げ出す勢いだったという。

 ところが、この森発言を小泉総理は「四方八方に気配りされた、森さんらしい独特の言い方だと思います」と軽く受け流し馬耳東風だった。昨年の年金国会で、かつて青小泉氏が支持者の企業の「社員」だった事情を問われて、「太っ腹の社長だった。お墓参りしたい」と、存命の社長を死んだものと認識していた瞬間を思い出した。

 恩人と呼びながら、生死の判別も分からない。社長はその後亡くなったようだが、義理人情に厚く、長幼の序にうるさい「保守政治家」とは思えない薄情で、人情の機微にうとい粗野な言い方だ。

「人生いろいろ、社員もいろいろ」という軽い言葉が飛び出したのも、この国会答弁。数ある小泉後の中でも失敗作の最右翼に刻まれる迷言だろう。ここで、小泉総理のパーソナリティをいくら批判しても仕方がない。問題は、そういう人が国民の多くにいまだに支持され、容認されているということだ。

 参議院本会議採決が8日に延長された。「否決なら本会議を開かずに解散する」と官邸筋は「否決=解散」を煽りまくっている。否決なら、その直後から「自民党分裂」が始まる。すでに、青票組=造反派も事務的な準備を進めているに違いない。

 93年に宮沢内閣不信任案が可決され、自民党は小沢一郎の「新生党」、武村正義の「新党さきがけ」に分裂して、総選挙を闘った。自民党は最大のピンチだったが、現有議席の水準を守ルことが出来た。新生党、新党さきがけは、日本新党とともに躍進した。議席を半減させたのは、当時の社会党で、「自民党+自民党分裂新党」はむしろ議席を増やしたのだ。

 当時は中選挙区で、現在の小選挙区制と違うという指摘もあるだろう。しかし、自民党が派手に分裂して、官軍対反乱軍で立ち回りを行ない注目を集めることで、有権者の注目が「自民党内紛劇」に収斂していくことはないだろうか。

「加藤の乱」まで引き起こした森内閣の時、低支持率にあえぐ自民党政権はフラフラだった。しかし、01年春に国会を停止させて「自民党総裁選挙」を当時野党だった私たちは見守った。

 すると、2週間ばかり「橋本龍太郎」「亀井静香」「小泉純一郎」と、自民党総裁候補だけが注目を集め、政治のプロが「どうせ橋龍再登板だろう」と予想していた見方をくつがえして、「小泉総裁」が誕生する。

 4月末に小泉内閣が発足すると、信じられないことが起きた。各種報道機関の内閣支持率が90%前後となったのである。「自民党総裁選」という出し物に有権者を引きつけた後に、「自民党対野党」という本来の図式に有権者を戻すのは難しかったのだ。

 解散・総選挙が行われれば、自民党は下野して民主党に政権交代が起きる――というほど単純ではないように感じる。「官軍対反乱軍」の芝居が面白くなくて、見るに耐えないものであれば、ということを前提にして見ておくことが必要だ。


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