ジョーカーが煙草に火をつけるシーンがあっただろうか。
ジョーカーが酒を口に含むシーンがあっただろうか。
そして、ジョーカーがいないシーンがひとつでもあっただろうか。
この、祝祭のような作品を見終え、映画館を出てハンドルを握りながら考える。久しぶりに、演出の意図を観客の側が考えなければならない映画の登場だ。
むかしのワーナーのロゴ。画面いっぱいに広がるJOKERのタイトルでスタート。そしておしまいのスタッフロールも昔風のもの。ジョーカー誕生が昔話であり、携帯電話もなく、ビデオデッキが普及し始めた時代が背景なのだと強調されている。80年代初頭?
ということは逆に、これはまさしく現代のお話であり、安心するんじゃないという作り手からのメッセージだ。不寛容で、悪が賞揚される世の中。
批判も理解できる。「タクシードライバー」(狂気の殺人者)「キング・オブ・コメディ」(崇拝者の全否定)「シックス・センス」「羊たちの沈黙」などのエッセンスを寄せ集めただけじゃないかと。確かにそれは否定できないけれども(笑)、チャップリンを意識した動きで“笑わざるをえない”狂った道化師を演じきったホアキン・フェニックスがそれらの批判をすべてなぎ倒していく。
いじめられっ子はいじめっ子を殺してもいいのか、なんて理屈は些末なことだ。共演にロバート・デ・ニーロを迎えたことで作り手(「ハングオーバー!」のトッド・フィリップスが監督で製作がブラッドリー・クーパー)が確信犯であることがわかる。
そもそも、ピエロという存在自体が怖い。江戸川乱歩の諸作やスティーブン・キングの「IT」でわかるように、あのメイクと衣装は恐怖そのもの。あまりに怖いと人間は笑ってしまうように、笑いと恐怖はとても近い感情であり、しかも今回は笑うことが慟哭と同義であるヴィラン(同時にヒーローでもある)を、身体をぎりぎりまでしぼってホアキンは絶妙に演じている。
ジャック・ニコルソン、ヒース・レジャーと続いた『ジョーカーを演じる=名優』の系譜を軽々とクリア。アカデミー賞確実。今年のマイベストは「グリーンブック」とこれのどっちにしよう。傑作。
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