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先週、『週刊金曜日』編集部の求めで「参議院選挙」をふりかえる小文を寄稿した。『民主と自民が融けあうと社会の疲弊はとまらない』というタイトルで、おもいつくままに政治のあり方についての意見をまとめたものだった。書店では次の号が陳列されているので、ここに再録しておきたい。

 過去、衆議院選挙に5回挑戦(3勝2敗)した私は、今回は参議院全国比例区に挑戦して苦杯をなめた。当事者のひとりでもあるから、客観的にはなれないが、今回の選挙結果をふり返ってみたい。
17日間の選挙戦の結果、「民主大敗・自民善戦・みんな躍進」の影で、社民党や共産党は議席をのばせなかった。今年の春に鳩山前総理退陣の最大の理由となった「普天間問題」さえ正面から語られなかった。

 鳩山前総理にかわって登板した菅直人総理の誕生で、民主党支持率は一時急激に回復した。昨年夏の総選挙で抱いた「政権交代への期待と夢の余熱」のあらわれだった。ところが、選挙直前に飛び出した菅総理の「消費税」発言がすべてを吹き飛ばした。期待は砕かれ、夢は引き裂かれた。しかも、「消費税10%は、自民党の数字を参考にした」と聞いて我が耳を疑った。

 普天間辺野古移設に続いて、「消費税率10%」も自民党と一緒なら、「政権交代」の4文字も急速に色あせる。誰もがそこに財務官僚の影を見た。「自民10%」「民主10%」なら、参議院選挙でどちらが勝っても「国民の審判」は下ったと強弁出来る。「霞ヶ関との戦い」の闘将だったはずの菅総理が、いつのまに豹変したのかと驚く間もなく、選挙中も「消費税」発言は迷走を続けた。生活弱者を直撃する消費税の逆進性が批判されると、増税分の全額還付を言い出した菅総理は、「250万」「300万」「400万」など演説の場ごとに数字が入れ替わるなど政権への不安を増幅させた。

 小泉・竹中改革で、日本社会は底が抜けるほどに疲弊した。労働市場での果てしなき規制緩和は、賃金ダンピングと大量の非正規労働者を生み出した。働く人の4分の1が「年収200万以下」になり、貧困率も上昇している。

 新橋で演説をしていたら、作業着姿の60代の男性が、「毎年、毎年マジメに働いていても、収入が下がっていく。辛い思いで暮らしている労働者が多いことを判ってくれ」と手を握りしめた。
リーマンションクで、世界に先駆けて派遣・請負労働者を大量に切った大手製造業・派遣業者は、「雇用と住居」を貯蓄のない労働者から取り上げた。

 かくして、08年~09年の年末年始に「年越し派遣村」が出現した。会場となった日比谷公園で、菅氏を含めた野党のリーダーが、「自民党政権の政治災害だ」と怒りをこめて、「派遣法改正」を誓いあったのが、わずか1年半前のことだ。

「いつでも、どこでも、誰でも首を切れる大ナタ」を手に入れた企業は、内部留保金を溜め込んでいた。この10年間で資本金10億円以上の大企業の内部留保は、142兆円から229兆円となっている。
一方で、年収8億9千万円のカルロス・ゴーン会長(日産自動車)を筆頭として、1億円プレーヤーは213人にも達している。(東証1部役員報酬開示企業調査)

 2008年12月、私は当時、日本経団連の会長企業だったキヤノンの専務と大分県で面会・交渉していた。大量の請負労働者を切り捨てたことの責任を問うていた。

 当時、高校生がカンパ箱を持って駅頭に立ったり、解雇された人たちの住居を提供する企業が現れたり、匿名の市民が100万円のカンパを置いたりという救援運動が起きていた。「私どもとしても胸が痛いんです」と言いつつも、「直接雇用していないので、どのように手をさしのべるべきか」と思案げだった専務に、「自治体に基金を拠出して、失われた雇用のシフトを整え、また今後の地域の雇用を支える」という提案を私はした。「ぜひ前向きに考えたい」との返答だった。

この時、職を失った若者たちと話をした。「今、食べていくのがやっとで先の見通しなどない。明日、生き延びることが出来るかどうか。早く仕事がしたい」働いても貯蓄するだけの賃金が支払われず、まして、結婚や子育てを考えるゆとりもないという状態にまで「労働分配率」を下げていった企業は、自ら社会保障の土台を切り崩している。低賃金の不安定雇用が増す中で、医療・年金保険の不払い・未加入者が激増している。
  
 参議院選挙の直前に沖縄で開かれたシンポジウムのテーマは、「若者・子どもの貧困」だった。平均年収が本土の7割しかない沖縄で、子どもに深刻な影を落としている格差。「医療保険が使えなくて虫歯の治療が出来ない子」「布団が家になく体調を壊してしまう子」「朝晩を食べずに学校給食しか栄養をとっていない子」と次々と衝撃的な実態が語られる。東京でも、北海道でも、「学校給食が唯一の栄養源。夏休みが怖い」という現場教員の証言は重なる。もはや、子どもたちの前で、「格差と貧困」は身長も体重も伸びない「平成の飢餓状態」を現実のものとしている。ついに、ここまで過酷に「格差と貧困」は子どもたちの生命をむしばんでいる。

 子どもだけではない。都内を選挙カーで走っていると、年老いた高齢者がツカツカと助手席の私に近づいてきた。路肩をオートバイなどが走る道なので「危ないですよ」と声をかけると、手を横に振って怒りの表情で訴えた言葉。

「子ども手当と騒いでいるが、子どもでなく、高齢者にも目を向けてくれ。年金からの天引きが増えて、手元にいくらも残らない。もう生きていけないと私たちの仲間は外出しなくなった。食べるものも少ないので、痩せて元気がない。これまで苦労してきたのに年寄りを捨てる政治家に頭に来ている」

 この声は、かつて市川房枝さんを担ぎだした菅総理には届いたのだろうか。「平成の飢餓」は、生活弱者である高齢者を直撃している。その声は弱く、また聞き取りにくい。

 政治家が求められる力はいくつもあるが、もっとも大事なのは「共感」「想像力」だと私は思う。こうして、ひとりの高齢者が怒気をみなぎらせて候補者に語るという場面は少ないかもしれないが、これまでの政治に対しての「嘆き」や「絶望」、「憤怒」や「呪詛」に近い押し殺した声を聞いて何を思うかだ。

 小泉政権の初期に青木建設が経営破綻をした時、「構造改革が進んでいる」とニヤリとしたのが小泉元総理だった。長年働いてきた社員、下請け、孫請けの職人さんたが感じている不安と苦痛に思いをはせることが出来ず、

「政策の成果」として自慢げに薄ら笑いをする、この感覚は多くの「世襲政治家」や政策通を自称する「高学歴・留学経験あり・官僚出身」などの政治家に通底する。

 どの政治家も、すべての現場に立ち会うことは出来ない。だから、想像力が大切だ。後期高齢者医療制度も、障害者自立支援法も、古い自民党が得意としてきた民意の汲み取りの回路が枯渇してきた表れだった。 

 自民党は大企業や業界団体の意向を受けて、天下り利権を背景とした官僚組織と持ちつ持たれつの政治を行なってきた。圧倒的多数であるはずの「国民の声」を個々の議員や候補者が聞いても、政策を変えることはない。この硬直した既得権政治を打破するとしたのが、昨年の政権交代のメインテーマだったはず。

 ところが「消費税10%」発言とその後のブレで、自民党との違いが判らなくなってしまった。「国民の生活が第一」という「共感」「想像力」もすたれてしまい、本来の菅政権がめざした雇用や社会保障再建という道筋は「消費税」の煙幕で見えなくなってしまった。長期本格政権をめざしたからこそ、「苦い薬」を語るのだという気負いは、完全に裏目に出た。

 選挙中、街頭でマイクを握っていて反響があったのは、「八ッ場ダム」についてだ。政権交代のシンボルとなり観光名所にまでなった「八ッ場ダム」は、前原大臣の決断により建設中止となっていると思っている人が多い。

ところが現地では、これまでになくダム関連工事が佳境を迎えている。「この春も、ダム建設が前提で、ダム湖を横断する高さ最大で117・5mもの巨大な橋が52億円かけて着工している」と訴えると、ふと立ち止まり振り返る人が相当いた。

 理屈は単純だ。前原国土交通大臣が止めたのは「ダム本体工事」(ダムサイト部分)で、予算の9割以上を占めるダム関連工事は続行している。これで、工事は本体以外はガンガン進む。当初は、今年の通常国会に提出されるはずだった八ッ場ダム現地の「生活再建支援法案」は未提出のままだ。

 58年にわたって八ッ場ダム計画に翻弄されてきた地域住民の生活再建と、地域振興をセットにした財政措置を盛り込んだスキームを創らない限りこの問題の解決はない。だが、国土交通省はむろんのこと財務省は難色を示していると聞く。

 国の政策判断を長年にわたって是正しなかったことで混乱と苦痛を強いられたダム現地の人々の生活再建を見通すことが出来て、またダムに頼らない地域振興の道筋が見えてこそ、最初の一歩が踏み出せる。
 
 しかし、現状はダム建設を遂行することによってしか予算が地域に出てこない構造となっている。群馬県選挙区で中曽根弘文候補が第一声の場に「八ッ場ダム現地」を選び、「建設促進」を訴えて当選し(民主党候補に圧勝)たこともあり、地域では「八ッ場ダム建設再開」へと政府が方針転換することを期待する声が強い。

「走り出したら止まらない公共事業」の横綱格が八ッ場ダムだ。ここでは触れないが、「治水」「利水」の両面からの効果も薄い。また、強酸性の河川を石灰で中和する事業を続けてきた八ッ場ダムの上流には、90年代から大量のヒ素が検出されている土砂を「野積み状態」で放置しているという深刻な問題も起きている。

 政府が一度は「事業中止」を決めた八ッ場ダムで、実は工事が佳境だというのは、「鼻血も出ない所まで無駄を削る」どころか、「血税の垂れ流し」と批判されてしかるべきではないか。

 小泉政権が財務省の肝煎りで進めた「社会保障費のカット(毎年2200億円)」は、医療・福祉・介護の現場に大きな混乱をもたらした。公立病院の閉鎖や、医師不足が顕著になった。混乱が続く年金記録問題も未解決のままに、 政府への不安・不信が増大した。

 だからこそ、昨年の政権交代選挙では、「小泉改革の継続」を主張する自民党に対して、「国民の生活が一番」(民主党)「生活再建」(社民党)というスローガンが有効に響いたのだと思う。 

 昨年の総選挙が「小泉政治の総決算」だった。ところが、聴衆の動員力で一番の自民党のシンボルが「小泉進次郎代議士」であることが象徴的であるように、「小泉改革称賛勢力の復権」が顕著だった。みんなの党をはじめとして、自民党から飛び出した新党群も含めて、顔はすべて昔おなじみの小泉内閣の閣僚である。 

 たしかに、財政状況は良くない。歳出に比べて、税収が足らないのは明らかだ。けれども、「消費税10%」と言う前に、高額所得者への優遇税制は見直さなくていいのか。飲食料品や生活必需品と贅沢品を同一税率で扱っていいのか。生活弱者を直撃する逆進性をどう緩和するのか。ていねいな説明も、優先順位をつけた税制改革のプログラムも説明されていない。

「消費税10%」発言が参議院選挙にもならした波紋は、政権交代からやがて1年となる菅政権が、自民党と溶け合い、また小泉改革の亡霊と手を取り合っていくのか。厳しい道であっても、昨年の政権交代の大義を貫いて初心に返るのかが厳しく問われる場面である。たとえ暴風雨の中でも、よって立つ原点を鮮明にしてほしいというのは、私の願いでもある。 

(『週刊金曜日』7月30日号)

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